22、 離れがたい2人
『帰るまでが遠足…… 』
とはよく言うけれど、
やっぱり遠足は行った先で楽しむまでが本番で、 あとは疲れた身体を引きずりながら、 事故が起きないよう無事に帰るだけの消化試合みたいなものだと思う。
例えば庭先で手持ち花火を楽しんでも、 あとはまぶたの裏に焼きついた光の残像と燃え残った残骸、 そして火薬で濁ったバケツの水と憂鬱な後片付けが残っているだけだ。
どちらも始めるまでの、 行くまでの高揚感が一番のピークで、 そこから先は、 既に終了までのカウントダウンが始まっている。
今日のデートだって同様で……
いや、 凛と一緒に過ごした一日は、その一瞬ごとがウソみたいに楽しくて、 全てがピークと言っても過言ではない、 夢のような時間だった。
それでも、 朝の電車で凛と合流して隣に座ったその瞬間から、 常に心のどこかでは終わりの時間を意識していて、 帰りには絶対に切なくなるんだと分かっていて……。
楽しいけれど、 時計を見るたびに胸がギュッと苦しくなる、 そんな一日だったような気がする。
帰りの電車で揺られながら、 奏多と凛は手を繋いで2人掛けのクロスシートに座っていた。
凛は奏多の肩にもたれ掛かってウトウトしている。
無理もない。 朝から1時間弱の電車移動をして、 そのあと散々歩きまわった挙句、 最後は極寒の浜辺でガタガタ震えていたのだから。
暖かい電車内で眠たくなるのも当然だろう。
奏多も眠くないと言えば嘘になるけれど、 今はそれよりも、 隣で安心して自分に寄り掛かっている彼女を見守っていたい気持ちの方が強くて、 睡魔よりも責任感の方が勝っていた。
守りたいものができた瞬間に、 自分は男になったのだと思った。
凛の顔にかかった一筋の髪の毛に気付き、 指ですくってそっとかきあげると、 触れたところから、 『愛しい』という気持ちが溢れ出した。
そのまま指で綺麗な形をした唇をなぞると、 彼女はうっすらと目を開けて微かに微笑み、 安心したようにまたすぐ閉じた。
奏多はそのまま視線を窓の外に移すと、つい先程まで座っていた浜辺でのことを思い出していた。
***
風の吹きつける浜辺でお互いを暖めあうような長い口づけを交わしたあと、 凛が 奏多の肩にコツンと頭を乗せてきた。
奏多は繋いでいた指をそっとほどき、 その代わりに彼女の肩を強く抱き寄せた。
「タオルがあって良かったね。 周りから見えない」
凛に言われて、 ああ、 キスのことか…… と思い、 奏多は慌てて周囲をキョロキョロ見回した。
「…… いや、 関係ないみたいだよ」
気付くと周りはカップルで溢れていた。
皆一様に冬物のコートやジャケットをきっちり着込んでおり、 防寒対策バッチリである。 毛布持参で奏多たちのようにくるまって暖をとっているツワモノまでいる。
そして、 皆一様に自分たち2人の世界に浸り、 寄り添って、 恋人の時間を過ごしていた。
「みんな今は自分たちしか見えてないよ」
「そうだね」
「あの人達もこの後、 別々の家に帰って行くんだよな…… 」
「でも、 同棲してるカップルとか、 結婚してる人達もいるんじゃない? 」
「そうか…… 帰る先が一緒って、 羨しいな」
「うん…… 帰りたくないな…… 」
凛がポツリとこぼしたのを聞いて、 胸が締め付けられた。
自分だって同じ気持ちだ。 帰りたくない。
今はこうして隙間のないくらいピッタリ身を寄せ合っているのに、 今から数時間後には、 ただのクラスメイトの2人に戻らなくてはならない。
「俺、 早く大人になりたい…… 」
「うん」
彼女を攫っていける、 彼女の全てに責任を持てる大人になりたい。
心からそう思った。
「俺さ…… 将来は航空機やロケット開発に携わるSEになりたいんだ」
「ロケット? 」
「うん。 大学の工学部で航空宇宙工学を専攻する」
奏多が誰かにこの話をするのは初めてだった。
幼い頃、叶恵の部屋で読んだ、 兄弟が宇宙飛行士を目指す少年漫画に感動して、 宇宙飛行士に憧れた。
「主人公のセリフを真似してさ、 『宇宙に俺の一番の金ピカがあるんだ! 』なんて言って、 NASAのことを調べたりもしてたんだ。 でも、 宇宙飛行士の条件がさ…… 海でもちゃんと泳げなきゃいけないんだよ」
奏多は小学1年生の時、 家族で行った海水浴で、 波にさらわれて溺れかけたことがある。
ライフセーバーが出動してボートで助けられ、 人工呼吸により一命を取り留めたが、 それがトラウマで、 プールや足のつく浅瀬は大丈夫だが、 深い海で泳ぐのが怖くなった。
「それで宇宙飛行士は憧れで終わったんだけどさ、 その時知ったロケットのこととかJAXAのことが頭に残ってて、 自分が宇宙に行けなくても、 宇宙や空に行く乗り物の開発には携われるじゃん! って」
凛はずっと黙って聞いていたが、 奏多の話を全て聞き終わると、 奏多の肩から頭を上げて、 嬉しそうに微笑んだ。
「奏多が初めて自分の夢を話してくれた。 奏多っていつも私の話を聞いてくれてばかりで、 自分のことってあまり言わないよね? 」
「初めて? …… そうだな、 俺自身、 こういうことを話したのは凛が初めてかも」
「お姉さんにも? 友達にも? 」
「うん、 そう言えば、 姉貴にも一馬たちにも言ったことなかったわ。 だけど、 ここで飛行機を見てたら話したくなった」
たぶん…… これは凛だから聞いて欲しかったんだろう。
彼女とはこの先もずっと一緒にいたいから、 一緒に歩いて行きたいから、 自分の将来のこと、 未来のことを、 彼女に分かっておいて欲しかった。
これが、 まだ高校生の自分なりに出来る、 精一杯の覚悟だ。
「今はまだ、 ただの夢だけど…… きっとそれを実現させて、 凛の隣にいるのに相応しい男になるように…… 頑張るよ」
「うん…… 聞けて良かった。 今日ここに奏多と来れて、 話が聞けて良かった」
春の海は、 めちゃくちゃ寒かったし、 思っていたシチュエーションとは違っていたけれど……。
シアワセだから、 結果オーライだ。
冷たい風に身震いしながらも、 心は満足感で満たされていた。
***
電車は各駅停車の地点を通過して、 都心の主要駅に近付いてきた。
凛が体を起こし、 不安そうな表情で奏多を見た。
「それじゃ俺、 そろそろあっちに行くね」
奏多は荷物を持って立ち上がり、 少し離れたロングシートに移動した。
夢が醒めて現実に戻る時間がやってきた。もう隣にはいられない。
だけど、 お互いの存在は感じていたいから、 席は離れても同じ車両にいることにした。
凛の家の最寄駅で、 彼女とは別の出口から電車を降りると、 少し距離を空けてゆっくりと後ろからついて行く。
周囲に人がいないのを確認してから凛の手を引くと、 街灯のない横道に入り、 待ちきれないようにギュッと抱きしめた。
「ごめん…… 最後にちょっとだけ恋人の時間」
「うん…… 」
恋人の時間の終了、 カウントダウン。
5、4、3、2、1…… ゼロ
一旦体を離して、 だけど名残惜しくてもう一度強く抱きしめた。
そしてゆっくり手を離す。
「離れがたいね…… 」
そう凛に言われてもう一度抱きしめたくなったけれど、 キリがないから我慢した。
離れがたい…… 帰したくない。
だけど……
「エントランスに入るまでこっちから見てるからさ、 もう行って」
「……うん」
凛が奏多の頬に短いキスを残して歩き出した。
束の間の恋人の時間は終わって、 明日からまたいつもの日常が待っている。
夢の余韻を味わうように、 凛の姿が見えなくなっても、 奏多はしばらくその場に立ち尽くしていた。




