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背中合わせのアフェクション 〜キミとオレとの関係性〜  作者: 田沢みん(沙和子)
第2章 高校編
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8、 名前を呼んで


「ごめんね…… 腫れちゃったね」


奏多の右頰にそっと手を当て、 小桜は不安げに瞳を覗きこんだ。

冷んやりとした手の感触が心地良くて、 優しくて……。


奏多はそのままこの手の上に自分の手を重ねてみたいという衝動にかられたが、 頭をフルフルと横に振って自分を戒める。



ーー ああ、 駄目だな……俺、 焦ってる。


叶恵にハッパをかけられたからだろうか。

小桜を目の前にすると、 もっと近づきたいという気持ちが湧き上がってきて胸がジリジリする。


触れたい気持ちと怖がらせたくない気持ち。


衝動と理性がせめぎ合って、 結局は理性が勝った。



まずは、 好きになってもらう努力……そう、 好きになってもらう努力……だ。

心の中で繰り返す。




「愛の鉄拳だから、 凛ちゃんは何も気にしなくていいのよ〜 」


キッチンで氷嚢(ひょうのう)を作っている凛と、 それを待っている奏多の会話に、 ダイニングテーブルから叶恵が割って入る。



ーー なんなんだよ、 全く……。


漫画パレスで話したあと、 小桜の待つキッチンに行こうとしたら、

『私も行こうっと』なんて口笛を吹きながら叶恵もトコトコついてきた。


小桜とゆっくり話そうと思っても、 何度も横から茶化されて会話が中断するばかり。

姉の監視付きでは言いたいことも言えないではないか。


ーー 応援してくれるんじゃなかったのかよ……。


これでは応援したいのか邪魔したいのか分からない。


小桜から手渡された氷嚢を頬に押し付けながら、 奏多は横目でジロリと叶恵を睨みつけた。

叶恵はその視線をサラリと受け流し、 目尻を下げながらカップの中の紅茶を香り、 満足気に口に運んだ。





「私ね、 樹先輩に会計を断ろうかと思って…… 」


叶恵の向かい側に奏多と並んで座ってすぐ、 ハニワのイラストが入ったお気に入りのマグカップをダイニングテーブルにコトリと置いて、 小桜が唐突にそう言った。


「えっ、 どうして? 」


「うん……。 実は私、 お昼になると生徒会室に逃げ込んでたの」


聞けば、小桜はお昼休みをずっと生徒会室で過ごしていたと言う。

最初は驚いたが、 言われてみれば誰にも邪魔されない穴場スポットだ。

そのために3年間ずっと会計を引き受けていたと聞いて合点(がてん)がいった。



「だけど百田くんが声を掛けてくれて、 ランチも一緒に食べてくれるようになって……もう学校で逃げこむ場所は必要ないのかなって。 それに、 生徒会に入ってると放課後の集まりもあるし、 金曜日に重なると困るから…… 」



ーー それって、 俺と一緒にランチを食べるのが嫌じゃないってことだよな……。


それに、 生徒会に入ってここに来る時間が削られるのは困ると言っているのだ。

奏多と過ごす時間を優先してくれている……そう考えると知らずに口元が緩んでしまう。



「ニヤニヤしてんじゃないわよ、 気持ち悪い」

叶恵に言われて現実に戻った。

やっぱり邪魔しようとしてるとしか思えない。



苦い顔をしている奏多を無視して、 叶恵が小桜の方に身を乗り出し、 顔を近付けた。


「ねえ凛ちゃん、 その『樹先輩』ってどんな人? カッコいい? 背は高い? 」



普段なら、不躾(ぶしつけ)な事を聞くなと止めに入るところだが、 質問の対象が樹先輩となると話は別だ。

そこは奏多も気になるところだったので、 素知らぬ顔で紅茶に口をつけつつ意識を尖らせる。



小桜は、 叶恵からの矢継ぎ早な質問に戸惑いながらも、 目線を上にして『う〜ん』と顎に手を当て考える。

脳裏にはヅカヅカと遠慮なく下級生の教室に入ってくる姿を思い浮かべているのだろうか。



「そうですね…… カッコいいですよ」



ーー マジかっ!

そうだろうとは思っていたが、 直接小桜の口から聞くとダメージが大きい。


ガックリと肩を落とす奏多をチラリと横目に見て、叶恵がニヤリと口角を上げた。

天性のS女なのだろう。



「えっ、 それって凛ちゃんから見ても素敵ってこと? タイプ? 付き合いたい? 」


本当に不躾な質問を繰り出しているにも関わらず、 小桜は特に気にする様子もなく淡々と答えていく。



「う〜ん……好きとか付き合いたいとかっていう感情は全くないです」



ーーよっしゃ!

奏多はダイニングテーブルの下で小さくガッツポーズをした。



「どちらかというと、 何を考えているか分からなくて怖いって気持ちの方が強いかも」



その言葉を聞いて、 奏多はハッと顔を上げて小桜を見た。



樹先輩が怖い……。



それは奏多も感じていたことだった。

堂々としていて飄々(ひょうひょう)としていて颯爽(さっそう)としていて……。


中学の時からその名が知れ渡っていた学園の王子様は、 奏多にとってずっとただの有名な先輩というだけで、 それ以上でもそれ以下でもなかった。


それが1-Aの教室に現れたあの日、 真っ直ぐに小桜を見つめて近付いてくる姿に、 言いようのない威圧感と焦りを感じたのだ。


自分が何ヶ月かかけて築いてきた小桜との関係を、 あっという間に壊されるんじゃないかという恐怖……そう、 この人には勝てないだろうという気持ちが、 ずっと奏多の中に渦巻いていた。



だけど、 小桜が感じている怖さは、 奏多が思っているものとはまた別のものだったようだ。



「笑顔で物腰は柔らかいのに、 有無を言わせない感じというか…… 」


ここで小桜は横にいる奏多に視線を移して、 同意を求めるように言葉を続けた。


「この前のお昼休みだって凄く強引で、 自信たっぷりで…… あまりにも勝手だと思ったから、 思わず反論しちゃった」


肩をすくめてペロッと舌を出す姿が茶目っ気たっぷりで可愛くて……。


ーー うわっ、 レアな小桜発見!


ぽ〜っと見惚れていたら、 小桜に不審げな眼差しを向けられて我にかえった。



小桜の言っている『反論』とは、 カフェテリアに誘われて断った時のことだろう。


「うん。 俺さ、 正直あのとき小桜は樹先輩とカフェテリアに行くんだろうって思ってたから、 ハッキリ断ったの見て驚いた」


すんごい嬉しかったけど……という言葉が喉元まで出かかったが、 ギリギリのところで引っこめた。



「私も自分で言ってから驚いた。 でもね、 私は百田くんとお昼を過ごしたかったし、 樹先輩の言っていることはおかしいと思ったから、 流されて一緒について行くような事はしたくなかったの」


滝山中学校に入学した時に決めた三戒(さんかい)を自ら破ったのだ…… と、 奏多と叶恵に話して聞かせた。



奏多は思わず叶恵と目を合わせ、 パチクリさせた。

自分で決めた三戒を破ってまで樹先輩の誘いを断った……だとっ?!

『百田くんとお昼を過ごしたかった』の部分だけが脳内で何度もリフレインされる。


ーー 姉貴、 聞いたかっ?!



「奏多、 あんた口をポカンと開けすぎ。 それとニヤけすぎ。 気持ち悪い」


一緒に喜んでくれるかと思ったら冷たく罵倒され、 慌てて口元を引き締める。

それでも頬が緩むのは止められなかった。



***



ティータイムを終えて3人で漫画パレスに戻ると、 叶恵は2階にある自室のパソコンで作画作業をすると言い出した。

必要な資料だけを小脇に抱えて廊下に出ようとしたが、 一旦足を止めて振り向いた。



「奏多、 私は作業に没頭するから! 2階に引き籠ってしばらく出てこないからっ! 本当に! 」

「おっ…… おう」


あからさま過ぎて逆に不自然ではあったが、 姉なりに応援してくれているのだと心の中で感謝して、 小桜に向き直った。


「それじゃ小桜、 読書タイムにしよっか」

「うん」


2人はそのまま漫画パレスに残り、 各々が好きな本を物色して読んでいたが、 30分程すると小桜が、 横坐りで右に流していた足を左側に移動させた。



「小桜、 もう一枚座布団重ねる? 」

「ん……大丈夫」

「畳で読書って長時間になると辛いものがあるよな。 せめてリビングで読めたらいいんだけど」

「仕方ないよ。 ここから本の持ち出し禁止だし。 ここで読書させてもらえるだけでも有り難いと思わなきゃ」



漫画パレスから本を持ち出さないというのが最初に叶恵と決めたルールではあるが、 長時間ともなると足や腰が痛くなって、 ついゴロリと横になりたくなる。 せめてソファーでもあればと思うが、 この部屋にはそんな物を持ち込むスペースが無いというのが実情だ。



「あのさ…… 」

奏多は、 ふと思いついたアイデアを口にしようとして、 一瞬躊躇(ちゅうちょ)した。


「えっ、 何? 」

「うん…… 」

言おうか、 やめておこうか……。


自分が言おうとしている事と、 言ったあとの小桜の反応を思い浮かべて怖気(おじけ)ずく。



『相手に好きになってもらう努力をしろ』

『考えて、 悩んで、 動いて、 必死に足掻(あが)け! 』

『気持ちを伝える怖さから逃げるな! 』



叶恵の言葉が脳裏に浮かび、 逃げ出しそうな奏多の背中を後押しした。



「小桜、 俺の背中にもたれなよ」

「えっ? 」


「そのまま座ってるの、 シンドイだろ? 俺の背中にもたれれば、 多少は楽になると思うんだ」



小桜が初めて百田家に来て涙を見せた日、 あの時はただ彼女に泣ける場所を与えてあげたいと思って背中を貸した。


ーー だけど今は違う。


彼女のそばにいたい、 触れたい、 大切にしたいという気持ちが奏多を動かしている。



「ほら、 前に俺の背中で泣けばいいって言っただろ? 俺は…… 俺の背中は、 小桜が安心して安らげる場所であって欲しい」

「…………。 」



「いやっ、 嫌なら無理にとは……! 」

「…… ありがとう…… 百田くん」



ためらいがちに、 ゆっくりと背中にもたれかかってくる重みを感じて、 奏多は一瞬体を硬くした。


首すじにかかる小桜の細い髪がくすぐったいのに、 ピクリとも動いてはいけない気がして払い退()けることが出来なかった。


後ろで本のページをめくる音がして、 奏多はようやく呼吸を再開した。

ゆっくり目を閉じて、 そして開いて……。



「小桜…… 」

「んっ? 」

「俺…… 小桜のこと、 名前で呼びたい」

「私の名前? 凛って? 」



「……うん。 姉貴とか奈々美とかが小桜のこと、 下の名前で呼んでるだろ? だから、 なんか羨ましいなって…… 名前で呼びたいなって、 ずっと思ってた」



「それじゃあ、 私も百田くんのこと、 下の名前で呼びたいな」

「俺のこと? 奏多って? 」

「うん…… 百田くんが良ければ。 みんなが奏多って呼んでるの、 羨ましいなって思ってた」



「そっか…… 」

「うん。 ずっと百田くんって呼んでたから今更って感じだけど……」

「なんか照れるね」

「うん、 照れるね」



「呼び捨てかチャン付けかも悩むよね」

「うん、 呼び捨てかクン付けかも悩む」



「俺はどっちでもいいけどね」

「私も……」



小桜がクスッと笑うと、 その振動が背中に伝わってきてゾクリとした。

奏多もクスリと笑った。 この振動も彼女に伝わっているのだろう。



ーー 好きになってもらう努力……だ。

そう、 焦らず、 ゆっくりと、 こうやって2人の距離を縮めていければいい……。



自分の気持ちも背中の熱と一緒に彼女に伝わればいいのに……。

そう思いながら奏多は、 預けた背中に少しだけ体重をかけてみた。

合わせた背中が熱かった。



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