14、 新たな称号
7月第3週の金曜日、 玄関で見送る母親を振り返って凛が言った。
「お母さん、 このまえ言ったこと覚えてる? 」
「ええ、 期末考査で1位だったら話があるんでしょ? 」
「そう。 今日もしも1位だったら話すから、 夕食の後で時間を作ってね」
「分かったけど…… 1位じゃないと話せないことなの? 」
「話せなくはない…… けど、 やっぱり1位で話したい」
「そう…… じゃあ、 幸運を祈ってるわ。 気をつけて行ってらっしゃい」
なんだか腑に落ちない顔の愛に見送られて、 凛は足早に駅へと向かった。
いつもより1本早い電車のロングシートに座って携帯の画面を開くと、 そこには奏多とのメールのやり取りが残っている。
先週金曜日のメールを開いた。
『凛、 大丈夫か? 灯里から話は聞いた。 話したら分かってくれた。 俺たちのことは黙っていてくれるそうだから、 心配しなくていい。
マグカップ残念だったな。 今度一緒にサイトで新しいのを選ぼうよ。 ペアのマグカップでもいいかな〜なんて思ってるんだけど、 俺ってちょっと乙女すぎかな(笑)?
そうそう、 これから不定期で灯里の勉強をみることになった。 家庭教師じゃなくて、 たまに図書館で教えるだけだから心配しないで』
『今日は会わずに帰ってごめんなさい。 灯里ちゃんはなんて言ってた? 勉強を教えるの、 前は断ってたよね。 もしも私のために無理して引き受けたのなら、断ったっていいんだよ』
『心配してくれてありがとう。 でも、 たまに頼まれて図書館に行くだけだから負担は大きくないよ。 個室で2人きりにもならないからね。 凛は何も心配しなくて大丈夫、 テスト勉強に集中して』
あとは期末考査の勉強もあって、 昨日までに何度か『期末考査がんばろう』と送りあったくらいで、 灯里のことには触れなかった。
メールの奏多の文面からは深刻さは感じられない。 たまに図書館で勉強を教えてもらうだけで灯里が納得したのなら、 それで解決したような気もする……。
…… けれど、 何故か言いようのない不安と胸騒ぎ。
あんなに拒否していたことを、 奏多が簡単に引き受けるだろうか?
やはり秘密を守ろうと無理しているんじゃ……。
「やっぱり1位にならなきゃ! 」
凛が急に声を発したので、 車内の乗客が、 「えっ? 」という目で一斉に見た。
ーー あっ、 声に出してた。
恥ずかしくなって、 すぐに俯き身を縮めた。
凛は今日の順位発表で1位だったら、 母親である愛に奏多のことを話すつもりでいる。 聞いてもらうだけではなく、 出来るなら交際を認めてもらいたい。
彼氏が出来たのも、 そういう話をするのも初めてだから、 愛がどんな反応をするかは分からない。
もう小学生の時とは違う。
今では凛も真面目に塾に通っているし、 塾でも学校でも成績は悪くない。
彼氏ができたと言っても頭ごなしには反対されないのでは…… という淡い期待もある。
だけど、 小4の夏の日に杏奈の家に凛を迎えに来た時の、 静かに怒っていた愛の顔と、 漫画を突き返しに行った時に杏奈の母に言った言葉を思い出すと、 あの時の苦しい感情が蘇って身がすくむ。
そして、 その夜に義父と口論し、 泣いていた母……。
二度とあんな思いはしたくない。
そしてもう一つ、 凛には気になっていることがあった。
『あんな素敵な人が彼氏だったら大歓迎なのに。 お母さんみんなに自慢しちゃうわ』
樹先輩に会った時の愛の言葉である。
喧嘩を止めようとした凛がケガをした時、 樹先輩は車まで付き添って、 愛に丁寧に謝罪の言葉を述べた。
尊人の働いている病院に向かう車内で、 愛は運転しながら笑顔でこう言った。
「さっきの…… 葉山樹くん、 生徒会長で葉山医院の息子さんよね? 保護者の間でも有名なのよ、 優秀でカッコいいって。 もしかして凛の彼氏なの? 」
「違うよ、 ただの先輩。 生徒会で一緒なだけ」
「そうなの、 残念だわ。 あんな素敵な人が彼氏だったら大歓迎なのに。 お母さんみんなに自慢しちゃうわ」
では、 奏多を紹介しても大歓迎してくれるのだろうか?
奏多は思いやりがあって皆に好かれているし、 成績だって悪くない。 自慢の彼氏だ。
ご両親のことは詳しく知らないけれど、 父親が銀行員で大阪にいると聞いている。
だったら母も文句は言わないのでは……。
だけど、 もしもそうじゃなかったら?
医者の息子じゃないから、 医学部に進まないから…… もしもそんな理由で奏多に酷いことを言ったら?
そのせいで、 杏奈ちゃんの時のように奏多が離れて行ったら?
奏多を傷つけたくない、 奏多に嫌われたくない…… そう思うと怖くなって、 打ち明ける勇気が萎んでしまうのだ。
だから凛は、 学校の考査試験で連続1位を取ろうと決めた。
いくら言葉で奏多の素晴らしさを語っても、 実際に会ってもらわなくては、 その良さは伝わらない。
だったら自分が証明しようと思った。
奏多に出会って変わった自分を母親に見てもらえばいい。
奏多のお陰で頑張れたのだと、 奏多のお陰で1位になれたのだと、 数字でハッキリ示せばいいのだ。
それにはたった1度トップになるくらいじゃダメだ。
今まで何度か1位になったことはある。 だけど連続は難しい。
最低でも2連続、 中間と期末の両方。
それが叶ったら母親に言う。 そしてもう秘密の関係ではなく、 奏多と堂々と恋人として付き合うのだ。
そう決めてからの数週間、 凛は平日の放課後はもちろん、 週末も塾の自習室に通い、 いつも以上に必死になった。
ーー きっと大丈夫、 私は頑張った。
学校に着いて、 前回の中間考査の時よりも更に緊張した面持ちで2階に上がる。
皆の注目を一身に受けながら、 モーセが海を割ったように人垣が割れた、 その真ん中を進んでいく。
1位 小桜凛 901点
2位 大野陸斗 892点
2位 小木杉守 892点
「や………………った〜〜〜〜! 」
順位表を見上げて大声を出した凛を、 周囲の生徒たちが驚きの表情で見ている。
凛はその場でしゃがみ込むと、 両手で顔を覆って声を出して泣き出した。
そこには滝高のマドンナでもクールビューティーでもない、 隠すことなく素顔を晒した、 ただの女子高生の姿があった。
けれども、 この強者揃いの進学校で2連続1位、 しかも期末では英語で問題文のスペル間違いを指摘してプラス1点。 満点以上という、 凛の残した驚異的な記録は、 このあと誰にも破られることはなく、 後に『滝高の奇跡』として長く語られることになるのである。
そして、 この日を境に凛には、 『滝高の女王』という新たな称号が付け加えられたのだった。