18、はじまりの話 (中編)
お昼休みの生徒会室は、 凛専用の休憩所だ。
特別な友人を作ったり、 誰かと親密な付き合いをしたくない凛は、 12時40分の昼休みになると、 お弁当を持ってこの部屋にやって来る。
部屋の奥にはホワイトボードとコピー機1台。
中央には長方形の折りたたみテーブルにパイプ椅子が並んだだけのシンプルな配置。
中2の4月初旬、 凛が昼休みの時間をここで過ごすようになって既に1年が経過していた。
本当は最初の1年だけで会計を終えるつもりだったのだが、 『会計の特権』は想像以上に価値があった。
誰にも邪魔されず、 干渉されずに寛げるこの空間はかなり快適だ。
ここではなく教室で1人お弁当を食べる自分を想像すると、 背筋がゾクリと冷える。
1人で過ごすことは嫌じゃないし、 むしろ気楽でありがたい。
だが、 『1人で可哀想』だと同情の眼差しを向けられるのは真っ平ごめんだ。
変に気を遣って一緒に食べましょうなんて誘われても困る。
だから去年の11月、 次年度の生徒会選挙の後で担任から、
『小桜、 来年度の会計をやってくれそうな奴、 誰か知らない? 』
と聞かれた時、 凛は迷わず
『良かったら私がまたやりますよ』
と答えたのだった。
憩いの場確保 & 先生の信頼ゲットだ。
そうして、 生徒会室で過ごす時間は2年目に突入した。
凛は机の上にコトリと弁当箱を置くと、 一旦部屋から出て右折した。
真っ直ぐ廊下の突き当たりまで進み、 そこで今度は左折すると、 東西に長く伸びている渡り廊下に入る。
この渡り廊下は、 中庭を挟んで建っている滝山中学校と高校の両校舎を結ぶもので、 渡り廊下の途中には両校共有のカフェテリアと売店がある。
凛は売店の隣の自動販売機が2台並んだところで立ち止まり、 いつもの緑茶のペットボトルと微糖コーヒーを1本づつ買って、 そのまま元来た道を戻って行った。
あと少しで生徒会室……という所で、 その手前の掲示板の所で喋っている男女を発見した。
「この辺りでいいですか? 」
「違う、 もうちょい右! 」
「ええっ! これ以上右に行くと園芸部のポスターに被っちゃいますよ」
「いいの、 いいの! うちのポスターが目立てば」
「そんなの駄目ですって! 」
3段ステップのアルミ製踏み台に立って、 ポスターを右に左に動かして悪戦苦闘している男子生徒と、 指示を出している女生徒。
2人の姿を横目に見ながら、 凛は隣の生徒会室に入っていった。
「モモタ君、 サンキュ! 助かった」
「どういたしまして」
「お礼に彼女を紹介してあげようか? 」
「いや、 結構です」
「なんでよ、 年上はダメ? 」
「そういうんじゃないですけど…… 」
「キャハハ! 」
2人の会話は生徒会室にも聞こえてくる。
ーー また手伝ってる。
凛はその声の主…… 『モモタ君』を知っている。
『モモタカナタ』
凛がその名前を覚えるまでに、 大して時間はかからなかった。
最初にその名前を聞いたのはいつだったか……。
去年なのは確かだが、 ハッキリとは記憶にない。
だがある日、 いつもの昼休みに『モモタ君』の名前が耳に入ってきた時、 自分がここで、 かなりの頻度で『モモタカナタ』の名を聞いている事に気付いた。
それから意識して廊下の声を聞くようになると、
実に1週間か2週間に一度は、 『モモタカナタ』が掲示板前で立ち止まっている事が分かった。
それは時には『モモタ君』だったり『カナタ君』だったり、 時には『カナタ』だったり『モモタっち』だったり。
呼び方に多少の違いはあるものの、 総じて共通しているのは、 『彼』が『誰かの手伝い』をして『お礼を言われている』ということだった。
生徒会室と会議室の間の壁には、 コルク製の大きな掲示板が設置されている。
そこは学校の誰でも自由に利用できることになっているので、 校内新聞や学校行事の案内の他にも、 部活の勧誘やペットの飼い主募集など、 掲示物は多岐に渡っている。
生徒が掲示物を貼りに来るのは、 時間に余裕がある時…… 朝のHR前か、 昼休みか放課後が大半だ。
そして『モモタカナタ』は、 何かを掲示しようとしている生徒を見掛けると、 必ずと言って良いほど手伝っているのだった。
ーー なんだか偽善者っぽいな。
又は女の子目当てのチャラ男なのか……。
最初に凛が思ったのはソレだった。
掲示板にポスターを貼るなんて誰でも出来ることだし、 職員室から踏み台を借りてこれば、 高い所でも簡単に手が届く。
それをわざわざ毎度のように声掛けするなんて女子への人気取りとしか思えないし、 簡単に出来ることを人に頼む方も甘え過ぎだと思う。
かなり長い間、 そう思っていた。
その認識が変わったのは、 声だけではなく、 『モモタカナタ』の姿を始めてこの目で見た日だった。
たぶん1年生の2学期始め、 9月頃だったと思う。
その日はお昼休みに入る前に先生に呼び止められ、 生徒会室に向かうのがいつもより遅くなった。
階段を足早に駆け下りて1階へ向かい、 向かい側の生徒会室にお弁当を置くと、 すぐに自動販売機へと急ぐ。
無事、 いつものお茶と微糖コーヒーをゲットして、 渡り廊下から上機嫌で右折したところで、 掲示板の前でポスター片手に上を見上げている女子生徒が目に入った。
ああ、 掲示板のスペースが上の方しか空いてないんだな……と凛は気付いたが、 本人が踏み台を借りてこれば済むことだ。
そのまま気にせず廊下を進む。
すると、 階段からダダッと走り降りてきた男子生徒がその女生徒に気付き、
「あっ、 踏み台を取ってくるよ」
迷わず職員室へと向かった。
ーー あっ、 これはもしかしたら……。
直感のようなものが働いた。
ーー 違うかも知れない……。
だけど、 あの声、 あの流れ。
きっとたぶん、 そう、 あれは……。
「あっ、 ありがとう、 モモタっち」
「うん、 オッケー、 オッケー」
ーー 『モモタカナタ』!!!!
凛は思わず足を止めた。
ーー 生モモタカナタだ!
顔を見たい!……と思った。
完全に興味本位だ。
動物園のパンダを見たいというのと同じくらい、 いや、 もしかしたらそれ以上に興味を惹かれた。
半年以上も声だけしか聞いていないのに、 何故か彼の情報だけは増えている。
名前は『モモタカナタ』
私と同じ1年生。
呼び名はいろいろ。
同級生、 先輩に関わらずいろんな人に声を掛けられている。
(しょっちゅう手伝っているから? )
お昼は購買部のパンがメインで、 たまにカフェテリアでも食べているらしい。
購買の行き帰りで掲示板の前にいる人を発見すると必ず手伝っている。
その『モモタカナタ』を見られる絶好の機会を逃したくはなかった。
凛は少し考えたあと、 中庭側の窓に歩いていって、 窓枠にもたれかかった。
胸の前で腕を組み、 誰かを待っている体を装いながら、 チラリと横目で掲示板前のやり取りを眺めることにした。