5、不純な動機じゃダメですか (前編)
叶恵と灯里の確執は、 9年前の春、 叶恵が中学校に入学した直後から始まった。
元々、 6歳も歳の離れた従姉妹に対して特に興味は持っていなかったものの、 だからといって嫌ってはいなかったし、 せがまれれば面倒くさがりながらもかくれんぼに付き合ったり絵本を読む程度のことはしていた。
だけど、 叶恵は大勢で遊ぶよりは1人で本を読んだり絵を描く方が好きだったし、 変な赤ちゃん言葉で小さい子のご機嫌を取るのが性に合わなかったので、 伯母一家が遊びに来ても大抵は2階の部屋にこもって、 灯里の相手はもっぱら弟の奏多に任せていた。
その日も伯母が灯里を連れて百田家に遊びに来ていて、 叶恵は自分の部屋でジグソーパズルを組み立てていた。
当時人気だったアニメ『美少女戦士 セーラースター』の1000ピースを1週間かけてコツコツと繋げ、 残るはあと1/5程になっていた時、 悲劇は起きた。
ここまで読んだ大抵の人が予想する通り、 パズルを灯里に滅茶苦茶にされた。
突然部屋に乱入してきた灯里が自分もパズルをしたいと言い出し、 叶恵が拒否すると親に泣きついた。
仕方なく数ピースだけ手渡したら難しいとキレて、 パズルを下のフレームごとひっくり返してバラバラにした。
叶恵が激怒したら大泣きして母親に告げ口され、 叶恵の方が被害者なのに、 『それくらいのことで』と叱られた。
そこからはもう、 とにかくベタな展開だ。
叶恵が留守の間に部屋に入って『セーラースター』のヒロイン『星野ことり』のフィギュアを着せ替え人形にしていたり、 フィギュアの足を折ってしまったり。
灯里が分別のつく年頃になってからも、 貸した漫画のページが折れていたとかジュースのシミをつけて返されたとか、 そういうことが何年もかけて積み重なって、 叶恵が高校を卒業する頃には完全に『犬猿の仲』、 『ヘビとマングース』状態になっていた。
「あの子はね、 とにかく自分が不利になると親に泣きつきに行くの! 」
思い出すだけでも腹立たしいというように、 叶恵が紅茶の入ったティーカップをガチャン! とダイニングテーブルに置いた。
あっ、 1客5千円のティーカップが…… と凛は思ったが、 今はそんなことを言える空気では無かったので、 黙って椅子に座っていた。
今は灯里が帰った後の百田家で、 叶恵によって『灯里による悪行の数々』が暴露されている最中だ。
灯里は皆でケーキを食べ終わるまでちゃっかり奏多の隣を陣取って居座っていたが、 叶恵がこれから漫画用のデッサンを描くからと言って無理矢理帰らせた。
「え〜っ、 まだ他の人は残ってるのに、 私だけ?! ズルイ! 」と文句を言っていたが、
「ここにいるのは全員選び抜かれた私のモデルだっ! あんたレベルじゃデッサンに使えないんだよ! 」
と一喝して追い出した。
「俺がオモテまで送ってくよ」と一緒に玄関に向かった奏多に「カナくん優しい、 大好き! 」
と笑顔を向けたあと、
「カナちゃんって本当にイジワル! 漫画ばっか描いててオタクみたいっ! 」
と捨て台詞を吐いて出て行ったので、 叶恵の怒りはMAXになっているのだった。
「第一さ、 今日は私の誕生祝いなのに、 祝う気が皆無だったよね。 微妙な空気を読んでない、 空気クラッシャーだったよね」
そして怒りの矛先は、 すぐに奏多の方へと向かった。
「奏多……なんであんた、 灯里の勉強教えるのを引き受けたのよ」
凛の必死の攻防により、 せっかく灯里が諦めかけていたのに、 奏多の問題発言で全てが台無しになってしまった。
そのせいで萎れかけていた灯里が息を吹き返し、 有頂天で家に帰らせることになったのだ。
叶恵だけではなく、 その場にいる全員からの冷たい視線が奏多に突き刺さる。
「なんでって…… 凛が教えるっていうし、 だったら俺もいた方がいいだろうって…… 」
「あんたはバカっ! 本当に大バカっ! 空気読めっ! 」
だけど奏多には、 どうして自分がそこまで責められるのかが分からない。
灯里に勉強を教えるのがそんなに悪いことなのか?
それとも……。
「…… そりゃあさ、 我ながら不純な動機だとは思うよ。 従兄妹に勉強を教えるっていうのにウキウキしちゃって邪な気持ちを抱えてさ。 こんなの良くないとは思うんだけど…… 」
「奏多っ、 あんた、 何言ってんの! 」
「奏多、 お前っ! 」
奏多が口を尖らせて照れたように言うと、 叶恵がガタンと音をさせて立ち上がり、 奏多の隣にいた一馬が奏多の襟首を掴んで怒鳴った。
陸斗や大和も腰を浮かせ、 怒りの表情を浮かべている。
「百田先輩…… あんたを軽蔑するよ。 よくもそんなこと、 小桜先輩の前で言えるね」
「軽蔑って…… ちょ、 待てよ。 そんな怒ること? 」
叶恵がツカツカと奏多に歩み寄り、 一馬から奏多を引き取って、 バシン! と頬を叩いた。
「痛って…… 」
頬を押さえて床に転がっている奏多を見下ろし、 叶恵が唇を震わせる。
「あんたって子は…… 私は今ほど自分の弟を情けないと思ったことないわ。 今すぐここで凛ちゃんに謝りなさい、 土下座して」
「へっ? 土下座?! 」
「早くっ! 土下座してっ! 」
わけの分からないまま正座させられて、 奏多が困惑したまま凛を見上げると、 彼女は目を赤くして唇を噛み、 怒りと悲しみが混じった表情でじっと奏多を見つめていた。




