11、 天使の笑顔
滝山中学2-Aの教室は、 ほんの数年前に自分も過ごした見慣れた場所のはずなのに、 今では場違いな空気ととんでもないアウェイ感で|気圧《けお》されている。
昨日の凛との電話で自分が大和に会いに行くと言ったものの、 正直言うと、 非常に気が重い。
初対面の自分にあれだけ暴言を吐いた男だ。
学校で呼び出しなんかしたら、 下手すると殴られるか蹴られるかくらいはあるかもしれない。
…… それでも、 凛を1人で会いに行かせるよりは百倍マシだと思った。
ドアの前で思わず足が竦んだが、 スーハーと2回ほど深呼吸して勢いよくドアを開けた。
ガラッという音と共に、 皆の視線が一斉に集まる。
一瞬怯んだが、 ここで引くわけにはいかない。
ーー 威厳をもって、 先輩らしく……。
教室の奥の方の席で女生徒にキャッキャと囲まれてお弁当を食べている大和を見つけると、 先輩らしく胸を張り、 年上らしく低めの声で呼びつけた。
「大和くん、 ちょっといいかな」
ーー あっ、 ちょっと声、 裏返った!
***
奏多に呼ばれた大和は舌打ちをして顔をしかめたが、 呼ばれた理由に心当たりがあるからか、 案外あっさりついてきた。
2人で黙って校舎裏まで歩いて行ったが、 大和が目立ち過ぎてあちこちで女子に声を掛けられるので、 目的地にたどり着くまでに時間がかかった。
非常階段の前まで来ると、 ようやく奏多は立ち止まり、 大和を振り返った。
「ねえ、 あいつは来ないの? 」
「あいつじゃなくて小桜さんだろ。 今日は来ないよ」
「だったら教室に戻るわ。 あんたに用は無いし」
「樹先輩に会いたいんじゃないの? 」
「えっ? あんたが会わせてくれるの? 」
「いや、 それはまだ…… 」
大和はまたもやチッと舌打ちし、
「マジつかえね…… 」と小さく吐き捨てるように言った。
目の前の大和は、 男の自分でも見惚れるくらい綺麗で整った顔立ちをしている。 その上この身長だ。 まだ中学生のくせに180センチ以上はある。 そりゃあモテるだろう。
経済的にも恵まれていそうだし、 一見誰もが羨むような高スペックなのに、これで深い悩みを抱えているというのだろうか……。
あるとすれば、 それはたぶん凛と同様、 家庭に関すること……。
黙って考えていても仕方がない。 奏多は勇気を振り絞って、 大和の前に一歩近付いた。
「どうして凛に電話したの? 樹先輩に会いたい理由は何? 」
直球な質問に大和は一瞬怯んだが、 すぐに態勢を立て直して、 例の如く悪態をついてきた。
「だから、 あんたには関係ないって…… っていうか、 凛とか呼んで、 あんたマジであの人の彼氏なわけ? 」
「だから、 あの人じゃなくて小桜さんと呼べって……。 そうだよ、 俺は凛の彼氏で、 凛は俺の彼女。 だから彼女にちょっかい掛けられてる俺が君に話を聞くのはなんら不自然じゃないだろ」
「マジかよ…… 」
大和は心底驚いたという表情で唖然としていたが、 次の瞬間には、 対抗するいいネタを掴んだとでもいうように口角を上げてニヤリとし、 挑戦的な目で話しかけてきた。
「それってさ、 あんたは不安になんないの? 相手は学校のマドンナとかクールビューティーとか呼ばれてる有名人でさ、 公開告白した相手は滝高の王子だろ。 どう見たってあんたとは不釣り合いじゃん。 今はお前みたいなオタク眼鏡が物珍しくて付き合ってるかも知れないけどさ、 すぐに飽きて捨てられたっておかしくないよな」
奏多の反応を楽しむように、 侮蔑の言葉を並べ立てる。
だけど、 奏多にとってそんなのは想定内だ。
むしろ、 いきなり殴りかかられなかっただけマシな方だろう。
「アホか、 そんなの不安に決まってるだろ」
奏多がそう言った途端、 大和は「えっ? 」と言ったその口を閉じもせず、 目を見開いて固まった。
「不釣り合いなんてな、 お前に言われるまでもなく、 俺が誰より一番分かってるんだよ」
そう、 小桜凛と付き合うということがどんなに大変か、 これからどんな事が待ち受けているかなんて、 とっくに考えてきたことだ。
「お前も分かってるだろうけど、 凛はめちゃくちゃ可愛いしモテるんだよ。 頭も性格もいいんだよ。 俺なんかが付き合ってもらえたのは奇跡なんだよ」
凛と付き合っていることがバレたら、 きっと俺は男子生徒から袋叩きだ。 不釣り合いだって笑われて妬まれるし、 こんなのがいいのなら俺だって……と、 凛にアプローチをかける奴が今以上に増えるだろう。
「プライド無いのかよ………不釣り合いだって分かってるんなら今のうちに引いとけよ」
「嫌だね! 俺は付き合うまでに散々悩んだんだ。何度も何度も考えて、 それでも彼女が好きで諦められなかったから覚悟を決めた。
もう始まっちゃったんだよ。 今更引く気は無いし、 止まるつもりも無い。 だったらもう、 このまま進むしか無いだろ」
「必死だな」
「必死だよ。 この世にいる俺以外の男はみんなクタバレって思うし、 凛の記憶から俺以外の男の記憶が全部消えればいいって思ってるよ。 凛と2人で無人島に流されたいよ。 だけど実際にはそんなの無理だし、 閉じ込めとくわけにもいかないだろ。 だから俺は、 凛がこれから出会う男に一生嫉妬しまくるんだよ。 焦ったり凹んだりしまくるんだと思うよ。 それでも俺を好きでいて欲しいから、 俺を選んで欲しいから、 必死に足掻くし、 プライドだって簡単に捨てられるんだよ。 悪いかよ! 」
「いや…… 悪くはないけど…… 」
大和は呆気に取られた表情で奏多を見つめていたが、 次の瞬間には頭を掻いて相好を崩した。
「なんかあんた…… ヤバイな。 変な意味で凄いわ」
「ヤバイって…… 俺は別にストーカーでも変質者でもないぞ」
「いや、 そういうんじゃなくて…… なんか、 たかが恋愛にそこまで必死になられると…… 」
「たかがとか言うなよ。 恋って凄いんだぞ。 めちゃくちゃ頑張れるんだぞ。 ヘタレだ眼鏡だって散々言われてきた俺が樹先輩と闘って、 今はこうやってイケメンの代表みたいなお前と向かい合ってるんだぞ! 」
「ハハッ…… 自分でヘタレ眼鏡って……ハハハハッ」
お腹を抱えて笑うその顔が、 普通の中2のそれになっていた。
ふんわりして幼い天使の笑顔……。
「お前…… マジ天使だな。 そりゃあモテるわ。 絶対に凛と2人っきりにはしねえ! 」
「ハハハッ、 ホント正直すぎて毒気抜かれるわ。 いいよ、 もう彼女に近づかなきゃいいんだろ。 分かったからもう行くわ」
「良くないだろ、 待てよ! 」
背中を向けた大和の腕を、 奏多が強く掴んで引き止めた。
「凛に話したいことがあるんだろ? 樹先輩のことだけじゃないんだろ? 凛から家庭の事情は大体聞いている。 言いたいことがあるのなら逃げずにちゃんと言えよ」
「俺は…… 」
「悩んでるのはお前だけじゃないんだぞ。 凛だって親の被害者だ。 沢山悩んで苦しんでる。 お前だってそう思ったから凛にわざわざ電話してきたんだ……そうなんだろ? 」
「…………。 」
「この前みたいに凛と2人で会うのは絶対ダメだ。 だから俺も参加させろ。 それで良ければ話し合いの場を設ける。……どうだ? 」
大和はしばらく目を伏せて考え込んでいたが、 視線を戻して奏多と向き合うと、 コクンと頷いた。
「分かったよ……。 今度の土曜日。 場所はそっちに任せる」
その場で電話番号を交換して別れた。
その場で大和を見送ってから、 奏多が校舎に戻ろうと歩き出すと、 こちらからは死角になっている壁の陰から凛が飛び出してきた。
「うわっ、 凛?! こんなとこで何やってんの?! 」
「偵察。 心配だったから」
「心配って…… 」
「奏多が殴られそうになったら出て行って助けようと思ってたんだけど、 大丈夫だったね。 ボロクソ言われてたけど」
「うん、 ボロクソ…… って、 凛、 どこから聞いてたの?! 」
「う〜ん…… 『あんたマジであの人の彼氏なわけ? 』あたりかな」
「ゲッ! めちゃくちゃ最初の方じゃん! てかほぼ全部じゃん! 」
……とすると、 『俺なんかが付き合ってもらえたのは奇跡』とか 『この世にいる俺以外の男はみんなクタバレ』とか、 『凛と2人で無人島に流されたい』あたりのくだりも全部……。
「うわっ、 恥っず…… 」
右手で顔を覆って俯く。
「あのさ、 凛。 男同士だからこそ言える話っていうのがあるんだよ。 こういうのは彼女に聞かれない前提で話してるの。 それを聞かれちゃったら、 俺もう、 どんな顔したらいいのか…… 思い出すだけで恥ずか死ぬわ……」
「いいじゃない、 恥ずかしがらないでよ」
「えっ? 」
奏多が顔を上げると、 目の前には奏多の目を覗き込む凛の瞳があった。
「記憶を消さなくても、 無人島に流されなくても、 私はちゃんと奏多を選ぶよ。 不釣り合いだとか奇跡だとか言わないで。 私が奏多に選んでもらったのに…… 」
「凛…… 」
「私だって、 これから奏多が出会う女の子に嫉妬しまくるよ。 それでも私がいいって言ってもらえるように頑張るから…… どうか私を好きでいてください」
そう言って恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女が可愛くて、 思わずギュッと抱きしめる。
「も〜〜っ! めちゃくちゃ好きすぎる! 」
背中に回した手に力を込めた。
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り、 凛から身体を離して校舎を見上げる。
「ダメだ…… 俺。 ちょっと熱を冷ましてから行くからさ、 先に教室に戻っといて」
「うん、 分かった」
「奏多…… 」
「うん? 」
「……好き」
凛は背伸びをすると両手で奏多の頬を挟み込み、 素早くチュッとキスをして、 そのままパタパタと走り去って行った。
「はああああっ?! 」
なんなんだ、 あの早ワザは。
なにがクールビューティーだよ。
あんなの……あんなの、 めちゃくちゃ小悪魔じゃないか!
その場でしゃがみ込んで頭を抱える。
「も〜〜っ……どこであんなワザ覚えたんだよ……。 これ以上煽るなよ…… 」
熱を冷ますどころか余計に熱が急上昇した。
火照った顔が落ち着くまで、 奏多はその場でしばらくしゃがみ込んでいた。