26、 君はライバルなんかじゃない (中編)
奏多を捉えた樹の視線は、 逃げることも誤魔化すことも許さないという、 樹の強い気持ちをそのまま表しているかのようだった。
ーー 嘘をつくわけにはいかない。
だけど、 本当のことを言うわけにもいかなかった。
それは自分を信用して全てを打ち明けてくれた凛を裏切ることになるから。
ジリジリと返答を迫っている樹の目を見返して、 奏多はようやく口を開いた。
「言えません」
「お前っ! 」
「理由は絶対に言えません…… だけど、 小桜が俺の家に来ているのは本当です」
ーー これが俺の精一杯だ……。
「俺は樹先輩に嘘はつきたくないです。だけど、 小桜との約束を破るようなことはしたくない。 だから言えません」
目を逸らさずにキッパリと言いきった。
これだけは何があっても譲れない。 これ以上はいくら追求されても殴られても、 絶対に教えないつもりだった。
「なんなの、 それ…… 分からないよ。 付き合っていません、 片想いです、 だけど彼女は家に通ってきます…… って、 普通に聞いたら変な関係としか思われないぞ」
「変な関係って…… 」
「遊びの関係とかカラダだけの軽い付き合いってことだよ。 それくらいすぐ気付けよ」
「カラダ……って! あるわけないじゃないですか! 何言ってるんですか! 冗談じゃないですよ、 小桜はそんなヤツじゃない! 」
全く予想していなかったことを言われて首筋からカッと熱くなった。 自分はともかく、 凛を侮辱することは許さない。 自分たちが築いてきた関係は、 そんな低俗で軽いものじゃないんだ……。
思わず立ち上がった奏多を見上げて、 樹は表情も変えずそのまま続ける。
「分かってるよ。 まずは座れよ。 それから声のボリュームを下げろ、 うるさい。 外に聞こえる。君はともかく、 小桜さんがそんな子じゃないのは僕だって知ってるさ。 ただ、 2人はそんな誤解を受けてもおかしくないような行動をしてるってことだよ」
ハッとした。
樹から指摘されるまで、 考えてもいなかった。
学校のマドンナである凛が奏多の家に来ているとバレれば大騒ぎになる。 凛の親の耳に入れば二度と来れなくなる。 だから隠し通さなければならない……ずっとそう思ってきた。
だけど、 樹が言ったように下衆な想像をする人間だって少なからずいるのだ。 凛と奏多がしていることは、 知らない人から見れば、 そう勘繰られても仕方がない行動だ……。
「俺は…… 」
「今頃やっと気付いたって顔をしてるな。 小桜さんがそう望んでいるのなら、 もう理由は聞かないよ。 だけど、だったら君が……お前がもっとしっかりしてくれよ。 秘密にするのなら隠し通せよ! お前、 脇が甘すぎるんだよ! 」
樹の語気が徐々に荒々しくなっていく。
「そんなに大事な秘密ならな、 僕が来ると分かってる生徒会室のドアのそばで大声で喋ってんなよ! こっちだってそんなの聞きたくなかったよ! あんな事さえ無ければな、 今頃まだっ! …… 」
「先輩! 」
奏多に呼ばれて樹がハッと我にかえる。
慌ててドアの方に目をやってからもう一度奏多に向き直ると、 今度は声のトーンを落として、 懇願するように言った。
「ごめん、 悪かった。 でも、 頼むよ…… 僕だって小桜さんを大切に思っているし守りたいと思ってるんだ」
さっきまでの怒りをはらんだ表情からは一変して、 今度は今にも泣き出しそうな切ない眼差しを向けていた。
いつも飄々として完璧な人が、 凛のために必死になっている。
凛のためだけに、 怒鳴って焦って懇願して……。
この人が本気になればきっと望めないものは無いだろう。 この人には誰も……俺はきっと敵わない……。
「先輩……、 先輩は小桜と付き合ってるんですか? 」
「えっ? 」
「知ってます、 小桜に告白したんですよね。 小桜はもうOKしたんですか? だから生徒会室で会ってたんですか? 」
「…………。 」
「俺は…… 1人で勝手に、 先輩のことをライバルだと思っていました。 だけど昨日、 俺の目の前で先輩を選んで、 先輩に抱えられていく小桜を見て、 自分が不甲斐なくて悔しくて…… 」
「……で、 どうするの? 僕が諦めろって言ったら諦めてくれるの? 」
「諦めたくないです。 でも、 小桜が先輩を好きになったのなら…… 俺の気持ちが小桜にとって迷惑になるのなら…… 死ぬ気で隠し通します」
樹が思わず眉根を寄せた。
ーー 何言ってんだ、 こいつ……
「百田、 お前…… 」
「だけどっ! 」
樹が話そうとするのを遮って奏多が続ける。
「だけど、 まだ少しでも可能性があるのなら…… 小桜がまだ迷っているのなら…… 俺は正々堂々と戦いたいです」
樹は椅子の背もたれに体を預け目を閉じた。
しばらく考えてからパッとまぶたを開き、 それから書庫の方を懐かしそうに見つめた。
「百田くん…… 」
再び奏多に顔を向け、 ニッコリと笑いかける。
「君は僕のライバルなんかじゃない」
「えっ? でも…… 」
「まだ告白もしてないんだろ? そんなのスタートラインにも立ってないよ。 それなのに可能性があるとか無いとか躊躇してる時点でもう逃げに入ってるじゃない。 それでライバルとか正々堂々とか、 おこがましいにも程がある」
「でも俺は……」
「もうキスしたよ」
「えっ?! 」
奏多が目を見開いて息を止めた。
「キスしたよ、 俺から、 保健室で」
優しい笑みが皮肉げなそれに変わっていく。
「遅いんだよ、 お前」
唇をわななかせて表情を失っていく姿を横目で見ながら、 樹は冷たく言い放った。
「それでもまだ正々堂々と戦うと言うのなら、 奪うつもりで向かってこいよ。 とっとと告って……フラれてこいよ」
「それから…… すぐにここから出てってくれ」
奏多がフラフラと立ち上がり無言で出て行くのを見届けてから、 樹はグシャッと笑顔を崩し、 ゆっくりと机に顔を埋めた。