9、 私はあなたにも自分にも誓う
その日の朝、 凛はいつも以上に緊張した面持ちで、 鏡の中の自分を見つめていた。
両頬を手で挟んでパシン! と叩き、 気合いを入れる。
不安げな顔が少しだけマシになった気がする。
そのまま「うん」と頷いて、 足元のカバンを手に持つと、 いつもの時間より10分早く家を出た。
学校に着いて校舎を2階に上がると、 既に廊下には人だかりが出来ていた。
凛に気付いた生徒たちが一斉にこちらを見たが、 その表情からは、今から見る結果が自分の期待通りのものであったかどうかは読み取れない。
皆の注目を一身に受けながら、 背筋をしゃんと伸ばして歩き出すと、 彼女が一歩進むたび、 旧約聖書でモーセが海を割ったように人垣が割れ、 道が出来ていく。
その間を通って目指す先には…… 中間考査の順位表が貼り出されていた。
1位 小桜凛 895点
2位 小木杉守 892点
3位 大野陸斗 797点
ーー やった!
狙い通りの順位に心躍らせていると、 「おめでとう」の声とともに後ろからポンと肩を叩かれた。
顔を見なくても誰かは分かる。 聞き慣れたその声に胸を弾ませ振り向くと、 想像通りの柔らかい笑顔で奏多が立っていた。
「凄いね、 1位。 頑張ったね」
「ありがとう」
目と目を合わせて微笑み合う。 だけど今はそれだけ。
飛びつきたい気持ちを必死で抑えて平静を装う。
ーー人目が無ければ今すぐ抱きつけたのに……。
「小桜おめでとう。 凄いな。 この点数だと、 9教科のうち殆どが満点ってことか」
「ありがとう、大野くんも3位おめでとう」
「ありがとう、 今回は引っ掛け問題が多かったからヤバイと思ってたけど、 ベスト3から落ちなくて良かったよ」
「奏多〜、 陸斗、 それと凛ちゃんも、 おはよう。 おっ、 3人とも高校に入っても上位50名にランクインしてんじゃん。 えっ、凛ちゃん1位?! 相変わらず賢いな〜 」
登校してきたばかりの一馬が感嘆の声をあげた。
不意に周囲がザワついて場の空気が変わり、 凛の隣に誰かが立った。
凛がそちらを見ると、 中間考査で2位の小木杉守が青ざめた顔で順位表を見上げている。
小木杉は順位表から凛に視線を移すと、
「くそっ! 今回はちょっと油断しただけだ、 次は絶対に1位を取り返すからな! 君も調子に乗ってるんじゃないぞ! 」
そうベタな捨てゼリフを残して、 学科別の順位表へと歩いて行った。
凛は黙ったままその姿を見つめていたが、 しばらくするとツカツカと小木杉の元へと歩み寄り、 彼の横で足を止めた。
「なっ……なんだよ! 」
「私…… 油断しないし、 調子にも乗らない。 だからあなたには負けないわ。 次も絶対に1位を取る」
唇をわななかせている小木杉を一瞥すると、 そのまま横を通り過ぎて教室へと向かった。
***
昼休みになり、 凛が自動販売機で飲み物を買っていると、 奏多がススッと寄ってきて、 「裏庭の非常階段」とだけボソリと囁いて去って行った。
お弁当と飲み物を持って言われた場所に行くと、 上から「こっち、 こっち」という声が聞こえた。
見上げても柵に隠れて姿はよく見えないが、 その声で呼んでいるのが奏多だということだけは分かった。
非常階段を恐る恐る登っていくと、 2階の踊り場のところで奏多がちょこんと座っていた。
「…… びっくりした、 こんな所に座ってるから」
「うん、 前に大和を呼び出した時に気付いたんだけど、 ここだと意識して見上げないと人がいるとは思わないし、 手摺りの柵で姿も見えにくいから、 下で喋るよりも更に安全かと思って」
「本当だ…… 」
そう言いながら凛が奏多の隣に座ろうとすると、
「ん…… こっち」
奏多が自分の足の間のコンクリートをポンポンと叩きながら、凛を見上げた。
凛は一瞬躊躇したが、 尚も目を見つめて床をポンポン叩いている奏多を見て、
「それじゃ…… お邪魔します…… 」
頬を赤らめながら、 その場所にすっぽり収まった。
「…… はい、 いらっしゃい」
後ろからギュッと抱きしめられると、 懐かしい場所に帰ってきたようで、 心からホッとした。
「どうしたの? 急に呼び出して」
「う〜ん…… ただ会いたかっただけ? 」
「嘘でしょ、 奏多はそれくらいでこんなことしないよ」
「ん…… そうだけど、 ゆっくり会いたかったのは本当だよ」
甘えた声を出しながら、 凛の髪に顔を埋めている。
「でも…… ちょっと気になっただけ。 あんな風に挑発するような凛は珍しいから」
ああ……と合点がいった。
奏多が言っているのは今朝の小木杉とのやり取りのことだ。
1位を取り戻すと言った小木杉に向かって、 負けないと言い返した。 他の生徒の目の前で。
確かにいつもの凛ならあんなことはしない。
適当にスルーしてやり過ごす。
だけど今回は……。
「あのね、 私、 これからちょっと頑張ってみようと思って」
凛が奏多の手をポンポンと叩きながら軽く振り返ると、 奏多も手の力を緩めて覗き込んできた。
「頑張るって…… 凛はもう、 勉強も会計の仕事も十分頑張ってるだろ? 」
「う〜ん、 そういう表面的なものじゃなくて…… 内側の問題っていうか、 精神的な部分っていうか?…… 今まで逃げてたものに、 ちゃんと向き合うことにしたの」
「そうか…… 頑張ることはいいと思うけど、 何かあったらちゃんと教えて欲しい。絶対に1人だけで無理しないで」
「分かった。 ありがとう」
前で組まれた奏多の両手を包み込んで、 その指先に、 そっと唇を寄せる。
すると、 それがまるで、 大切なものに忠誠を誓う神聖な儀式のように思えた。
そう、 私はあなたに誓う。
こうしてあなたといるために、 もう目の前の障害から目を逸らさないと。
私は自分に誓う。
自分が奏多といられるために、もう2度と逃げたりしないと。
ーー まずは中間考査で1位になった。 そして次の期末考査でも…… 絶対に1位を取る。
今朝の小木杉への発言は、 自分へのプレッシャーだ。
自分自身を追い込んで、 逃げ道を失くして…… そして、 周りが文句を言えないくらい、 認められる自分になる。
それが出来たら、 その時は……。
「奏多…… 好き」
「うん…… 俺も……大好き」
凛を抱く手に力がこもり、 奏多の唇が首筋に触れた。
3/18/19 日間現実世界〔恋愛〕にランクインさせていただきました。 ブックマークやポイントで評価して下さった皆様、 感想やレビューで応援して下さった皆様、 どうもありがとうございました。