17、 男と男の内緒の話 (中編)
『裏口入学でも何でも出来るじゃない』
その言葉を聞いて、 大和は頭にカッと血が上り、 思わず立ち上がった。
「裏口入学なんて…… 先輩からそんな言葉を聞くと思わなかったよ! なんなんだよっ! 」
「興奮しないでちゃんと話を聞けよ」
顔を紅潮させて怒鳴っている大和にも動じず、 樹は相変わらず摑みどころのない笑みを浮かべている。
「君は第一希望に落ちて滝中に来た。 それと同じで大学だって、 第一希望に入れなかったら、 第二、 第三希望の大学に行けばいい。 それでもダメなら親のお金でどこかの落ちこぼれ子息専用の底辺大学に行けばいい」
「ちょっと先輩、 何を言ってるんですか! 酷いです、 やめて下さい! 」
凛が樹の発言を諌めようとしたが、 彼はそれを無視して話を続けた。
「実際にそうして医師になっていく人は沢山いる。 それでもとりあえず卒業して国家試験さえ受かれば、 みんな同じ医師だ。 患者からはバカも天才も出身大学も分からない」
「それは…… 」
お金で医者になればいいと言っているのだ。
いくら憧れの先輩の言葉だとしても、 それには大和も同意出来なかった。
「納得いかないって顔をしてるね。 いいかい、 国家試験なんて過去問と参考書の丸暗記だ。 脳味噌に無理やり詰め込めばどうとでもなる。 記憶力がいいヤツが優秀な医師になるとは限らないのに、 そんなもので医師になる資格を判断しているのが今の現状だ」
樹の言っていることはあながち間違いではない。
だけど……。
「手段を使えば医師免許は取れるんだ。 だけど、 いいかい? 重要なのは、 人の命を扱う覚悟と人間への優しさがあるかだ。 真摯な気持ちと奉仕の精神、 そういったものは勉強したって簡単に身につくものじゃない」
樹の表情が急に真剣なそれに変わり、 立ち上がったままの大和を鋭い視線で見上げた。
その場の空気が緊張感に変わり、 大和は思わず姿勢を正した。
「君は、 『こんな自分でいいんだろうか』と悩み、 周囲の期待に沿おうと足掻いている。 それは優しさであり思いやりだ。 そして一度挫折を味わい、 高くなった鼻っ柱をポッキリ折られた。 悩める人の気持ちも分かっただろう。 僕から見たら、 最低限の医師への素質はクリアしてしてると思うけどね」
「…………。」
「君はこの学校に入学出来たんだから、 少なくともバカではない。 大丈夫、 裏口入学なんてしなくても君なら大丈夫だ。 普通にどこかの医学部に入って卒業したら、 僕を追いかけてこい。 その頃にはきっと僕は研修医を終えてバリバリ患者を診始めてる頃だ。 僕が君に医師としての心構えと技術をしっかり教え込んで、 『ホンモノの医者』に仕上げてやるよ」
大和が放心した顔で樹を見つめている。
言葉を発しなくても、 その憑き物が落ちたような表情で分かる。 先ほどまでとは違い、 彼が樹の言葉をストンと呑み込めたのだというのが、 凛にも分かった。
そして凛自身も……。
「樹先輩…… 私、 途中で口出しなんかして失礼でした」
「いいんだよ、 僕が言ったのは確かに暴論だったから。 小桜さんにとってもこの話はキツかったよね。 君も医学部志望だろ? 君の……君と大和くんのお父さん、 小桜先生は有名だからね。 この前も『優秀な胸部外科医100選』に選ばれてたのを雑誌で見たよ」
「…… はい」
「僕たちはたまたま医師という道を目指すことになったけどさ、 医師に限らず、 誰だって本当に好きな仕事に就けるとは限らないだろ? 親の希望で会社やお店を継ぐ人なんてザラにいる。 それは押し付けられて嫌々なのかもしれないけれど、 やり続ければそれが楽しくなって天職になるかも知れない。 今、 どうしても他にやりたいことが無いのなら、 目の前に敷かれたレールに乗ってみるのもアリなんじゃないか? 」
大和が再び椅子に座って頷いた。
「それは分かるけど…… 先輩はレールを外れて他の道に進むという選択肢を考えたことはないんですか? もしくは、 レールを外れる怖さを感じたことは? 」
大和の問いに寸分の迷いもなく、 樹が笑顔で即答した。
「ないよ。 他の道に行こうなんて考えたこともない。 父親のような医師になるのが僕の目標だからね。 そして、 今はその目標に向かって突き進んでいる最中だ。 出来れば脱線はしたくないけど、 もしそうなったとしたとしても、 どうにかして目標には辿り着くよ」
自信に溢れたその姿を見て、 大和はやはり、 この人と話して良かった……と思った。
そしてそれを隣で見守っていた凛も、 大和はもう大丈夫だと感じた。
きっと大和は、 誰かにこうやって、 『大丈夫だ、 付いて来い』と、 背中を押し、 手を引いてもらいたかったのだろう。
樹にとって尊敬する父親がそういう存在であったように。
たぶんそれは、 普通であれば父親である尊人の役割だったのだろうけど、 それが叶わないまま、 大和は1人で強がって進むしかなかった……。
だけど今は、 樹という存在ができた。 憧れの先輩という道標を目標に、 これからは前向きに進んで行けるだろう。
ーー そして今は私にも、 涙も愚痴も丸ごと受け止め支えになってくれる、 奏多という存在がいる……。
凛は無性に奏多に会いたいと思った。
今日ここで起こったこと、 自分が感じたことを、 奏多に聞いて欲しい、 話したい。
樹先輩の言葉に感動したと言ったら、 きっと彼はヤキモチを妬いて拗ねた顔をするのだろう。
そしてその後はきっと、 仕方がないと苦笑いして許してくれるのだ。
「ところで小桜さんは、 行きたいところがあるんじゃないの? さっきからずっと時計を気にしてるけど」
「あっ…… 」
樹に指摘されて気がついた。 自分でも無意識のうちに、 何度も時計の針を見ていたらしい。
「これからメガネの彼と会うのかな? デート? 」
「いえ、 デートというか…… はい」
「それじゃあ、 もう行ってもいいよ。 あとは僕と大和くんだけで大丈夫だから」
柔らかく微笑みながら、 樹が凛の腕時計を指差した。
「そのバングルウオッチ、 素敵だね。 ピンクとシルバーで可愛いし、 ハイブランドだけど高校生がつけてもおかしくないデザインだ」
「これですか? 中学の入学祝いで両親から貰ったものなんです」
「そうか、 細くてシンプルで君に似合ってる」
「ありがとうございます。 自分でも気に入ってるんです。 それじゃ、 お先に失礼しますね」
「うん、 それじゃ、 また。 気をつけて」
樹は顔の横でヒラヒラと手を振って凛を見送った。
しかし、 凛が部屋を出てドアを閉めた途端、 それまでのニコニコとした笑顔をサッと消して、 苦々しい表情に変えた。
「先輩、 女物の時計とか詳しいんですね」
「詳しくなんかないよ。 メンズならともかく、 女子のファッションとか興味ないよ」
大和の質問に素っ気なく答える。
「だって、 時計…… 」
「ああ、 あれは調べたんだよ。 小桜さんが前から身につけてたからね」
「えっ? 」
「それより見たか? 彼女がウキウキして出てくとこ。 今からあのメガネ君と会うんだろうな、 忌々しい。 きっとアイツは、 彼女がしてる時計のブランド名も知らないし、 気の利いた褒め言葉も言えないんだぜ」
急に砕けた口調になった樹に思考が追いついていない大和だったが、 樹はそんなことはお構いなしにグイッと身を乗り出して、 戸惑う彼を真正面からじっと見据えた。
「さあ、 ここからは、 本音の時間だ」
「えっ?…… 」
「男と男の内緒の話をしようか」
男と男の…… 内緒の話?……