6、 余裕のない彼氏はお嫌いですか?
ーー はあ? 何言ってんだ?
樹先輩に会いたい?
凛の母親が関わってる?
志望校を落ちた?
滝中の2年生?
もう一度…… 話を聞く…… だって?!
一度に入ってきた情報量の多さに、 奏多の思考回路はショート寸前だ。
「ちょ…… 待ってよ、 あんな危ない目に遭っておいて、 また会いに行く気? 」
「危ないって……。 さっきは『樹先輩の彼女なんだろ、 会わせろ』ってしつこかったから、 つい腹が立って出てきちゃっただけだよ。 本当はもっとちゃんと話を聞いてあげるべきだったって思ってる」
『だけ』って…… 『ちゃんと』って……。
「何言ってんの、 手首を掴んで引き止められてたくせに、 危ないに決まってんじゃん! 凛はそういうの平気なの? 俺は嫌だよ、 もしもあいつにその気があれば、 あのまま手を引っ張って抱きしめたりキスしたりとかだって出来たんだぞ! 」
「大体さ、 凛は無防備過ぎるんだよ! そんなだから樹先輩にだって簡単に…… 」
ーー あっ、 固まった!
凛が唇を噛み、 能面のような顔になって固まっている。
彼女のこんな顔は過去に数回見たことがある。 怒りと諦めから来るシャットアウトだ。
半年以上の付き合いで、 なんとなく分かってきた。 凛はこういう状態になると、 話し合おうとか説得しようとかするのを諦めて、 その場を逃げ出そうと……
「私、 帰るね」
ーー ほら来た、 やっぱり!
「ちょっと待った! 」
奏多は立ち上がった凛の手を引っ張り再びベンチに座らせようとする。
「ごめん、 俺が言い過ぎた! ちょっと待って」
「ホントだ、 こんなに簡単に手を掴まれて、 私って本当〜に無防備だよね」
奏多に掴まれた自分の手をチロッと見つめながら、 なんとも険のある言いまわしで責めてくる。
「いや、 そこは俺、 一応カレシだし、 手ぐらい掴みたいし、 反省してるし、 お願いだから座って! 」
奏多のプライドをかなぐり捨てた必死の説得に絆されたのか、 凛は黙って再びベンチに腰掛けた。
姿勢を正してジッと前方を見ていたが……手を口元に当てるとプッと吹き出して、 そのまま肩を揺らして笑い出した。
「ふふっ、 一応カレシって…… 手ぐらいって…… ククッ、 ハハハッ」
奏多の言葉のどこが琴線に触れたのか分からないが、 とりあえず引き止めに成功し、 安堵する。
「ホント…… 言い過ぎた、 ごめん。 なんか……余裕なさ過ぎた。 樹先輩の名前を聞いて妬いたわ、 妬きすぎたわ」
それを聞いて更に大笑いする凛につられ、 何故か奏多も一緒に笑いだした。
恋人同士になって初の、 しょうもない小競り合いは、 奏多の全面降伏であっけなく幕を閉じた。
「ちゃんと説明するね」
ひとしきり笑って空気が変わったところで、 凛が改めて経緯を説明すると言い出した。
それは奏多も望むところだったので、 身体を凛の方に向けて、 しっかり聞く態勢を整えた。
「私の母親が、 大和くんに宛てて贈り物をしてるっていうのは話したよね」
奏多は黙って頷いた。
最初にそれを聞いたのはいつだったか…… 確か凛が初めて家に来た日だった。 溜まっていたものを吐き出すように、 全部語って沢山泣いた……。
「それがね、 彼はずっと嫌だったんだって。 迷惑だって。 そりゃ、そうだよね。 自分の父親を奪った人からの贈り物だなんて…… しかも、 中学受験を失敗したのに入学祝いって…… 。 だから、 もうプレゼントを送ってくるのを止めるように私から言ってくれって、 最初に電話でそう言われたの」
なんだか大和の気持ちが分かる気がする。
そんなの嫌に決まってるだろう、 嫌味以外の何ものでもない。
凛には申し訳ないけど…… 凛の母親は無神経すぎる。 いや、 もしも意識してやっているとしたら悪質だ。
「だから、 樹先輩に会いたいって言うのもね、 意味があるというか…… 何か相談したいのかなって思うの。 ほら、 樹先輩の家もお医者様だし、 聞きたいこととかあるんじゃないかって……。 だとしたら、 私にもなんとなく気持ちは分かるから…… 」
大和、 樹、 そして凛の3人の共通項。
父親が医師、 親の期待、 そして期待に応える努力とプレッシャー……。
そこには、 奏多が知らない、 奏多が入り込めない世界がある。
『あなたには、 お前には分からない』
そう言われているような気がして、 胸が鉛を飲み込んだように重くなった。
ーー だけど……。
自分にだって出来ることはある。
凛たちの世界は分からないけれど、 分かる努力は出来るし、 踏み込んで関わっていくことは出来る。
ーー だから……。
「分かったよ」
奏多は、 凛がきちんと揃えて置いていた膝の上の両手に、 自分の右手をそっと重ねて、 彼女をじっと見つめた。
「会いに行こう、 大和に」
「…… いいの? 」
「うん。 ただし俺も付き添う。 一緒に行く。 凛があいつと2人きりで会うのは……彼氏としては、やっぱり嫌だよ」
「……分かった…… ふふっ」
「えっ、 何? 」
「彼氏として……って、 ふふふっ」
「ええっ、 カッコつけたのに笑われた! 彼氏なのに! 」
凛は耐えきれないというようにハハハッとお腹を抱えて笑いだす。
そんな彼女の笑顔を見てシアワセだと思ってしまう自分は、 もう完全に彼女に嵌まってしまっているんだろう。
「いや、 カッコイイですよ、 奏多くん。 一緒に考えてくれて嬉しかった。 我儘を聞いてくれてありがとう」
「我儘っていうか、 俺が2人きりにさせたくないだけだし、 っていうか、 そんなの絶対イヤだし…… だけどさ……」
「……だけど? 」
「さっきみたいなのはもう勘弁して欲しい。 会話を打ち切って逃げるみたいなの。 女子とのそういうやり取りは姉貴で慣れてるつもりだけどさ……やっぱ、 彼女にアレやられると辛い」
「そっか……ごめん」
凛がしょぼんと肩を落とすのを見て、 今度は罪悪感に苛まれる。
「いや、 責めてるわけじゃないんだけど…… 」
さっきから女々しいことばかり言っている自分に気付き、 愕然とする。
こういうのを『惚れた弱み』とか『惚れた方の負け』とか言うんだろうか。
彼女の一挙一動にオロオロしたり喜んだり、 自分ばかりが舞い上がっている気がする。
嬉しいような、 不安なような、 複雑な感情……。
「凛…… 抱きしめてもいいでしょうか? 」
「えっ? 」
「なんだか無性に抱きしめたくなった」
凛は顔を綻ばせてふふっと笑うと、 「いいですよ」と言いながら、 ギュッと奏多を抱きしめた。
抱きしめるつもりが抱き寄せられた。
……でもこれも、 悪くはない。
「…… 7回目」
「えっ? 」
「凛とハグしたの、 これで7回目だ。 今回は抱きしめられた方だけどさ」
ーー あっ!!
奏多はガバッと体を引き離すと、 愕然とした表情で凛を見た。
「俺って、 結構キモいやつ? 」
ハグした回数って…… こんなの絶対にドン引きじゃないか!
「ごめん……。 こんな余裕のない彼氏は、 お嫌いでしょうか…… んっ?! 」
奏多が言い終わると同時に、 凛がチュッとキスをして、 俯いた。
「えっ…… 凛…… 」
ーー凛からの初キス!
「……5回目」
「えっ? 」
「私たちがキスするの、 これで5回目…… 」
凛はガバッと顔を上げて、 必死の形相で訴えた。
「わっ…… 私だって数えてるんだからねっ! 余裕がないのは私だって一緒だしっ! 」
両手で頬を押さえて再び俯いた凛は、 耳まで真っ赤になっていた。
「ふ〜ん……。 そっ、 そうか。 そんなにか…… 」
なんなんだ、 この可愛い生き物は。
こんなの絶対…… 俺の方が大好きだ!