13、 もうメンドクサイ
「会計、 お引き受けします」
ランチタイムのカフェテリアで凛がそう返答した途端、 樹は顔をぱあっと輝かせて立ち上がった。
「ありがとう、 嬉しいよ! 本当にありがとう! 」
テーブルの反対側からこちらに回り込んで来ると、 凛の両手をギュッと握りしめ、 満面の笑顔でブンブンと勢いよく振る。
そのままひたすら『ありがとう』を繰り返してから、 当たり前のように凛の隣の席に腰掛けた。
その姿を横目に、 凛は小さくため息をついた。
ーー こんなはずじゃなかった……。
***
月曜日の今日は、 凛が樹に生徒会の会計を引き受けるかどうかの返答をする期日だった。
断ることは決めていたので、 あとはカフェテリアで直接それを告げれば全て終わるはずだった。
なのに始業前に樹が教室に来たことで、 あっという間に流れが変わってしまった……。
クラスの男子から糾弾されて泣き出した都子を、 凛はひとまず女子トイレに連れて行った。
凛が都子の肩を抱いて、 洗面台で顔を洗うよう促していると、 後を追って奈々美が入ってきた。
「小桜さん、 都子を責めないであげてね」
「責めるなんて、 そんな…… 」
確かに都子が自分のみならずクラスメイトの情報までも勝手に樹に教えたことは良くないと思う。
だけど、 都子の性格上、 憧れの先輩に話しかけられて舞い上がってしまうのは仕方ないだろう。
それに、 責めるべきはコソコソと凛の周囲を嗅ぎまわるような真似をした樹の方だ。
ーー 会計候補になると、 身辺調査までされなきゃいけないわけ?
やはり断ることにして正解だった…… と改めて思う。
「小桜さん、 都子は私のためにしてくれたんだと思う。 そうだよね、 都子? 」
意味が分からずキョトンとしている凛に向かって、 奈々美は更に続けた。
「小桜さん、 私ね、 奏多のことが好きなの」
「えっ…… 」と言ったまま言葉が出ない凛に、 「鈍感だよね」とボソリと呟くと、
奈々美は蔑むような笑みを浮かべて、 正面から凛を見据えた。
「中1で同じクラスになってから、 3年間ずっと好きだった」
中学で出会った奏多は優しくて楽しくて……あっという間に好きになった。
「奏多は誰にでも優しいし、 私のことも恋愛対象には見てないって分かってる。 だけど奏多はみんなの奏多で特定の誰かのものじゃないし、 女子の中では私が一番近い存在だったから、 それでいいって思ってた。 なのに……」
凛が現れて変わってしまったのだ。
それまで黙っていた都子が顔を上げ、 凛を見てクシャッと顔を歪ませた。
「凛、 ごめんね……。 私、 凛と樹先輩がくっつけば、 奏多が奈々美の方を見てくれるんじゃないかって…… 」
中3の2学期に凛と隣の席になってから、 奏多は変わってしまったのだと言う。
そして高校に入って更に、 それがあからさまになった。
「みんなに優しいのは同じだけど、 何かが違うの。 女子を自分からランチに誘うなんて今まで無かった。 最近の奏多はいつも凛を見てるの。 大切にしてる、 見守ってるって感じで…… 悔しかった」
ーー それは百田くんが私の秘密を知って同情してくれているから……。
口に出してしまえば簡単なのだろうが、 これは凛と奏多の秘密なのだ。
絶対に口外できない。
凛は唇をキュッと噛んだ。
「それにね…… 私も奏多のこと、 いいなって思ってた時期があったから…… 」
これには奈々美も驚いて、 ハッと都子を見つめた。
「奈々美、 ずっと隠しててごめんね。 でも、 私のは恋とかじゃないの。 奈々美が奏多のことを好きだって言ってるのを聞いて、 なんかいいな…… ってちょっと憧れてただけ。 今はもう何とも思ってない。 奈々美の方が絶対にお似合いだと思ったから、 今は心から応援してるんだ」
だから、 奏多が凛と仲良くなっていくのを見て焦ったのだ…… と言った。
「もちろん、 凛のことも友達だと思ってるよ! 嘘じゃない! ただ、 凛は奏多に無関心っていうか、 そんなに好きって感じに見えなかったから…… だったら樹先輩でもいいんじゃないかって…… 」
ーー ああ、 そうか……。
親しく話しかけてくれたと思ってたら、 奏多に近づきたいだけだった。
やけに樹先輩の話題を出してくると思ったら、 ライバルを減らしたいだけだった……。
ーー バカラシイ
だから人と連むなんてやめておけば良かったのだ。
勝手に嫉妬したり妬んだり、 自分の感情に他人を巻き込んでくる……。
凛は、 自分の体温がスッと下がったような気がした。
「話はそれだけ? 」
「「えっ? 」」
「もう授業が始まるから先に行くね」
「えっ、 ちょっと待ってよ! 」
低いトーンでそう告げて出て行こうとする凛を、 奈々美が呼び止めた。
「小桜さんは、 奏多のことを何とも思ってないの? 好きじゃないの? 」
「…… 百田くんのことはいい人だと思ってるけれど、 多分それはあなた達が思ってる『好き』とは違うと思う」
「だったら私、 遠慮しないから。 私、 本当は勉強なんて得意じゃないしAクラスにいられるようなレベルじゃないの。 授業についていくのもギリギリなの。 だけど奏多と同じAクラスに入りたかったから、 必死に勉強して…… 」
だからなんだと言うのだ?
自分が一生懸命だから、 必死に頑張ってるから、 百田奏多の側にいる権利は自分にあるとでも言うのだろうか?
「分かった。 私が百田くんに近づかなければいいんだよね? 」
「私はそんなこと…… 」
「今まで無理して付き合ってくれてありがとう。でももう大丈夫だから……」
そう言って出口まで歩を進めたところで言葉が浮かんで、 一旦立ち止まった。
言おうか言うまいか少しだけ迷って、 やはりこれだけは伝えておこうと思った。
「あと、 あなたは自分がAクラスにいられるようなレベルじゃないって言ったけど、 ギリギリだろうが何だろうが、 ちゃんとAクラスのレベルに達しているからあのクラスにいるの。 卑下する必要ないし、 自信を持っていいと思う。
…… それと…… ランチの時間、 結構楽しかった。ありがとう」
まだ何か言いたそうにしている奈々美と都子を残して、 凛は先に教室に向かった。
教室に入った途端、 クラスメイトの視線が一斉に集まるのを感じた。
自分の顔が仮面のように強張っているのが分かったが、 そんなことはどうでもいいと思った。
ーー もうメンドクサイ
ドアの近くの席から心配そうに奏多が見ているのに気付いて、 一瞬だけ胸が締め付けられるような感じがしたが、 授業に集中しているうちに、 そんな気持ちさえも薄れてどこかに消えていった。