7、 足掻け!
「さて奏多、 分かってるね」
小桜が部屋を出ていくのを待って、 叶恵が険しい表情で切り出した。 座卓に両手をついて、 ヨイショと立ち上がる。
「お…… おう」
奏多も立ち上がり歯をくいしばると、 お約束の平手打ちが炸裂した。
「……っ、 痛てっ…… 」
本当に遠慮も躊躇もない。
奏多は右の頬を押さえて顔をしかめた。
口の中までヒリヒリするが、 ルールを破ったペナルティーだ。 仕方がない。
それに、 グダグダ悩んでいる自分に喝を入れられたようで、 逆に勇気をもらったような気がした。
「さて、 それじゃあ詳しく聞かせてもらおうか」
座布団に座り直した叶恵が真っ直ぐ見据える。
さっきは小桜の手前、 適当にぼかして説明していたが、 本当は叶恵と2人だけになったら全部話そうと思っていた。
隠しておくのが心苦しかったのもあるが、 叶恵に聞いて欲しいという気持ちの方が大きかった。
学校で起こったこと、 陸斗の言葉、 小桜への気持ち……。
自分だけでは処理しきれないこれらの答えを叶恵なら教えてくれるのでは……という、藁にもすがるような気持ちだった。
「姉貴、 後でゆっくり聞いて欲しいことがある」
「今は言えないこと? 」
「うん、 小桜には聞かれたくない、 俺の本音」
「ふ〜ん、 本音ねえ…… まあいいわ。 それで、 凛ちゃんとは本当に何も無かったの? 本当はチューくらいしたんじゃないの? 」
「してないって! 」
思わず声が大きくなって、 慌てて廊下の方を見やる。
小桜は紅茶を淹れに行っている……だが多分、呼ばれるまでこちらには戻ってこないだろう。
彼女はとても賢い。 キッチンに行けと言った叶恵の意図をきっと理解している。
「キスはしてない。 告白もしてないのに、 そんないい加減なこと出来ないよ。 だけど…… 」
声を潜めて 「抱きしめた」と言った途端、 「うおっ! 」と変な声を出して叶恵が目を輝かせた。
「そこんとこ詳しく! 」
「だから今はまだ言えないって! それと、ちょっと声のボリューム考えてよ」
「どうでもいいから早く言え」
「だからさ……もう俺もいっぱいいっぱいなんだよ。 好きって言いたいんだよ。 弱ってる時に目の前に来て慰められたら抱きしめたくなるだろ」
「うほっ! こういう話、 大好物! 」
ーー こんなのに相談に乗ってもらおうと思った俺が馬鹿だった。 なんかまた変な声出してるし。
奏多が少し後悔し始めたところで、 叶恵が真顔に戻って口を開いた。
「好きって言えばいいじゃない」
「はああ?! 」
奏多は口をあんぐり開けて言葉を失った。
何を言ってるんだ、 この女は!
それが出来たらこんなに悩んでないんだ。
小桜にとって、この家はやっと出来た自分らしくいられる場所なんだぞ!
それを俺の自己満足で奪えっていうのか。
「やっぱいいわ……自分で考える」
小桜の元に行こうと腰を浮かせると、 凄味のある声音で叶恵が引き止めた。
「奏多、 あなたは自己完結し過ぎなの。 自分が告白なんかしたら凛ちゃんを悩ませることになるとか居場所を奪うとかウジウジ悩んでるんだろうけどね、 恋愛は相手があってこそなの。 勝手に完結してどうするのよ」
「だから、 彼女のことを考えるからこそ言えないんだろ」
「あんたズルイのよ」
「はあ? 何言ってんの」
「フェアじゃないって言ってるの! 」
そもそも奏多が小桜を好きになった時点でフェアでは無いのだ。
好きな相手に気持ちを隠して家に呼んでいる時点でズルイのだ……と叶恵は言う。
奏多の主張は、 一見相手のことを思いやっているようでいて、 実は自分が傷つかないための詭弁ばかりだ。
何の努力もせずに、 何も変えようとせずに、 このまま彼女に一番近い位置をキープしたいだけなのだ。
告白して小桜を悩ませたくないのなら、 両思いになればいい。
断られる前提で話を進めるから膠着状態なのだ。
相手に好きになってもらう努力をしろ。
告白して振られることを恐れるな。
もしも振られたとしたら、 その後も小桜が気にせずこの家に来られるように、 そのためにどうすればいいかを考えろ。
考えて、 悩んで、 動いて、 必死に足掻け!
気持ちを伝える怖さから逃げるな!
それさえもせずに好きになってもらおうなんてのは、 本物の恋じゃないんだ!
ーー うわっ、 抉られた。
自分の隠そうとしていた弱さやズルさを指摘され、 奏多は恥ずかしさで逃げたい気持ちだった。
自分で薄々気付きながらも見て見ぬフリをして誤魔化していた本心を、 この姉には全部見抜かれていた。
「お見通しかよ…… 」
「少女漫画家を舐めんじゃないわよ。 様々なパターンのDKキャラの思考パターンを把握してるんだから」
「…… 少女漫画家じゃなくて、 少女漫画家志望だけどな。 それに男子高校生ってちゃんと言え」
「うるさいわっ! そんな生意気な口きくなら凛ちゃんに全部バラすぞ! 」
「うわっ、 すいません、勘弁して下さいっ! 」
そろそろ凛ちゃんのとこに行ってあげなよ……。
顎をしゃくって叶恵から廊下に出るよう促され、 奏多はゆっくり立ち上がった。
引き戸に手を掛けた背中に向かって、 叶恵が声をかけた。
「ちなみに私のオリジナルデータによると、 あんたは『ヒト科メガネ属イイ男種』に分類されている。 私がイイ男になるように教育したんだ、 自信を持て」
ーー ありがとう。
そう声に出したら泣きそうだったから、 ただ黙って頷いた。
振り返らずに勢いよく引き戸を開けると、 遠くから甘い紅茶の香りがした。