19、 束の間の恋人
午後4時13分の快速に乗り込むと、 2人で一番奥のクロスシートに座って、 同じタイミングでホッと息を吐いた。
2人同時に顔を見合わせると、 そこでようやくクスッと笑って肩を寄せあった。
「ハア〜ッ、 とうとう言っちゃった。 緊張した〜! 」
「うそだろっ?! めちゃくちゃ堂々としてたじゃん」
「違うよ、 弱いところを見せたら絶対に負けると思って…… 奏多を取り戻さなきゃって、 とにかく必死だったんだよ! 」
「取り戻すって、 そんな…… 」
「奏多は何も分かってないからっ! ……っ、 とにかく…… 私の方を選んでくれて……ありがとう」
頬を赤く染めて首をすくめた凛が愛しくて……
奏多が髪の上からそっと耳元に口づけると、
「(電車! 車内!)」と小声で言って、 もっと顔を赤くした。
コツンと頭をくっつけて、 握った手の上にもう一方の手を重ねる。 そして指先で凛の手の甲の感触を確かめながら、 奏多がボソリと愚痴りだす。
「でもさ〜……さっきの俺、 カッコ悪かったな」
「何が? 」
「なんかさ…… 囚われの姫が王子様に救出されるみたいでさ、 なんか逆だろ! って感じだろ? ダサ過ぎる」
「ふふっ…… 」
「凛に笑われた…… 」
「笑ってないよ」
「笑ったじゃん」
「ふふっ」
「ほら、 笑ったし! 」
凛はくっつけていた頭を離して奏多の顔をジッと見つめると、 さっき奏多が重ねた手の上に、 自分のもう一方の手を乗せた。
「いいじゃない、 どっちでも」
「えっ? 」
「奏多がお姫様でも王子様でも、 助けるのでも助けられるのでも…… どっちだっていいじゃない。 大切なのは、 その時に差し出した手を相手が掴んでくれるかどうか。 そして、 掴んだ手をしっかり握って離さないかどうかでしょ? 」
奏多の瞳を覗きこむ、 その目の奥が、 微かに光って揺れていた。
「それに…… 覚えてる? 前に図書館で、 奏多が私の手を引いて連れ出してくれたでしょ? あの日、 あの時に奏多が諦めないで私の手を掴んでくれたから、 私たちは始まったんだよ。 そして今日は、 私が奏多の手を引いて連れ出したから、 今ここに一緒にいる。 ねっ、 おあいこでしょ? 」
ーー あの日があるから始まった……。
もちろんハッキリ覚えている。
中3の2学期、 持ち物検査のあったあの日。
図書館から手を引いて凛を連れ出したあの時から、 2人の秘密が始まった。
「不思議だよな…… あれから10ヶ月…… もうすぐ11ヶ月だ。 1年近くずっと隠してきて、 その間に付き合いだして……今2人でここにいる」
「うん…… 」
「凛…… 本当にいいの? 俺たちのことがバレても」
「うん。 奏多こそ…… 本当にいいの? 」
「いいよ……っていうか、 俺はずっと言いたかったから……凛が俺のものだって」
「なんかいいね、 俺のもの……って響き」
『俺のもの』なんて言葉、 なんか偉そうで、 モノを扱うみたいで、 本当は使わない方がいいのかも知れないけれど……。
「今、 こうして俺の手のひらで凛の手を覆ってるだろ? すっぽり身体を包める距離にいるだろ? そうするとさ、 やっぱり、 『凛は俺のモノなんだ』って実感するんだよ。 この子は俺の大切な宝物だから、 俺の全部で大切にしなくちゃ、 守ってあげなきゃって思うんだ」
「うん…… 」
不意に灯里のことが頭に浮かんだ。
さっきの様子だと、 本当に親に告げ口をしかねない。
…… いや、 あの性格上、 告げ口どころか、 話に尾ヒレをつけて、 有る事ない事大げさに言うことだって考えられる。
その時に自分は、 どこまで凛を守ってあげられるんだろう……。
「凛…… 灯里のこと、 なんかゴメンな。 あいつがこれから先、 凛を傷つけるかもしれない。 本当に凛の親にも言うかも…… 」
「覚悟してる。 だけど、 彼女は私の家の電話番号を知らないし、 すぐには何も出来ないと思う。 私たちのことを言うとすれば…… 奏多の方が先だよね。 大丈夫? 」
「俺は男だから…… 真剣に付き合ってる彼女だって言えば、 きっと分かってもらえるよ」
「そうだといいけど…… 」
電車が奏多の降りる観音駅に着いた。
奏多が手をつないだまま立ち上がろうとすると、 凛がその手をそっとほどいた。
「凛…… 一緒に降りないの? 」
「うん、 今日はこのまま帰る。 お母さんに私たちのことを話したいから」
「そうか…… いよいよだな」
「うん」
「何かあったら電話して。 夜中でもいいから」
「…… うん…… 」
凛は周囲をキョロキョロ見回してから、 奏多の腕をグイッと引っ張って、 一瞬だけのキスをした。
「奏多は私のものだから…… 私だって奏多を守るよ」
耳元で囁かれて、 血圧が一気に上昇した。
放心状態で電車を降りて、 窓の外から凛を見送る。
お互いに手を振って、 電車が小さくなった頃……
ーーえええええっ! 不意打ち!
耳まで真っ赤にしながら片手で口元を押さえ、 そのままその場にしゃがみ込んだ。
乙女のように両手で顔を覆うと、 声にならない声を出して身悶えた。
「なんだよ、 コレ! こんなのやっぱり…… 俺の方が乙女じゃん! 」
ーー そう言えば…… 1位おめでとうって、 まだ直接言えてなかったな……。
一緒にお祝いは出来なかったけれど、 それはまた改めてやればいい。
そんな風にのんきに考えるほど、 その時の奏多は浮かれていて、 今自分たちが置かれている状況の危うさを、 ついつい忘れてしまっていた。
ぴったり寄り添って過ごした電車内のあの時間は、 ここ最近の騒々しさから隔離されたシェルターのようで心地よくて……。
荒れ狂っている台風の目の中心でぽっかり抜けた空間のように穏やかで……。
だからその時の2人は、 自分たちの周りで吹き荒れている嵐のことも、 大きな波に足元をすくわれる怖さも知らずに、 束の間の恋人の余韻を味わっていた。