21、 ずっと名前を呼びたかったんだ
「お前、 小桜さんのクラスにいたよな。 何しに来た? ここはお前が入っていい場所じゃないって分かってるのか? 」
「分かってますよ…… 俺は…… 小桜さんを連れ戻しに来ました」
樹に胸ぐらを掴まれたまま壁に押し付けられ、 息も絶え絶えになりながら、 奏多はどうにか喉から声を絞り出した。
廊下に飛び出してきた小桜が、 奏多の首を締めつけている樹の手にしがみついて、 どうにか引き離そうとした。
「先輩、 やめて下さい! 彼は私のクラスメイトです。 話があって来てただけなんです! 」
「凛ちゃん、 彼は君のなんなの? 彼氏じゃないよね? こんなところにまで押しかけてきて、 2人で何を話してたの? 」
「俺と小桜の問題です。 先輩には…… 関係ないですよ」
「なにっ! 」
樹は胸ぐらを掴んでいる手を更に強く締め上げ、 顔をグッと寄せて至近距離から睨みつけてきた。
「立ち入り禁止の部屋に勝手に入ったんだ。 このままお前を職員室に突き出してもいいんだぞ。 1-Aの担任は山本先生か? それとも三神だったか? 」
「好きにすればいいだろっ! 離してくれ!俺は小桜と話があるんだ! 」
「お前っ! 」
「樹先輩、 本当にやめて下さいっ! 百田くんもっ! 」
更に腕に力を込めた樹と、 それを振りほどこうと押し返した奏多。 2人の肘がはずみで外に押し出されたとき、 そこに割って入ろうとした小桜の左頬にヒットし、 彼女は勢いでそのまま後ろに弾き飛ばされた。
ーー あっ!
ヤバイと思ったその瞬間にはもう、 小桜の体は廊下に倒れていて、 両手で左頬を押さえ、 その場にうずくまっていた。
「小桜っ! 」
「凛ちゃん! 」
声を掛けたのも彼女に駆け寄ったのも2人同時だったが、 的確な判断をし、 迅速な行動を起こしたのは樹の方が先だった。
「お前…… 百田って言ったな。 お前は今すぐ教室に戻れ。 俺は彼女を保健室に連れて行く」
「嫌です! 俺も一緒に行きます」
「駄目だ。 小桜さんが周りからあれこれ言われるのを嫌ってるのは知ってるだろう? こんな会議室や特別教室しか無いような場所に部外者のお前がいたと知れたら、 それこそ変に勘繰られるだけだ」
「でも…… 俺にだって責任があります」
「責任を感じてるなら、 とっととここを去れ! 早く! 」
樹は強い口調で奏多に命じると、 小桜を横抱きにし、 そのまま両膝の下に手を差し入れて軽々と持ち上げた。
「小桜っ! 」
「百田くん、 大丈夫だから…… 早く行って。 樹先輩……自分で歩いて行けますから…… 下ろして下さい」
「駄目だ、 下ろせるわけないだろう。 途中で倒れたらどうするんだ。 ほら、 つかまって」
樹はもう奏多などには目もくれず、 小桜を大事そうに抱えて歩いて行った。
ーー くそっ!
奏多は廊下の壁をガッと勢いよく蹴り上げたが、 それでも胸で沸き立っているドロドロとした感情の塊を鎮めることは出来なかった。
コントロール不能の激しく熱い怒り。
自分の中にこんな感情があるなんて知らなかった……。
奏多は壁にもたれてズルズルとその場にへたり込むと、 今度は右手の握りこぶしを後ろに振り回して力任せに壁を殴った。
「痛って…… 」
だけど、 小桜の方がもっと痛かったはずだ……。
「くっ……そ……。 一馬が変なフラグを立てるから…… 」
違うか、 自分がクソ野郎なんだ。
時間はあったのだ。もっと上手く言えたはずなんだ。
ただ自分が焦って怖がらせてぶち壊した。
そのうえ小桜に怪我までさせて…… 本当にクソ野郎だ。
奏多はあまりにも不甲斐ない自分が情けなくて、クッと喉を鳴らして、 声を出さずに笑った。
憤りとも虚しさとも悔しさとも言える綯い交ぜな感情を抱えたまま、 しばらくそのまま生徒会室のドアを見るともなく眺めていた。
***
5限目が始まるタイミングで奏多が教室に戻ると、 既に小桜と樹先輩の噂で持ちきりになっていた。
ただでさえ話題の中心になっている王子とマドンナが堂々とお姫様抱っこで保健室に向かったのだ。 何事かと騒がれるのも当然だろう。
心配そうにこちらを見ていた陸斗と目が合ったが、 苦笑して首を横に振るのが精一杯だった。
今はとても冷静に語れそうにない。
教室に入ってきた担任の山本が、 小桜が生徒会室で怪我をして、 念のため病院に行くので早退をすると告げた。
ザワつく教室の窓際で、 誰かが「小桜だっ! 」と叫び、 生徒たちが一斉に窓際に駆け寄って校庭を見下ろした。
小桜の母親らしい小綺麗な女性が、 赤い車のドアを開けて待っている。
車に向かってゆっくり歩いて行く小桜と、 寄り添う保健医。
そして小桜のカバンを手に付き添っている樹先輩がいた。
奏多の胸に、 また熱いものが込み上げてきて、 一気に溢れ出した。
もう何も考えられなかった。 ただ、 気付くと身体が動き出していた。
ガラッと窓を開けて精一杯身を乗り出す。
「凛! 」
奏多の声に、 凛と樹と保健医が足を止めて振り向いた。
「凛! 俺はずっと、 そう呼びたかったんだ! 」
「明日も絶対に来るんだ! 俺は凛が来るのを待ってるから! ずっと待ってるから!」
3人が車に向かって歩いて行く。
凛が後部座席に乗り込み、 母親がドアを閉めた。
樹が母親にカバンを手渡してお辞儀をして、 車が見えなくなるまで見送っていた。
振り返ってこちらを見上げたその鋭い瞳と、 奏多は目が合ったような気がした。