5、 守りたい
奏多が家の玄関を開けると、 三和土に見慣れた黒いローファーが揃えられていた。
漫画パレスを覗いたが姿が見えなかったためそのまま奥に行くと、 ダイニングテーブルで小桜が教科書を開いていた。
「小桜…… 」
「あっ、 百田くんお帰り。 ビックリした! メールしてこないって珍しいね」
「……うん」
「まだ帰ってこないと思ってたから何も準備してないんだけど……紅茶淹れようか? それとも宿題始めちゃう? 」
「うん……そうだね」
「百田くん…… 大丈夫? 」
「えっ? 」
「なんだか……泣きそうな顔してる」
奏多は、 心配そうに見守る小桜に「着替えてくる」とだけ短く告げて、 2階への階段を上った。
床にカバンを放り投げ、 重苦しい気持ちでノロノロと着替えを済ませると、 2階の洗面所で勢いよく顔を洗う。
鏡の中には、 目を充血させたなんとも情けない顔の自分がいた。
一度階段の方へと向けた足を止め、 再び自分の部屋に戻る。
本棚の前で体操座りをして、 膝を抱えて俯いた。
ーー ああ、 本当だ……俺、今マジで泣きそうだ
陸斗と話をした後、 1人で肩を落として帰ってきた。
いつもなら心を躍らせて足早に向かう金曜日の帰り道が、 今日は途方もなく重苦しく憂鬱に感じられた。
ついさっき陸斗に言われた言葉が頭の中でぐるぐる巡る。
『お前は女の子に優しくは出来るけど、 女子の間に流れる空気を読めてない』
低く静かに、 だけどハッキリ言われた。
他の女子の前で小桜を必要以上に構うな、 庇うな、 褒めるな。
小桜はただでさえクールビューティーとかマドンナとか持て囃されて、 更に今回の樹先輩との事で女子から妬みの対象になっている。
そのうえ男子に囲まれてランチを食べてたら余計に目の敵にされてしまうだろう。
奈々美と都子が入ってこなかったらそれこそ陰口の的になるところだった。
小桜の前で他の女子を簡単に褒めるな。
勉強ができるとかそれくらいなら構わない。
だが可愛いとか、 下手すると気があると思われるような言葉を軽々しく口にするな。
今までならそれでも良かっただろうけど、 今は小桜の事を好きなんだろう?
だったら誤解されるような言動を慎むべきだ。
奏多が親しくしている女子…… 特に奈々美や都子に小桜のことを気安く頼むな。
お前は小桜を中心に動いていてばかりで周りのことが全く見えていない。
優しいことは美徳だが、 独りよがりの優しさはまわりを傷付けるだけだ。
お前は小桜の彼氏でも保護者でも無い。
そして絶対にバレてはならない秘密の関係であることを決して忘れるな。
迂闊すぎる。
最後に、
『俺は他人の気持ちを代弁したり、 勝手に告げ口するような真似はしたくない。 だから皆まで言わん。
自分で良く考えて反省しろ! 』
散々言いたいことだけ一方的に告げて、 陸斗はさっさと部活に行ってしまった。
陸斗の言っていたことは、 半分は理解できるが半分は納得できない。
小桜が嫉妬や羨望の的になっていることは分かっている。
そのせいで過去に辛い思いをしたことも聞いている。
だけど、 1人でポツリといる小桜を放っておくことなんて出来なかった。
奈々美を可愛いと言ったのだって、 話の風向きが悪くなったから軟着陸させたいと思ってのことだ。
そりゃあ、 小桜の前で他の女子を褒めたのは良くなかったかも知れない。
良くは…… なかった。 小桜に誤解されたらどうしよう。
正直後悔している。
都子や奈々美は中1で同じクラスになってからずっと気の合う友達としてやってきた。
あいつらならきっと小桜のいい友達になってくれるんじゃないかと思った。
でも…… もしかしたら、 小桜にとっては余計なお世話だったのかも知れない。
友達は他人が押し付けてなるようなもんじゃない。
独りよがり…… 陸斗の言う通りだ。
だけど、 だったらあの時どうすれば良かったんだ?!
小桜を放っておけば良かったっていうのか?
守りたい、 助けたい、 側にいたい、 触れたい、 話したい……。
大切な人が出来たその瞬間から自然に芽生える欲求だ。
なのに、 小桜との秘密を守るために、 小桜に何もしてあげられないなんて……。
今日も自分のことで頭がいっぱいで、 小桜に帰るメールをすることさえ忘れていた。
これじゃ本末転倒だろう。 大馬鹿野郎だ。
自己嫌悪で押し潰されそうだ。
一体、 何が正解なんだ?
奏多は自問自答したが、 余計に混乱するだけで答えは見つけられなかった。
もしも陸斗や樹先輩だったら上手く答えを導き出せたのだろうか……。
トントンッ
ドアに響くノックの音で顔を上げた。
「百田くん? 」
ーー 小桜!
「もう少ししたら行くから、 下でまってて! 」
「でも……」
ドアの向こうで迷っている気配があった。
「本当に大丈夫だから、 行って! 」
今のこんな顔を絶対に見られたくない。
顔を合わせて何をどう言えばいいかも分からない。
「……ドア、 開けるよ」
「駄目だって……! 」
小桜がゆっくりとドアを開けた。
床に座り込んでいる奏多と目が合う。
耐えきれず奏多が目をそらすと、 小桜は軽く眉をひそめて部屋に足を踏み入れた。
そのまま奏多の正面に正座すると、 奏多の顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 全然大丈夫じゃないよね」
「いいから、 出てって。 後で行くから」
「良くないよ。 泣きそうな顔してる」
「……っ、 だから、 かっこ悪いとこ見せたくないんだって! 頼むから見るなよっ! 」
奏多が声を荒げると小桜は一瞬ひるんだが、 下唇をぐっと噛んで気持ちを整えると、 奏多の肩をつかんで再び顔を覗きこんだ。
「かっこ悪くたっていいよ、 お願いだから隠さないで、 全部見せて」
肩に置かれた指に力がこもる。
「百田くんは私の話を聞いてくれたし助けてくれたのに、 どうして私には話してくれないの? 」
「…… 言いたくないことだってあるんだよ」
「だったら全部じゃなくたっていい。 辛いことや悩みがあるんだったら、 少しでもいいから私に分けて欲しい。 私は百田くんにそうやって助けてもらったから」
何も知らずに側にいる方が辛い……
その言葉を聞いた途端、 奏多の胸から何かが溢れ出した。
奏多は自分の肩に置かれた小桜の両手を掴んで下ろすと、 そのまま彼女の背中を抱きしめた。
「ごめん……ちょっと、このままで…… 」
「……うん」
奏多はその肩に顔を埋め、 ゆっくりと息を吐いた。 小桜はピクリと一瞬だけ肩を震わせたが、 そのまま動かなかった。
「ごめん。 俺は自分のことでいっぱいいっぱいで、 周りのことが見えていなくて…… 小桜を守ってやりたいのに、 空回りしてる」
「…… そんなこと…… 」
「俺、 ちゃんと考えるから…… 今の小桜との関係を無くしたくないから、 どうしたらいいか、 どうしたら守れるのか、 必死で考えるよ。 だから…… 」
ーー だから、 離れていかないで。
背中に回した腕に、 ギュッと力を込めた。
「…… うん」
小桜が奏多の背中にそっと手を回した。
そのまま2人は黙ったまま、 お互いの鼓動を感じていた。