7、 数え切れないほどのキスをしよう
灯里に勉強を教える日は、 ゴールデンウィーク明けの土曜日、 午後2時から5時の3時間。
場所は灯里のいる街の図書館に決まった。
その前日の金曜日、 凛が百田家に着いてすぐに、 『予習しなくちゃね』と言い出した。
「予習? 何の? 」
「えっ、 灯里さんのテスト勉強の予習に決まってるでしょ」
「えっ? わざわざ予習するもの? 」
「そうだよ、 だって責任重大でしょ? 」
奏多は正直、 凛が今回の件にこれほど真剣に取り組んでいるとは思っていなかった。
だって、 凛が灯里の勉強を手伝うと言ったのは、 奏多が教えることになるのを阻止するためだったから。
そのことを後でみんなから聞かされて驚いたが、 実際のところ、 1回限りでテスト勉強を見てあげるくらいなら…… と思ったのは事実だったので、 凛が前面に出てくれたのは正解だったのだろう。
たかが従兄妹に勉強を教えるだけのことだけど、 それだけのことにも凛がヤキモチを妬いてくれたのだと思うと、 かなり嬉しかった。
それに、 そのお陰で学校の外で凛と会えることになったのだから、 結果オーライだ……。
奏多以外のみんなは灯里の奏多への気持ちを見抜いているのに、 当の本人だけが気付いていないという奇妙なねじれ現象のまま、 金曜日の放課後を迎えていた。
***
「わあっ、 なんか凄く久し振りかも」
奏多の部屋に入って開口一番、 凛が弾んだ声を上げた。
最後に凛がこの部屋に足を踏み入れたのはいつだったか…… 確か、 高校に入ってすぐの頃、 落ち込んでいた奏多を慰めようとした時だった。
それさえも、 ほんの数分の出来事。
だから、 恋人としてちゃんと招き入れられたのは、 今日が初めてということになる。
奏多の勉強机に向かって、 凛が自分が昔使っていた参考書を広げている。
「それじゃ、 ポイントだけノートにまとめておく? 数学は因数分解、 英語は現在進行形と過去分詞を抑えておけばいいんだったよね……って、 奏多? 」
「う〜ん…… 初めて彼氏の部屋を訪問したのに、 なんかあっさりし過ぎ」
キャスター付きの回転椅子に座っている凛に後ろから抱きついて、 奏多が耳元で不満げに呟いた。
顎を凛の肩に乗せると、 ギシッと椅子が軋む音がした。
「俺なんて、 昨日から結構ドキドキしちゃって、 今日の授業中もあまり集中できなかったのにさ…… なんか俺ばっか意識してて悔しいな」
子供っぽく拗ねているのが可愛くて、 凛は前に回された手にそっと触れながらクスリと笑う。
「私だって意識するよ…… 緊張してる。 だって初めて彼女としてこの部屋に来たんだもん。 私もどうしたらいいか分からないから、 とりあえず勉強して気持ちを落ち着かせようと…… 」
そう言い終わらないうちに、 奏多が椅子をクルリと回して自分の方に向けた。
椅子の背もたれに手を置いてゆっくりと顔を近づけると、 凛が目を閉じる。
そのまま当たり前のように優しいキスをして、 おでこをコツンとくっつけた。
「どうですか? 彼女の小桜さん、 少しは緊張がとけましたか? 」
クスクス笑いながら冗談めかして言うと、 凛が顔を赤くして、
「う〜ん…… 余計にドキドキしたかも」
と照れたように笑った。
海でデートして以来、 約2週間ぶりの2人きりの時間だった。
嬉しいけれど緊張してて、 ドキドキするけどゾクゾクしている。
胸のあたりが、 いつもよりソワソワして落ち着かない、 そんな感覚。
「こういうの、 憧れてたんだよな〜。 彼女が部屋に来て、 飲み物とかお盆に乗せて運んできて、 どうぞ座って…… みたいなの」
「え〜っ、 まだお盆もジュースも来てないし、 その前にいきなりキスされたんですけど…… 」
「うん…… デート以来だったんで、 ちょっとがっつき過ぎた。 そこは反省してる」
「ふふっ」
「……今ので何回めかな? 」
ギュッと抱きしめたままで聞かれ、 凛は一瞬質問の意味が分からなかったが、 すぐに「ああ」と頷いて、 上目遣いで考える。
「キスは…… 6…… 7回目? ……かな? ちょっと怪しくなってきた。 ハグは…… ふふっ、 もう覚えてない。 それじゃ奏多は覚えてる? 」
「俺はもう多過ぎて忘れた」
「え〜〜っ! 」
「…… でも、いいよな、 もう数えなくて。どうせこれからもっと数えきれないくらいするんだし」
「…… そっか。 数え切れないくらいするんだ」
「…… うん、 するよ。 沢山」
そう言ってもう一度キスをする。
そうだ、 俺たちはこれからだって、 何度も抱き締めあって、キスをする。
心臓がドクドクと脈打つように、 無意識に息を吸って吐き出しているように…… それが自然で、 まるで当たり前であるかのように。
そして、 当たり前のようにずっと隣にいられたらいいな……と、 そう思う。
「さあ、 それでは予習頑張りますか? 」
凛がクルリと椅子を回して机に向かう。
「ええ〜っ、 もう? あと10分だけ」
そう言いながら奏多がまた後ろから抱きついてくる。
「キリが無いよ。 じゃあ3分だけね」
「短い! 5分ちょうだい! 」
「う〜ん…… じゃあ、 あと8分ね」
「えっ?! 延びてんじゃん! 」
「ふふっ、 ホントだ」
恋人同士でいられる束の間の時間を、 仲睦まじく、 密やかに過ごす2人だった。
それはまるで、 嵐の前の静けさのように、 穏やかな時間だった。