14、 デートしてください
トントン、 というノックの音に凛が返事をすると、 ガラッと開いたドアの隙間から、 樹の顔が覗いた。
「ごめん、 まだ食事中だった? 」
「いえ、 終わったところです」
「今、 大丈夫かな? 」
「…… はい」
樹と会うのは凛が怪我をした日以来だった。
保健室で樹の告白を断ってから、 彼が昼休みにこの生徒会室に来ることは無くなった。
今もドアの内側には一歩も入らず、 その場で立ったままなのは、 ちゃんと距離を取ろうという彼なりの配慮なのだろう。
そういう所は流石だな、 やはり賢い人なのだ…… と思いながら、 凛は樹を黙って見つめた。
「放課後に生徒会の役員会議をしたいと思うんだけど、 今週の水曜日は空いてるかな? 」
水曜日ということは明後日……。 塾のない日だし、 特に問題はない。
「大丈夫です」
「良かった。 それじゃ水曜日の放課後に、 この部屋で」
「あっ、 先輩! 」
「……んっ? どうした? 」
告白を断った自分が、 これをわざわざ言うべきなのかと、 ここ数日考えていた。
結局答えが出ないまま、 こうして樹と何日かぶりに顔を合わせてしまったが、 やはりちゃんと伝えておこうと思った。
「私、 百田くんと付き合うことになりました」
それを聞いた途端、 樹が目を伏せて綺麗な顔を切なげに歪ませたが、 すぐに視線を凛に戻して、 柔らかく微笑んで見せた。
「そうか…… おめでとう。 多分そうなるとは思ってたよ」
一瞬の沈黙の後、 場を和ませるかのように、 明るい口調で言葉を続ける。
「それじゃ、 これからは、本当にただの先輩と後輩だね。 もうちょっかい掛けたりしないから、 先輩として、 生徒会長として、 困った時には遠慮なく頼って欲しいな」
「はい、 ありがとうございます……あっ」
その時、 凛はあることを思い出し、 ガタッと立ち上がった。
「先輩っ! 」
そのまま去ろうとしていた背中を呼び止めると、 振り向いた樹にこう言った。
「先輩、 早速頼ってもいいですか? 」
***
「ええええっ?! どういうこと? 」
「だから、 今言った通りのこと…… 」
「いやいやいやいやっ! なんでそこに凛も加わってるわけ?! 」
「だって知らない人を連れてくんだから、 私が行って事情を説明しないと…… 」
はーーーーっ……。
奏多は耳に当てたスマートフォンに向かって、 深くて長いため息をついた。
家で夕食が終わった頃に凛から電話がかかってきた。
大喜びで階段を駆け上がり自室に引き篭った途端、 衝撃の出来事を告げられた。
『金曜日に樹先輩と大和と3人で、 生徒会室で会うことになった』
だから生徒会室で1人ランチを食べさせるのは嫌だったんだ。
また以前のように一緒に教室で食べようと散々誘ったのに、 変に目立つ行動をとって注目を浴びたくないし、 1人でのんびり食べる方が気楽でいいのだと、 断固として拒否された。
それに、
『奏多と付き合っているとみんなに言えるようになるまで、 もう少し待って』
そう言われてしまっては、 凛の気持ちを優先せざるを得ない。
生徒会室にいる時間が長くなればなる程、 樹との遭遇の確率が上がることは予想出来ていた。
それでも結局折れたのは、 度量の狭い男だと思われたくないという格好つけと、 これ以上ワガママを言って嫌われたくないという 惚れた弱み以外の何物でもなかった。
だけど、 だけど……。
ーー 度量が狭いと思われてもいいから、 凛が樹先輩と会うのは嫌だとハッキリ言ってしまおうか……。
それを言えずに飲み込んでしまう自分は、 やはり良い格好しいなんだろう。
「それじゃあ、 今週の金曜日は会えないんだね」
「2人を引き合わせて、 私が必要なさそうなら先に帰ってこようと思ってるけど…… 」
「そうか、 仕方ないな。 それで大和くんが少しでも前向きになれたらいいな」
「うん…… 」
沈んでいく心とは裏腹に、 綺麗事を並べていた。
「奏多…… ごめんね」
「えっ? 」
「本当は嫌なんだよね……今すっごく我慢してるでしょ」
そんなの嫌に決まってる。
『そうだ』、『嫌なんだ』とハッキリ言ってしまったら、 凛はどうするんだろう。
それでも彼女はきっと、 大和のために動くことをやめないだろう。
そして、 自分はそんな彼女を好きになってしまったのだ。
凛と付き合うと決めたとき、 彼女に近寄る男へのヤキモチと焦り、 そして周囲からの嫉妬や中傷と闘う覚悟を決めたはずだ。
そうだ、 こんなに簡単に揺らいでどうする……。
「ねえ、 デートしようよ」
「えっ? 」
「付き合ってから、 ちゃんとしたデートしたことなかったよね」
「でも…… 」
「学校でも内緒にしたままだし、 せめて知ってる人が誰もいない遠くに行って、 人目を気にせずピッタリくっついて歩きたい」
こんな事を言えば凛を困らせるだけだと分かっているのに、
それでも、 胸をジリジリと妬くこの感情を、 不安な気持ちを抑えきれなくて、ただ 安心させて欲しくて……。
「お願いです…… 俺とデートしてください」
凛からの返事は聞こえてこない。
な〜んてね……と、 笑い話にしようとした時、 耳元で「いいよ」と聞こえて心臓が跳ねた。
「えっ?! 」
「分かった……デートしよう」
「でも…… いいの? 」
「いいの?……って、 奏多が誘ったんでしょ? 私だって人目を気にせず奏多と歩きたいよ」
「しようよ、 デート。 奏多と私、ピッタリくっついて歩こう」
胸がギュッとなった。
地獄から天国へ……。
恋をすると、 気分はこんなにも激しく乱高下するのだということを、 今ハッキリと学んだ。