31、 君が好きだ (後編)
ドクンドクンと全身に響く心臓の音。
この激しすぎる拍動は、 掴んだ手首から凛にも伝わっているのだろうか。
奏多は凛の唇からそっと離れたが、 名残り惜しそうにもう一度だけ軽くチュッと唇をつけると、 そのまま黙って俯いた。
すぐに殴られるのを覚悟していたが、 凛は何も言わず、 やはり黙って俯いていた。
「…… ごめん」
自分の感情の制御出来なさ加減に、 奏多自身が驚いた。
自分はこれほどまで理性と欲望のコントロールが出来ない人間だったのだろうか。
告白する前にキスをしてしまった…… しかも2度までも……だ。
呆れるというよりも、 こうなるとショックに近いものがある。
目の前の凛は、 耳まで真っ赤にして俯いたままだ。 誰かが見たら、 自分もきっと同じレベルの赤さになっているのだろう。
「本当にごめん…… 」
もう一度言ってから、 覚悟を決めた。
順序は逆になったけれど、 元々気持ちを伝えるつもりだったのだ。
今言わなかったら、 ただのキス魔のロクデナシになってしまう。
このタイミングを逃したらもう終わりだ。
行くしかない!
「凛、 来て」
奏多は凛の左手を掴んで廊下に出ると、 スタスタと真っ直ぐ歩き出した。
磨りガラスの入った木製の引き戸をガラリと開けると、凛を畳の上に座らせ、 自分もその隣に座り込んだ。
何をする気なのかと呆然としている凛の横で体育座りになり、 クルリと背中を向けた。
「小桜、 俺の背中にもたれなよ」
「えっ? 」
「『そのまま座ってるの、 シンドイだろ? 俺の背中にもたれれば、 多少は楽になると思うんだ』 …… って、 先週の金曜日、この漫画パレスで俺がそう言ったの、 覚えてる? 」
「…… うん」
トンと何かが当たる感覚のあとで自分の背中が急に暖かくなって、 凛がゆっくり背中を預けたのが分かった。
背中合わせのまま、 奏多がゆっくり話を続ける。
「あの時さ、 俺は本当は、 すぐに『凛』って名前を呼びたかったんだ。 だけど恥ずかしくて、 照れ臭くてすぐに言えなくて……。 今度会った時でいいやって余裕で見送って、 それで勝手に満足してた」
後ろで髪が擦れる気配がして、 凛が無言で頷いているのだと分かる。
「だけど、 そんなの俺の自己満足だったんだよな。 気持ちなんて言わなきゃ伝わるはずないのに…… 馬鹿だよな」
ーー 今さら後悔したって遅いけれど……。
「俺ってすごくズルいんだよ。 もう自分の気持ちなんてとっくに分かってたのに、 今のままでいれば、 誰よりもずっと近くに居られるって勝手に思ってたんだ」
「そのくせ樹先輩が現れてから慌てて焦って凛を困らせた。…… いつも一歩遅いんだよな、 俺って」
「凛…… 聞こえてる? 」
「…… うん」
「もう遅いのは…… 今更なのは分かってるけど、 先週の金曜日に言いたくて言えなかった言葉を、 今この場所で言わせて欲しいんだ」
後ろで凛の髪がサラリと揺れた。 また黙って頷いたのだろう。
奏多は一つ、 ゆっくり大きく深呼吸した。 そして……
「俺は…… 俺は、 凛が好きだ。 小桜凛さんのことが大好きです」
ーー ようやく言えた……。
凛が初めて家で涙を見せた日、 あの時はただ彼女を守ってあげたいと必死だった。
そのうちに、 自分が凛の安らげる場所になってあげたいと思うようになって、 気づけばそれが恋に変わっていた。
気付くのが遅過ぎたけど、 今日ようやく気持ちを伝えることが出来た。
俺は頑張ったよな……。
もう満足だ、 思い残すことはない……。
「奏多…… 」
「えっ? 」
奏多の心臓がドクンと大きく跳ねた。
「奏多。 私もずっと…… そう呼びたかった」
凛の背中の震えが伝わってくる。
ーー えっ、 凛が泣いて?! ……
「好き…… 」
ーーえっ?
「百田奏多くん…… 私もあなたが大好きです」
背中の震えが大きくなった。
後ろから啜り泣きと鼻をすする音が聞こえてくる。
ーー 凛の背中が…… 肩が震えている……。
いや、 違う。 自分の肩も震えているんだ。
ああ、 そうか。 俺も泣いてるんだ。
だけどこれは、今までの悔し涙や後悔の涙とは違う……嬉しい涙だ。
お互い体育座りのままで膝に顔を埋め、 ちょこんと触れた背中のその部分だけは決して離すことなく…… 今はただ、 お互いの体温と言葉を噛み締めていた。