12、 制御不能
『もうすぐ家に着きます』というメールを送っても返事がない時点で、 あれっ? と思った。
玄関前にパステルグリーンの自転車が置いてあるのを見た途端、 家の中で何かおかしな事になっていると察知した。
玄関の戸を開けたら、 凛の黒いローファーが無くて、 代わりに少し小さめのサイズのスニーカーだけが揃えて置いてあった。
ーー 嘘だろっ?!
奏多はサッと顔色を変えて、 靴を脱ぎ散らかしたまま廊下に駆け込んだ。
リビング、 漫画パレス、 ダイニング……
最後にキッチンを覗いたら、 紅茶を淹れている小さな背中が見えた。
「お前、 なんで…… 」
「あっ、 カナくんお帰りっ! 」
ガラス製のティーポットを片手に満面の笑みで振り返ったのは、 案の定、 凛ではなくて灯里……。
「凛は? 」
「えっ、 何のこと? 」
「来てたんだろ、 彼女。 どうしていないの? 」
「知らないよ」
「知らないって、 そんなはず…… 」
困惑顔で周囲を見渡すと、 床の片隅に転がっている小さな水色の欠片が目についた。
すぐに指でつまみ上げて確信した。
「やっぱり来てたんだな。 凛はどうしていないの? 何かあった? 」
ついつい強い口調で詰問すると、 灯里が眉根を寄せてじっと見上げてきた。
「カナくん…… なんか怖い」
「ごっ、 ごめん…… でも、 何があったか教えてくれない? あっ、 それよりもメールだ! 」
凛にメールをしようとカバンからスマートフォンを取り出して見たが、 彼女から新着メールは来ていない。
『今、家に着いた。 どこに 』
どこにいるの? と最後まで文章を打ち込む前に、 灯里の言葉で指が止まった。
「小桜さんなら帰ったよ」
「帰ったって…… どうして…… 」
スマートフォンを持つ手をダラリと下ろして、 灯里の前までスタスタと歩いていく。
自分の顔が険しくなっているのに気付いていたし、 それが灯里を怯えさせることも分かっていたけれど、 今はそんなことに構ってられなかった。
「灯里、 昨日お前が家に来たいって電話してきた時に、 今日はダメだって俺はちゃんと言ったよな? どうして来てるの? 」
「学校の調理実習でカップケーキを作ったから、 カナくんにもあげようと思って…… 」
灯里は言葉に詰まって少し視線を泳がせていたが、 次には開き直ってキッと奏多を睨みつけてきた。
「だって…… だって、 このまえ勉強を教えてくれた御礼をしたいって言ってもいらないって言うし、 家にも来てくれないし…… カナくんがいいって言うのを待ってたら、 全然会えないじゃん! 」
「それは…… 」
なんて幼稚で自分勝手な考えなんだろう……。
奏多はそう思ったが、 今はそんなことで言い争っている場合じゃない。
聞くべきは、 ここで凛と灯里の間に何が起こって、 なぜ凛が帰ったのか……だ。
「それで、 どうしたの? 凛と灯里、 どっちが先に家にいたの? 」
「小桜さん……。 私が家に入ったら、 キッチンに小桜さんがいて…… 」
「分かった。 彼女は紅茶を淹れてたんだな。 そこに灯里が来て遭遇して…… 」
奏多はゴミ箱のペダルを踏んでパカッと蓋を開け、 中を覗きこんだ。 そこにはビニール袋に入ったマグカップの残骸があった。
凛のお気に入りのハニワのマグカップ。 奏多と叶恵からの誕生日プレゼントだった……。
さぞかしショックだっただろう。
「凛もビックリしただろうな、 俺以上に。 …… どうやって入ったの? 」
「合鍵…… 前にお母さんがお父さんと話してたのを聞いてて…… 」
何かあった時にすぐ様子を見に来れるよう、 奏多たちの母親から灯里の母親には合鍵の隠し場所を伝えてあった。
それを聞いた灯里が裏庭のプランター下から合鍵を持ち出して、 勝手に家に入り込んだのだ。
「自転車で走ってきて疲れてたし、 家の中でカナくんを待ってようと思って…… 」
「だからって…… 」
妹のように可愛がっている従兄妹だと思って、 今までは大概のワガママは許してきた。
だけどこれは、さすがにアウトだろう……。
奏多は腰に手を当ててハア〜ッと深い溜息をつき、 説教モードに入った。
「灯里、 さすがの俺もコレは…… 」
「小桜さんっ! バレたら困るんだって! 」
自分の言葉を遮るような大声に 何事かと思ったが、 灯里が今から話そうとしているのが、 自分が一番聞きたかった部分だと気付き、 奏多は説教を引っ込めて彼女の話に耳を傾けた。
「小桜さん、 全部話してくれたよ。 自分はカナ君の彼女だから、 この家に自由に出入りしていいんだって。 だけど、 このことがバレるとモテなくなるから誰にもバレたくないって」
「灯里…… 」
「それで、 私が来たからビックリしちゃって、 『誰にも言うな』って言い残して慌てて帰っちゃったの」
「灯里! 」
奏多の剣幕に肩をビクッと震わせ、 灯里は言葉を失って、 恐る恐る奏多の顔を見上げた。
「灯里、嘘をつくな。 凛はそんなこと言わないよ、 絶対に」
「嘘じゃないよ! 本当に…… 」
「灯里っ! …… 見くびるなよ。 自分の彼女の性格くらい、 さすがの俺だってちゃんと分かってるんだよ。 凛は自分が俺の彼女だって自分からペラペラばらしたりしないし、 モテたいだなんて思ってない」
「…………。 」
「頼むから…… ちゃんと話してよ、 灯里」
いつも温厚で、 何をしても怒らず甘えさせてくれた奏多が、 今は目の前で声を荒げ、 必死になっている。
それはあの人、 小桜凛のため…… 。
悔しい気持ち、 悲しい気持ち、 そして憎い気持ち…… 様々な感情が湧き上がり混ざり合い、 灯里の心の中でハッキリとした形になっていく。
嫉妬
そのコントロール不能の感情が、 灯里の心をますます醜く狡く変えてしまったことに、 奏多も、 そして灯里自身も、 まだ気付いていなかった。
3/20/19 『恋人編』の後半部分から『2人の試練編』に章を分割しました。内容は変わりません。