13、 天使の気持ち (後編)
古びた滑り台とブランコしか無い公園に、 ほんわかと柔らかい春の日差しが降り注いでいる。
滑り台のステンレス部分が光を弾き、 周囲をキラキラ輝かせていた。
ちょうど日なたになったベンチもポカポカと暖かくなり、 もうすぐ若葉の季節になるのだと感じさせてくれる。
一通り話し終わった大和と、 涙が止まってようやく落ち着いた凛、 そしてその間にいる奏多。
3人ともしばらく何も喋らず、 キラキラ光る公園をぼんやり眺めていた。
「俺さ………… 」
大和が誰に言うともなく話し出し、 奏多がそちらに顔を向けた。
「人生って結構イージーモードだと思ってたんだよね。 普通にいい学校に行って、 医者になって、 伯父さんがおじいちゃんから継いでる病院を次は俺が継いで、 カワイイ子と結婚してシアワセになって…… このまま勝ち組人生だって」
「それが嫌になったの? 」
奏多が聞くと、 大和は苦笑しながら首を横に振った。
「嫌っていうか…… 怖くなった。 こう言うと傲慢だって思われるだろうけど、 それまで俺って挫折したことが無かったんだよね。 『神童』なんて呼ばれてチヤホヤされて、 自分でもそれを自然に受け入れていた。だけど、 受験に失敗して…… 期待されることが急に怖くなった」
伏せた長いまつ毛が、 表情に翳をつくっている。
奏多は凛や大和のような親からのプレッシャーも決められた未来もない。
だけど、 彼らの苦悩を推察することは出来る。
一見恵まれているように見える彼らは、 それに相応しい自分であるために、 誰にも知られないところで努力し続けているのだろう。
ゴールの見えないトンネルは怖いし不安だ。
だけど、 がむしゃらに歩き続ければ、 いつか必ず光が見えて、 トンネルの出口に辿り着くことが出来る。
片や、 凛や大和が進んでいるのは、 ゴールの決まった細いロープだ。
遥か先に見えているゴールを目指して、 『親の期待』という名の細いロープの上を必死で綱渡りしている。
足を踏み外したら真っ逆さまだ。 怖くて不安で心細くて…… だけどそれでも進もうと、 震える足を前に出す。
大和は、 そのロープから足を踏み外す怖さを知ってしまったのだ。
「あんたに…… 小桜さんに会いに行ったのもさ、 もしかしたら、 こういう話を誰かにしたかったのかも知れない。 ゴタゴタした家庭の事情なんて、 取り巻きの女とかには話せないしさ。 それと、 やっぱり…… 樹先輩に会って話を聞きたかったんだ。 先輩も医師を目指してるって知って、 余計にその気持ちが強くなった」
自分が2番手だと見下していたその学校で、 自信に溢れ、 輝いている人を見つけた。
自分がここに来たことは間違いじゃなかった、 決して惨めなんかじゃない…… そう思いたかった。
「なのに、 彼氏がまさかの地味眼鏡だったとは…… ガッカリだよ」
奏多の顔をマジマジと見つめながら、 おどけた調子で大和が笑う。
「はあああ? 俺だってそんなん言われて、 心からガッカリだわ! お前、 この前から眼鏡ってだけで、 よくもそんなにバラエティー豊かな暴言吐けるな。 世界中の眼鏡に今すぐ謝れやっ! 」
真顔で反論しているというのに、 大和は本当に可笑しいというように、 お腹を抱えて笑い出した。
それを見ていた凛も大笑いしだして、 間に挟まれている奏多が左右をキョロキョロ困惑顔で見るハメになった。
「でも、 まあ、 お陰でちょっと、 気持ちが楽になったわ。 世界中で俺だけが不幸みたいに思い込んでたけど、 よく考えたら小桜さんだって親の都合で振り回されてるんだよな。 結局のところ、 自分の将来のことなんて自分でどうにかしなきゃいけないんだし……まあ、 自分なりに頑張るわ。 悪かったな、 迷惑かけて」
そう言って立ち上がると、 ベンチに座っている奏多と凛を見下ろして、
「あんた達、 バカップルで本当にお似合いだわ。 百田先輩もさ…… オタク眼鏡の割には、 結構イケてる方だと思うよ。 俺や樹先輩の輝きには敵わないけどね」
「えっ? なっ…… 」
「それじゃ、 先輩、 お先に失礼しま〜す」
最後に相変わらずの憎まれ口を叩いて、 何か反論しようとする奏多を置いて歩いて行く。
振り向きざまに見せたのは、 屈託のない、 正真正銘の天使の笑顔……。
「ねえ、 ちょっと待って! 」
不意に凛に呼び止められて、 大和が振り向いた。
立ち上がった凛が、 大声で叫ぶ。
「私ね、 あなたがオレンジジュースを好きなこと、 知ってた」
「えっ? 」
奏多が凛の顔を「えっ? 」と見て、 遠くの大和も驚いた表情をした。
「昔、 子供の頃、 動物園に行ったの。 ベンチで休んでたらお義父さんがオレンジジュースを買ってきてくれて、 『息子が『みっちゃん』のオレンジジュースを好きなんでコレがいいかと思ったんだけど、 どうかな? コレで良かったかな? 』って。 お義父さん、 ちゃんと大和くんの好きなもの、 知ってたよ! 」
大和はしばし無表情でその場に突っ立っていたが、 顔をクシャッと歪めた瞬間に背を向け、 黙って『バイバイ』とでも言うようにペットボトルをブンブン振って、 公園を出て行った。
奏多は凛の隣に立ち、 そっとその手を握りしめた。
凛も握り返してきて、 お互い更に指を絡め、 ギュッと力を込めた。
北東に伸びた長い2つの影も、 離れないようしっかりと手を繋いでいた。