19、 はじまりの話 (後編)
窓枠にもたれた凛が遠くから眺めているのに気付かず、 モモタカナタはせっせと踏み台を運んでいた。
掲示板の前で折り畳み式の踏み台を広げると、
ステップに足を掛けようとする女生徒からポスターを預かって持つ。
「なんか足元が怖いんだけど……」
「押さえとくから大丈夫」
カナタは踏み台がグラつくのを怖がる女生徒のために、 台をグッと押さえ、 見守った。
「オッケー、 モモタっち、 ポスターちょうだい」
「ほい」
「あっ、 山本、 右側がちょっと上がってるよ」
「えっ? こんな感じ? 」
「うん、 そんな感じ」
モモタカナタがポスターを見上げてアドバイスしているが、 掲示板の方ばかり向いているので、 反対側にいる凛からは顔がよく見えない。
だけど、 ちらりと見た感じでは、 特に特徴が無い……というか、 想像していたようなイケイケな雰囲気は感じられなかった。
モモタカナタの新情報。
中肉中背。 特徴のない黒髪。 眼鏡。
意外にも……派手さが無い?
ーー もうちょっと顔をハッキリ見てみたいな……。
そう思っていた時、
「カナタ、 何やってんだよ〜! 」
階段を駆け下りてきた派手めの男子生徒がモモタカナタの肩をポンッと叩いた。
「お前、 先に行ってカフェテリアの席を確保してるんじゃなかったのかよ?! 」
「あっ、カズマ! いや、 そのつもりだったんだけど……悪い」
「お前はまたお節介焼いてんのか…… 。 山本、お前、 カナタを気軽に使うなよなぁ! 」
「違うって! モモタっちが優しいから手伝ってくれてるんだもん! 」
「カナタ、 お前、 女子に甘すぎ! 」
「いや、 だって山本が困ってるし…… 」
どうやら3人はクラスメイトらしい。
ーー 友達の方がチャラ男っぽいな。 茶髪だし。
「とにかく、 山本、 早くポスター貼っちゃえよ。 はい、 画びょう」
「ありがとう! 」
「あっ、 またズレてる」
「うそっ、 どっち側? 」
そんな2人のやり取りを見ていたカズマが、 ニヤッとして言った。
「おい、 カナタ…… 」
「なんだよ」
「カナタ、 お前、 山本のスカートの中が見えてんじゃね? 」
「はああああ?! 」
「だってさ、 踏み台を押さえて見上げる時、 簡単にスカートの中を覗けるじゃん」
「見えないし覗いてないし! ずっとポスター見てるから! 」
カズマの発言にカナタが首筋を赤くして狼狽えている。
「カズマ、 うるさいっ! 山本、 また右側が上がってる! 」
「え〜っ、 難しい〜! モモタっちがやってよ〜 」
「分かったから、 山本、 下りて! ほら、 手!」
ーー あっ、 こっち向いた!
カナタが踏み台のステップから離れて山本という女生徒に手を貸した時、 その顔がハッキリ見えた。
あっさりした穏やかそうな顔。 黒いフレームの縁なし眼鏡。 チャラ男というよりは真面目そうな……。
ーー やっぱり想像とは違っていた。
モモタカナタは山本の代わりに踏み台を上がり、 手を伸ばしてポスターを貼っている。
「カズマ、 ポスターの位置、 どう? 」
「うん、 いい感じ」
「よっしゃ。 画びょうをちょうだい」
「カナタ、 お前さ…… 」
「んっ? 」
カズマはカナタに画びょうを手渡しながら、 またもや先程の話を蒸し返す。
「最初っから自分が踏み台に上がれば良かったんじゃん。 やっぱりスカートの中を覗いてたんだろ〜 」
「はああああ?! 覗くかっ! バカヤロー! 」
ポスターを貼り終えたカナタが踏み台から慌てて下りて、 カズマを睨みつける。
「私、 モモタっちになら覗かれてもオッケーだよっ! 」
「だっ、 だから覗かないっつーの! 」
「キャハハハッ! モモタっち可愛い! 」
カズマと山本の2人からからかわれ、 振り向いたカナタの顔は、 遠目にもハッキリ分かるほど耳まで真っ赤に染まっていた。
そんなカナタを見て調子に乗ったのか、 カズマが更に続ける。
「大体さ、 眼鏡かけてる奴ってエロいしムッツリなんだよな」
「エロくないしムッツリでも無いわっ! 」
「いやっ、 眼鏡のムッツリ率は絶対に高い! 」
「偏見だっ! 眼鏡を差別するなっ! 」
「決めた! お前は今日から『むっつり眼鏡』だ! 」
「はああああ?! 」
カズマが声高らかに宣言した。
ーー 『むっつり眼鏡』って……
ナニソレ! 面白すぎる!
「プッ……くくくっ……」
堪えきれず凛が口元を押さえて笑い出す。
その気配に気付き、 カナタが凛の方を振り向いた。
ーー あっ、 見てたの気付かれた?!
凛とカナタの視線が一瞬交わったが、 先に目をそらしたのはカナタの方だった。
「ほら見ろ、 カズマが変なこと言うから知らない人にまで笑われたじゃん! 」
「うるさい、 スカートの中を覗いてる方が悪い! むっつり眼鏡! 」
「見てないし、 むっつりじゃねーしっ! 」
ーー ヤバイ、可笑しすぎる!
このままでは怪しまれると、 凛は右手で口元を押さえ、肩を震わせながら生徒会室に向かった。
掲示板の前を俯き気味で通過しようとした時、
「あっ、 ちょっと! 」
カナタから呼び止められ、 ビクッとして足を止める。
「あれ、 忘れ物じゃない? 」
「えっ? 」
カナタが指差している方向を振り返ると、 さっきまで凛が立っていた窓辺にコーヒーとお茶のペットボトルが忘れられていた。
ーー あっ!
取りに戻ろうと1歩踏み出した時、 一足先にカナタが走って行き、 ペットボトルを手に戻ってきた。
「はい、 どうぞ」
凛の目の前に笑顔で差し出す。
「…… ありがとう」
「どういたしまして」
眼鏡の奥の細めた瞳が優しく見つめていた。
心臓をドクドクさせながら、 足早に生徒会室に駆け込む。
ーー 全然チャラくなかった。 むしろ……。
むしろ優しくて、 誠実そうだった。
優しいけれど、 媚びてはいなかった。
廊下からはまだ3人の声が聞こえてくる。
「俺は踏み台を返してくるから、 席取りはカズマに任せるわ」
「もう席が空いてないかもよ〜、 誰かさんのせいで」
「悪かったよ。 それじゃ、 後で追いかけるから」
「オッケー」
「モモタっち、 カフェテリアに行くの? だったら私もカフェテリアに行く! ナナミも呼んでくるから一緒に食べようよ! 」
「嫌だ! またからかうからお前らとは食べない! 」
「ええっ、 いいじゃ〜ん! 」
3人の会話の応酬が微笑ましい。
遠ざかる声を聞きながら、 凛は生徒会室の長机でお弁当箱を開いた。
1人で食べるのは嫌じゃない。 むしろ気楽でいい。
……けれど、 さっきの3人は、 この後カフェテリアでさっきみたいにふざけ合いながら、 賑やかにランチを食べるのだ……。
そう思うと、 いつもよりお弁当が冷えびえとして、 味気なく感じた。
***
あの1年生の2学期、 廊下で初めて彼を見かけた日から、 凛はその姿を度々校内で見かけるようになった。
と言うよりも、 たぶんそれまでにも何度か校内ですれ違っていたのに、 顔を知らなかったが故に気付いていなかっただけなのだろう。
下駄箱で、 廊下で、 階段ですれ違うたびに、 『モモタカナタ』は友人とふざけたり、 じゃれ合ったりしながら笑っている。
そして困っている人がいたら、 迷わず手を差し伸べていた。
誰かが重いものを持っていたら運んであげるし、掲示板にポスターを貼っている子がいれば紙の上をそっと押さえて手伝ってあげる……。
***
そして今日もまた凛は、 廊下から聞こえてくる『モモタカナタ』の声を聞いている。
今日手伝っている相手は、 敬語を使っていることから察するに、 たぶん先輩なのだろう。
相変わらずからかわれている。
凛は思わず頬を緩めて会話に聞き入る。
カズマに不名誉なあだ名をつけられたあの日から、 カナタは踏み台を押さえる係はしなくなり、 代わりに紙の上を押さえるか、 自分が台に登ってポスターを貼るようになった。
スカートの中を覗いていると言われたのがよっぽどこたえたのだろう。
彼がチャラ男でも偽善者でもなく、 ただ純粋に良い人なのだと、 今では凛も知っている。
だけど、 凛はまだ知らない。
『モモタカナタ』が『百田奏多』だということを。
1年後に2人が同じクラスになることを。
その数ヶ月後に隣の席になり、 更にその数日後には、 運命の持ち物検査があるということを。
***
「え~、今から皆さんお楽しみの持ち物検査を行いま~す! 」
朝のHRで、ジョー先生こと私立滝山中学校3-A担任の富士沢丈がそう宣言した途端、クラス中が一斉にザワついた。
「これ、お願い! 」
「ちょっ、なっ、何? 」
凛はまだ知らない。
このあと百田奏多が友達以上の大切な存在になるということを。
そして、 この2人の関係がどう変わっていくのか……それはまだ、 誰も知らない。
第1章 『中学編』はこれで終わりです。
人物紹介と凛の背景の説明のために現在と過去を行ったり来たりしたので、話が飛んで読み辛かったかと思います。
ここまで辛抱強くお付き合いくださりありがとうございました。
ここからは『高校編』に突入します。
登場人物が増え、学校生活も詳しく描かれる予定です。これからの凛と奏多がどうなって行くのか、暖かく見守ってあげて下さい。
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