19、 はじめてのデート (前編)
ビュオオオオオオーーーーーー
激しい風に体を揺さぶられながら、 2人は海岸に立っていた。
右手で必死に髪を押さえている凛の隣で、 奏多が口を開いた。
「あれ、 なんだったっけ。 春の海の…… 」
「お琴で演奏する? 正月の曲? 」
「違う、 そっちじゃなくて、 『ひねもす』ってやつ」
「ああ、 蕪村? 」
「そう、 それそれ」
「俺、 ああいうのを想像してたんだけど…… 」
「うん」
しばらくの沈黙ののち、 奏多がぼそりと呟いた。
「なんか…… ごめん」
『春の海 ひねもすのたり のたりかな』
by 与謝蕪村
ーー 蕪村さん、 春の海は全然のたりのたりしてませんでした……。
ビュオオオオオオーーーーーー
***
金曜日の夜、 奏多は自室のパソコンに向かい、 のんびり浮かれてひたすら検索をかけまくっていた。
『デートプラン』、 『オススメ』、 『初デート』
ーー くっそ、 逆に情報量が多過ぎてプランが絞り込めんっ!
駄目元で凛にデートをしたいとせがんだら、 予想に反してOKが出た。
彼女的には樹先輩に会うという後ろめたさがあったのだろうし、 自分がそこにつけ込んだ感は否めない。
多少の後ろめたさはあるものの、 だからといって、 それが貴重なチャンスを諦める理由にはならなかった。
それにしても…… 大体、 デートというのは、 何処からどこまでをそう呼ぶのだろう。
一緒に歩く、 一緒にお喋りをする、 一緒に食事に行く、 一緒に買い物をする、 一緒に遊ぶ……。
2人で歩いたことは何度もあるし、 お茶を飲んだり食事なら既に家で普通にしている。 もちろんお喋りも。
この前は公園で長時間一緒に過ごしたけれど……
だけどアレをデートと呼ぶには何か違う気がする。 断じて違う…… と思う。
試しに、『デートとは』と打ち込んでみた。
『デートは、日時や場所を定めて男女が会うこと』
ーーなんだコレ! そんなの思いっきり最初の図書館でやってるじゃん!
イラッときて、 パソコンの蓋をバシンと勢いよく閉じた。
「もういい! 頼りになるのは機械じゃなくて姉貴だ」
漫画パレスにいる叶恵の元に行くと、 漫画の構想に煮詰まっているのか、 ことさら不機嫌だった。
「はあ? デートプラン? そんなの知るかっ! とりあえず海に行っとけ! 」
「海? 」
「青春の基本は海と夕陽だろうがっ! 邪魔だからそこにある漫画を持って出てけ! 」
再び部屋に戻って叶恵に渡された少女漫画を開いてみると、 確かに初デートで海に来たメインカップルが、 ウフフ、 キャハハと満面の笑みで砂浜を走っていた。
極め付けが、 夕陽を見ながら手を繋いで…… の流れでキス。
ーー これっ、 イイ!
かくして2人の(初?)デートは春の海と決まったのだった。
***
待ち合わせは、 目的地に乗り換えなしで行ける大きな駅のホーム。
もちろん別々の車両に乗り込んで別々に座る。
主要な駅を過ぎて各駅停車になった時点で、 周囲に知人がいないかもう一度確認。 メールで連絡を取り合って、 席の空いている方の車両に移動して合流…… という事にした。
日曜日の朝9時1分の特急に乗り込んで7駅過ぎたところで、 凛が奏多のいる車両に入ってきた。
ガタンと開いた扉から、 薄いピンク地のプリーツスカートに白い半袖ブラウスを合わせ、 上にデニムジャケットを羽織った凛が現れると、 急に周囲が華やいだように見えた。
奏多が手を上げて「こっち」と呼ぶと、 パアッと花が咲いたような笑顔を浮かべ、 足早に通路を歩いてくる。
奏多はすぐに立ち上がって窓際の席を譲ると、 凛が奥に座るのを待って、 自分も隣に座った。
乗客の何人かが見惚れて目で追っているなかで彼女が隣に座るのは、 誇らしくもあり、 恥ずかしくもあった。
ーー だけどやっぱり一番の気持ちは、 『嬉しい』だな。
奏多がそう思ってニヤついていると、
「やっと隣に座れたね、 嬉しい」
凛がそう素直に言葉にしたので、 心の中だけで思って満足していた自分が馬鹿らしくなった。
ーー そうだよな、 せっかくの初デートなんだ。
人目を気にせず一緒にいられるこの時間を思いっきり楽しまなきゃ……。
「うん、 俺もめちゃくちゃ嬉しい。 昨日は興奮して全然寝れなかったし」
『嬉しい』と言葉にしてみたら、 それが実感として込み上げてきて、 もっと嬉しくなった。
ちなみに、 昨日全然寝れなかったというのは大袈裟だけど、 頭の中でデートコースのシミュレーションをしていたらなかなか寝つけなかったのは本当だ。
「え〜っ、 大丈夫? せっかくの景色も見ないで電車で寝ちゃったらどうするの。 もったいないよ」
「寝るはずないじゃん」
「本当? 」
「本当だよ」
「せっかく凛と過ごせるのに、 寝ちゃったらもったいない。 こんな貴重な時間、 一分一秒でも無駄にしたくないよ」
訝しげに見てきた凛の目をそう言って覗き返したら、 ポッと顔を赤らめて固まった。
「ふっ、 ふ〜ん…… そうなんだ」
「そうなんです」
そう言いながら凛の左手にそっと右手を乗せたら、 彼女が手のひらを上に向けて、 ゆっくりと指を絡ませてきた。
触れた指先を親指でそっとなぞったら、 彼女の肩がピクリと跳ねた。
緊張と喜びとトキメキと…… 今日への期待が加速した。
ギュッと強く恋人繋ぎにして、 窓の外を流れていく景色を黙って一緒に追いかけた。
今はまだ朝の9時半過ぎ。 家に帰るまで約8時間。
ずっと待ち望んでいた2人きりの時間が、 今ようやく始まった。