8、 相合い傘と雷鳴
土曜日は朝から既にどんよりした曇り空で、 午後になると上空に大きな入道雲が浮かんでいた。
奏多と陸斗が電車を降りた時にはとうとう雨が降り出して、 遠くの方で雷鳴まで聞こえていた。
「参ったな、 こんなに降るとは思わなかったよ。 こんな天気の日に付き合わせて悪かったな」
「別に構わないよ。 今日はサッカーの試合も無かったし、 叶恵さんの頼みじゃ断れないしな。 それに…… 勉強会に2人で行くのはどうなのかと、 俺も思ってた」
昨日の夜になって、 叶恵が急に、 「一馬と陸斗も勉強会に連れて行け」と言い出した。
2人だけだとボロが出そうだからフォロー出来る人間が必要だと言われ、 一馬と陸斗にメールを送ったところ、 運良く陸斗の予定が空いていた。
「それにしてもさ、 どうしてお前は傘を持って来なかったの? 」
「ああ、 電車に乗るまでは降ってなかったから大丈夫かと思って。 奏多の傘に入れてくれ」
「いいけどさ…… 男同士で相合い傘ってどうよ…… 」
「いいだろ、 帰りはお前が小桜の傘に入れてもらえば」
「おおっ、 陸斗、 でかした! 」
黒い傘に2人で入って、 バシャバシャと図書館まで走った。
***
駅から徒歩3分の距離にある千草図書館に着くと、 1階奥の自習スペースで灯里が待っていた。
奏多と陸斗が6人掛けの大きな机の反対側に座ると、 灯里が不満げな顔で奏多を呼んだ。
「カナくん、 隣で教えてよ」
「いや、 俺は…… 」
「奏多はこっちだ。 灯里ちゃんの隣は小桜。 今日の先生は小桜で、 俺たちはあくまでも付き添いだからな。 奏多、 俺たちは自分の宿題を済ませるぞ」
「おっ、 おう…… 灯里、 凛が練習問題を作ってきてくれる。 彼女が来るまでテスト範囲のノートの見直ししてて」
やはり陸斗を連れてきて良かった。 いくら従兄妹とはいえ、 凛がいい気がしないと分かった今は、 もう灯里の隣に座るわけにいかない。
「なんかつまんないな〜 」
ほんの数分ノートを見ただけで、 灯里はもう頬杖をついてシャープペンシルを指で玩んでいる。
「灯里、 これくらいで飽きてちゃ、 このさき受験勉強なんて出来ないぞ」
「カナくんが教えてくれたら頑張れるよ」
「お前なあ〜 」
「遅れてごめんなさい」
ちょうどいいタイミングで凛が現れた。
凛は塾の自習室で勉強をしてからそのまま図書館に来ると言っていたのだが、 それを証明するように、 彼女が肩に掛けてきた大きなトートバッグを机に置くと、 ゴトッと硬くて重たい音がした。
「自分の勉強のあとで先生役とはすごい精神力だな。 さすが学年2位」
陸斗が机に並べられていく筆記用具や参考書を見て感心していると、 チラッと目線を上げた凛が、 「次も負けないわよ」と口角を上げる。
「良かったな、 灯里。 今日は学年2位と3位が教えてくれるんだ、 分からないことがあったら何でも聞けよ」
「ふ〜ん…… 陸斗さんって凛さんの彼氏ではないんですよね? 」
「俺は彼氏ではないけど、 クラスの男子はほとんどが小桜のファンだよ」
「ふ〜ん…… さすが滝高のマドンナだ〜 」
「それじゃ、 凛さんって彼氏はいないんですか? 」
「えっ? 」
「凛さんは今、 好きな人はいるんですか? 」
凛が答えを言い淀んでいると、 すかさず陸斗が間に入る。
「灯里ちゃん、 俺たちは君の勉強のためにわざわざここまで来てるんだ。 時間を無駄にしてないでさっさと勉強を始めてくれないかな」
低い声で言われ、 灯里は一瞬だけ怯えたような顔を見せたが、 すぐに「は〜い」と言ってノートに向き直った。
凛は灯里に自作のテスト問題を渡すと、 まずはそれを解かせて学力レベルを調べ、 間違った答えの解説をしてから参考書で似たような問題を解かせる…… という流れで、 要領よく勉強を進めていった。
奏多は自分の宿題をするフリをしながらチラチラと凛を盗み見て、 自分の彼女の見事な先生ぶりと、 いつもの美しい姿勢に惚れなおしていた。
そして、 そんな自分を険しい表情で見ている灯里の様子にも気付かず、 浮かれ気分で宿題のプリントに鉛筆を走らせていた。
予定の5時を15分ほどオーバーして勉強会は終了し、 4人揃って図書館の玄関まで出た。
来た時よりは、 やや衰えたものの、 まだ雨脚は強く、 軒下から落ちる雫がピチャピチャと大きな音を立てている。
「それじゃ俺たちは駅だから、 気をつけて帰れよ」
「カナくん、 家に寄ってかないの? 」
「うん、 俺は2人と一緒に帰るから」
「ふ〜ん…… 」
灯里は膝下まである白いレインコートを着ると、 バイバイと手を振る奏多に返事もせず 、 無言で自転車を走らせて行った。
「それじゃ、 俺たちも帰りますか。 凛も陸斗も、 今日はありがとうな」
「おう…… だけど奏多、 あの子には気をつけろよ」
「あの子? 」
「灯里ちゃんだよ。 小桜にいろいろ聞いて探ってただろ。 結構鋭そうだから用心した方がいい」
「ああ…… でも、 探るって…… 」
「お前はあの子と違って鈍いからな……。 まあいい、 ほら、 傘をよこせよ」
陸斗に言われて、 図書館に来るときに話していたことを思い出した。
ーー相合い傘!
陸斗が差し出した手のひらにパシッと傘を乗せると、 彼は「お先にっ! 」と黒い傘をさして駆け出して行った。
残された奏多は横にいる凛をチラッと見て、 はにかみながら、
「すいませんが、 傘に入れてもらえませんか? 」
と聞いた。
「はい、 いいですよ」
凛が水色の傘を奏多に差しかけると、 奏多が傘の柄を左手で取り上げて、 右手で彼女の肩をグッと抱き寄せた。
「それじゃ、 走るよ」
「絶対に濡れるよね」
「行くぞっ! 」
「キャッ! 」
バシャバシャと飛沫を上げながら、 ぴったり寄り添って走って行った。
その姿を、 遠くで自転車を停めた灯里がじっと見つめていたことに、 2人は気付いていなかった。
遠くの空で、 雷が鳴っていた。