20、 発覚 (前編)
5時20分頃に家に着いた凛は、 玄関に尊人の革靴が揃えられているのを見て、「あれっ? 」と足を止めた。
中に向かって「ただいま〜」と一言かけて階段を上りかけたところで、 リビングルームから顔を出した 母親の愛に呼び止められた。
「凛、 着替えたらリビングに来てちょうだい」
「…… はい」
いつもは帰りが遅い尊人の妙に早い帰宅、 愛の深刻な表情……。
なんだか嫌な予感がした。
もしかしたら…… いや、 まさか。
最悪の想像が頭の中を占め始め、 ブラウスのボタンを留める指が震えた。 心臓が早鐘を打つ。
緊張した面持ちでリビングルームに入ると、 尊人と愛がソファーに並んで座っていた。
「凛、 そこに座ってちょうだい」
愛に言われて、 凛はL字形に並んだ白い本革ソファーの端にゆっくりと腰を下ろした。
凛が姿勢を正して、 斜め方向に並んでいる2人を真っ直ぐ見つめると、 まずは尊人が会話の口火を切った。
「実はね…… 今日の夕方、 ほんの1時間ほど前だが、 病院に電話があったんだ」
その電話は病院の総合案内に掛かってきて、 自分を『小桜胸部外科部長の娘さんの知り合い』だと名乗ったという。
尊人はその日の手術を終えて集中治療室で術後の指示を出していたのだが、 相手が『緊急の用事』だと言っているというので、 慌てて交換台に内線電話を繋いでもらった。
また凛が怪我でもしたのかと思ったのだ。
『もしもし、 小桜先生ですか? …… 娘の凛さん、 男の子の家に入り浸ってますよ。 学校でも噂になってるんで、 気をつけた方がいいですよ』
若い女の子の声でそれだけ告げると、 一方的に電話は切られた。
「名前も名乗らなかった怪しい電話だ。 だけど、 『火のないところに煙は立たない』と言うだろう? 学校でも噂になっていると言うし、 凛からちゃんと話を聞きたいと思って急いで帰ってきたんだ」
「私のせいで仕事中に…… ごめんなさい」
「それはもういい。 ちゃんと指示は出してきたし、 あとは下のものに任せてきた。 それよりも…… 電話で言っていた事は本当なのかい? 」
尊人も愛も、 真剣な表情で凛の言葉を待っている。
きっと、 凛が『そんなのデタラメだよ』と言うのを期待しているのだろう。
だけど……。
「その電話で言ってたことは…… 半分以上は嘘だけど、 男の子の家に行ってるのは本当」
「凛っ! 」
「愛、 座るんだ」
思わず立ち上がった愛の手を尊人が引いて、 もう一度座らせた。
「凛、 男の子の家に行ってるって…… それは、 恋人…… なのか? 」
「はい」
「凛! お母さんそんなこと聞いてないわよっ! しかも男の子の家に入り浸ってるなんて…… まだ高校生で何を考えてるの! 」
「愛、 ちょっと待ちなさい。 ……凛、 お義父さんたちに分かるようにちゃんと説明してくれないか? 」
「はい」
脈拍が早くなり、 揃えた膝に置いた手にギュッと力がこもる。
凛は改めて背筋をピンと伸ばすと、 顔をしっかり上げて口を開いた。
「 …… お母さん、 私、 期末考査で1位を取ったら話したいことがあるって言ったよね? 私が話したかったのは、 そのことなの」
その場で立ち上がり深く頭を下げると、 そのままの姿勢で、 ずっと言いたかったその言葉を口に出した。
「私、 好きな人がいます。 お付き合いを認めてください」
***
「やられたな…… 」
奏多が苦虫を噛み潰したような顔をすると、 その隣に座っている叶恵は奏多以上に苦い顔をして爪を噛んだ。
「うん…… やられたよ。 くっそ〜、 あの性悪女、 とうとうやりやがった…… 」
リビングルームのソファーで、 奏多と叶恵はガラステーブルに置かれた叶恵のスマートフォンを見ながら溜息をつく。
2人の母親、 百田晴恵から叶恵に電話が掛かってきたのは、 ほんの15分ほど前のこと。
ちょうど奏多が家に着いた時だった。
奏多が玄関に入るとリビングルームからイラついたような叶恵の声が聞こえてきて、 何事かと思いヒョイと覗き込むと、 それに気付いた叶恵が黙って手招きした。
「だからね、 こっちは何も悪いことはしてないの。 あいつ! 灯里が勝手にヤキモチ妬いて暴走したんだって! 」
それを聞いて、 ああ、 灯里がチクったんだな…… と分かった。
やるだろうとは思ったけれど、 まさかこんなすぐに実行に移すとは……。
電話の向こうの母親と言い合いを続けている叶恵からスマートフォンを奪うと、 奏多は落ち着いた口調で喋りだした。
「母さん? うん、 俺。 ゴメンな、 驚いただろ? うん…… うん…… そう、 俺、 彼女が出来たんだよ。 …… うん、 家に来てるのも本当。 いや、 いい加減な付き合いじゃないよ。 母さんに聞かれて恥ずかしいような付き合い方はしてない」
灯里の母親から電話が掛かってきて驚いた、 どうなっているんだと激しい口調で責めていたが、 奏多の丁寧な返答で冷静になってきたのか、 徐々にトーンダウンして、 呆れた口調に変わってきた。
『そりゃあね、 灯里がワガママですぐ感情的になるのは今に始まった事じゃないけどね…… でも、 私とお父さんの留守中に女の子を家に上げるのも良くないわよ、 分かるでしょ? 』
「うん、 その辺はいろいろ事情があってさ…… 今度ゆっくり話すよ」
『先方の御両親はどう言ってるの? あなた達の付き合いを認めて下さってるの? 』
「それは今日、 彼女が話してるはず」
『そう…… とりあえず明日、 私がそっちに行くから』
「えっ?! 」
『そろそろ様子を見に行こうと思ってたし、 ちょうどいいわ。 土日でそっちに行くから家にいなさいよ。 話はその時に改めて』
そう言って電話は切れた。
「どこまで事情を話すか凛ちゃんと相談した方がいいんじゃないの? お母さんに分かってもらおうと思ったら、 彼女の家庭の事情に触れないわけにいかないでしょ? …… っていうか、 凛ちゃんの方は大丈夫なの? そっちも灯里が何かしてるかもよ? 」
「それは大丈夫なはず。 灯里は凛の家の住所も電話番号も知らないはずだから…… 」
それでも念のため、 こちらの状況を伝えつつ、 凛の方の様子を聞こうとスマートフォンを手にすると、 ちょうどそのタイミングで電話が掛かってきた。
「凛?! 今ちょうどメールしようと…… えっ?! 」
スマートフォンを片手にバタバタと廊下を駆け出す。
慌てて玄関を開けると、 そこには青白い顔をした凛が立っていた。
「凛! どうして? 何やって…… 」
「別れろって…… 」
「えっ?! 」
「両親に話したけど…… ダメだった」
そう言うと、 みるみるうちに瞳が潤み、 頬を涙が伝った。
そのままもたれ掛かってきた凛を両手でしっかり抱き留めながら、 奏多は自分たちは今、 嵐の真っ只中に足を踏み込んだのだと思った。