37、 2人のハーモニー
奏多と凛が2次会で皆と別れて家に帰ってきたのは、 午後8時を過ぎた頃だった。
「疲れただろ? 俺が引き出物を運んでおくから、 凛は先にシャワー浴びてきなよ」
「ありがとう、 そうさせてもらう」
奏多がキッチンで引き出物のシャンパングラスを洗って棚に並べていると、 パジャマに着替えた凛が横から覗き込んできた。
「わあ、 素敵! こういうクリスタルのグラスが欲しいと思ってたの。 …… あっ、 私たちのリングと同じブランドだね」
凛が奏多の目の前で2本のリングが嵌った薬指をヒラヒラと揺らして見せると、 奏多が目を細めて彼女の指をつかみ、 リングにチュッと口づけた。
奏多たちの結婚指輪は水色のイメージカラーで有名なその高級ブランドのもので、 女性デザイナーの名が冠された0.02カラットのプラチナリング。
凛が商店街の宝飾店でいいというものを、 奏多が口コミ検索して百貨店の店舗まで連れて行き、 ガラスのショーケースの上にあれこれ並べさせて選んだものだ。
ちなみに、 結婚指輪の上に重ね付けしている婚約指輪も同じブランドのもの。
結納を兼ねた食事会の前日に、 奏多が畳の上で跪いて、 お約束の『箱パカッ』をして見せた。
『ちゃんとした結納を交わすわけじゃないし、 婚約指輪は必要ないからね』
と凛が念押ししていたにも関わらず、 奏多が内緒で購入していたのだ。
水色の小箱の中でキラキラと輝きを放っているそのリングを見たとき、 凛は最初に目を見開いて息を呑み、 次には思わず涙ぐんでいた。
「こんな立派なもの…… 私には勿体ないよ…… 」
「何言ってるの、 エンゲージだよ?! 古代エジプトから続く大切な約束の証なんだよ? そんなの独占したい相手には絶対に贈りたいに決まってるじゃん! 」
「ふふっ…… またいろいろ調べたの? 」
奏多は目を潤ませている彼女の左手をそっと取ると、 白くて細い薬指にリングをスッと嵌めた。
0.3カラットのブリリアントダイヤが、 プラチナアームの上で光を反射している。
ーー 彼女は俺のもの……。
奏多は、 凛の指に輝く自分が与えた『約束の証』に目を細めると、 それを身につけている愛しい人の顔を満足げに見上げた。
「もちろんね、 いろいろ調べたよ…… 人気のエンゲージリングと、 ダイヤの種類や大きさの違い。 凛みたいに実用性を重視するなら爪は低い方がいい…… とかさ、 ちょっと語れるくらい勉強した」
「…… ふふっ、 語れちゃうんだ」
「うん、 語れる。 例えば、 このリングの名前にはね、『愛し合う二人の人生がひとつになり、 新しい調和を奏でる』って意味があるんだよ。 それを聞いた時、 あっ、 コレにしよう! って思ったんだ。 だってさ、 それって俺たちのためのリングみたいじゃない? 」
「私たちのため…… のリング? 」
「そう。 『凛』ってさ、 音だけ聞くと『リン』って鈴の音みたいだろ? それで、 俺の名前が『多く奏でる』の『奏多』。 凛と俺とで音を奏でてるんだよ。 まさしくハーモニーじゃない? 」
「…… ホントだ…… 2人でハーモニーを奏でてる…… 」
自分の薬指を見つめる視界がジワリと滲んで見えなくなると、 あとは両手で顔を覆ってただ肩を震わせた。
漫画パレスには、 凛の嗚咽する声だけが響き渡っていた。
***
凛はあの日の感動を思い出しながら、 もう一度目の前でリングをかざして見る。
「キレイ…… 普段はなかなか嵌めれないけど、 やっぱりエンゲージリングも特別って感じでいいね」
「…… だろ? お義父さんの言葉じゃないけど、 学生の身分でこんなのは生意気かなって、 俺もちょっとは思ったんだよ。 だけど、 無理してでも、 凛が恥ずかしくないレベルの物を贈りたかったんだ」
生真面目な奏多らしく、 予算は定説に従って、 しっかりバイト代の3ヶ月分を設定。
実際には貯金からも少し足して、『平均的な婚約指輪の値段』を下回らない品を購入した。
「あの時は、 奏多が頑張ってくれたんだと思うと値段のことを聞けなかったんだけど…… 結構無理して買ってくれたんだよね? 」
「ん〜…… まあ、 普通に3ヶ月分にちょい足したよね。 臨時ボーナスのお金とか。 でも、 俺が無理したかったんだし、 全然苦にはならなかったよ。 まあ、 時給4千円の人気家庭教師というのは伊達じゃなかったってことで」
「ふふっ、 自分で人気って言っちゃったね」
「ハハッ、 言っちゃったな。 あのとき凛は婚約指輪をいらないって言ってただろ? だけど俺は、 学生だからっていろいろ省くんじゃなく、 一通りのことをちゃんとやってあげたいと思ったんだ。 凛を大切に思ってる御両親のためにもケジメをつけておきたかったし。 だけどさ…… 」
「…… だけど? 」
「今だったら、 それよりももっと立派なのを買ってあげられたのにな…… とも思うんだ。 俺の気持ちで突っ走っちゃったみたいなとこもあったしさ。 あの時は勝手しちゃってごめんな」
「ごめん…… なんて…… 」
凛は奏多の首にガバッと抱きつくと、 耳元で懇願するように呟いた。
「『ごめん』だなんて言わないで。 謝ったりしたら、 あの時のことを後悔してるみたいじゃない」
「そりゃあ俺だって婚約したことは後悔してないけど…… 」
「私はあのタイミングで奏多と婚約出来て、 本当に良かったって思ってるよ。 婚約指輪をもらえて嬉しかったよ。
だってこの指輪は、 私が奏多のものだっていう『約束の証』なんでしょ? あの瞬間から私は本当に『奏多のもの』になれたんでしょ? それからずっと、 2人でハーモニーを奏でてるんだもん、 やっぱりあの時じゃなきゃ、 この指輪じゃなきゃダメだったんだよ。 ちゃんと意味があるんだよ」
「うん…… そうだったな。 ハーモニーを奏でてるんだもんな」
奏多が凛の背中に手を回すと、 凛も奏多の首に回していた手に力を込めた。
「…… ねえ凛、 乾杯しようか」
「えっ、 乾杯? 何に? 」
「ん〜、 凛が俺のだって再認識した記念、 2人でハーモニーを奏でてる記念、 凛が今日も一番綺麗だった記念、 その綺麗な人が思いっきり抱きついてきてくれて嬉しい記念…… 」
「ふふっ、 記念日だらけ」
「…… そうだよ。 毎日が幸せで、 毎日が幸せ記念日だ…… 。 いいだろ? ちょうど新しいシャンパングラスもある」
「そっか…… それなら私は…… 奏多にキスしてもらう記念日にしようかな」
凛が奏多の首に回していた手を緩めてイタズラな瞳で見上げると、 奏多も一瞬呆気にとられたあとでハハッと表情を崩した。
「いいね、 その案…… 乗った」
ゆっくり顔を近づけて唇が触れたその瞬間、 今日という日もまた、 2人の記念日になった。
次のお話が最終話になります。