28、 会いたくて
昼過ぎから降り出した雨は、 6限目に入る頃から徐々に激しさを増し、 放課後帰るときには校庭にいくつもぬかるみを作る大雨になっていた。
叶恵から持たされた折り畳み傘は、 地面で跳ね返される水の飛沫には意味がなく、 歩くほどにスラックスの裾を重たく濡らしていく。
ーー ああ、 帰りたくないな……。
奏多は駅から家までの道をノロノロと俯いて帰っていた。
足が重いのは、 雨に濡れたせいだけではない。
いつもなら飛ぶように急いで帰ってくる金曜日の放課後が、 今日は憂鬱以外のなにものでもなかった。
きっと死刑宣告を待つ罪人はこんな気分なのだろう。
帰り際に陸斗に「撃沈」とだけ告げると、 肩をポンと叩かれ、「今度おごるよ」と言われた。
一馬にはショートメールで『 フラグを見事に回収しました。 骨を拾って下さい 』 と送ったら、 すぐに 『なんかゴメン…… 』と返事が来た。
『お前のせいじゃない。 ただの実力不足』 と書いたら、 こちらも 『 今度何かおごるよ 』と言ってきた。
あいつらはいいコンビだ。
問題は姉の叶恵だった。
叶恵には今週1週間の出来事を何一つ知らせていない。
叶恵がインフルエンザで休んでいるバイト先の同僚の代わりに臨時シフトに入ったことや、 大学のレポートが重なって忙しそうにしているせいもあるが、 何より奏多が凛とのことをどう話せばいいか分からなかったというのが大きい。
月曜日の朝までは順調だったはずなのだ。
そのあと、 あれよあれよという間に凛と話すことが出来なくなり、 気付くと今日は樹先輩に呼び出されていた。
そして聞かされた衝撃の告白…… 凛は樹先輩とキスをした。
あの2人は…… 付き合っている。
はあ……とため息をつきながら玄関を開けると、 叶恵お気に入りの赤い傘が玄関に立て掛けてあった。 馬のマークの有名ブランドだ。
奏多には折り畳み傘を忘れるなと口酸っぱく言っていたくせに、 当の本人はうっかり忘れていったらしい。 いつもの如く、 しばらくしたら呼び出しがかかるだろう。 そう思って洗面台の前で着替えていたら、 案の定、 叶恵からのメールが届いた。
『傘忘れた。 4時半に駅まで迎えに来て』
ーーハア?
今現在、 午後4時15分。
奏多はシャワーを浴びる間もなく、 元来た道を駅へと戻ることになった。
***
観音駅の西口に入ると、 叶恵が改札近くの柱にもたれて待っていた。
「おお、 ご苦労さん」
「ご苦労さんじゃないよ、 俺も今帰ったばっかだったのに」
「いやあ、 悪い、 悪い。 大学から最寄り駅までは友達の傘に入れてもらってきたんだけど、 その子は手前の駅で電車を降りちゃったからさ」
叶恵に赤い傘を手渡して、 黒い傘の奏多と2人で並んで歩く。
「凛ちゃんはもう来てるの? 」
ギクリとする。
聞かれるだろうと思っていたし、 ここで聞かれなかったとしても、 凛が家に来なければその時点でバレることだ。
だけど、 せめて家に帰るまでは処刑を待って欲しかった……。
「凛は…… たぶんもう来ないよ」
「えっ、 どうして? 喧嘩したの? 振られたの? 」
さすが漢らしい姉。 清々しいほど直球だ。
「うん。 振られた…… というか、 告白する前に、 向こうに彼氏が出来た」
「えっ?! …… ガーン! 」
「ガーンは俺のセリフだよ。 今めちゃくちゃ凹んでるんだからさ」
「えっ、 どうして? なんでこんな急展開?! あっ、 あいつ? 樹か、 樹先輩かっ! 」
「……そうだよ、 あいつだよ、 樹先輩」
「なんでっ?! 金曜日のあと何が起こったの?! 」
「そんなのこっちが聞きたいよ。 俺だって良く分かんないんだから。 …… ただ、 樹先輩は全校生徒の憧れの存在で…… かっこ良くて完璧で、 ちょっと強引で…… 凛が惹かれても仕方ないと思う」
「そっか…… 凛ちゃんを私の未来の義妹にと望んでたけど、 不出来な弟のせいで諦めるしかないのか。 クソっ」
「女のくせにクソとか言うなよ。 まあ、 不出来なのは認めるけど」
叶恵は右手に持っていた傘を左手に持ち替えて、 奏多の肩をグッと抱き寄せた。
「嘘うそ、 あんたは自慢の優しい弟だよ。 まあ、 失恋は人を成長させるって言うしさ、 そのうち新しい出会いもあるさ。 凛ちゃんみたいな良い子はなかなか現れないと思うけどね」
「なんか慰めるフリして傷口に塩を塗ってるな」
「まあ、 まあ。 今日は奏多が好きなオムライスを作っちゃる」
「……うん」
あとは雨の中に、 ピチャン、 ピチャンと足音だけを響かせて、 なんとなくお互い無言で歩いた。
「あっ…… 」
先に気付いたのは叶恵だった。
いつもの電信柱を曲がったところで叶恵が急に立ち止まったので、 釣られて奏多も足を止め、 何だと叶恵の顔を見た。
そしてその視線を追うように前方に目を向けると……
「あっ…… 」
家の前に、 水色の傘を差した凛が立っていた。
顔を上げた凛と目が合う。
「凛っ! 」
咄嗟に走り出していた。
月曜日からの出来事も、 今日樹に言われたことも頭からすっかり無くなって、 目の前の凛だけを見て、 奏多は全力で走った。
「凛、 どうしたの? 今日は来ないんだと…… 」
凛の前で立ち止まり顔を見下ろすと、 青紫に変色した左頬が目についた。 そっと手を伸ばす。
「ごめん…… 青あざになってるね」
奏多の指先が頬に触れると、 凛の肩がピクリと震えた。
凛が濡れた瞳を揺らしながら奏多を見上げる。
「ごめんなさい…… もう来ちゃいけないって思ったんだけど……」
凛の瞳に奏多が映り、 すぐに揺らいで雫になった。
涙の雫は雨と交わりながら、 ゆっくり頬を伝っていった。
「私…… 会いたくて…… 」
奏多が凛の身体を抱き寄せ、 黒い傘がパシャンと水溜りに落ちた。
「何言ってんだよ。 そんなの俺だって…… 俺の方がもっと…… ずっと会いたかったんだ」
「凛…… 」
そっと髪に顔を寄せると、 いつもの甘いフローラルの香りがした。
その瞬間、 降りしきる雨の音も、 車の騒音も、 けたたましく鳴る踏切の音も、 ぜんぶ世界中から消えて……
2人の少し速い鼓動だけがリズムを刻んでいた。
2/22/19 誤字報告をいただき、指摘箇所の修正を完了しました。ありがとうございました。