29、 アウトとセーフの境界線
大学のそばにあるファミレスは、 駅からも近いこともあって、 学生たちの恰好の待ち合わせ場所になっている。
今日も、 ランチタイムを過ぎた平日の午後3時過ぎという中途半端な時間にも関わらず、 席の大半は学生で埋まっていた。
「あっ、 待ち合わせしてるんで…… 」
案内係のお姉さんに一声かけて店内を見渡すと、 奥の方の窓際の席から一馬が手を振っていた。
時が経つのは早いもので、 今は大学4年の夏休み前。
奏多は4年生になってから、 希望していた砂田教授の研究室に配属され、 多忙な日々を送っている。
研究生活は慣れないことも多くて一馬ともなかなか会えずにいたが、 今日はバイトに行くまでの1時間半だけならと、 彼の誘いに応じて店にやってきたのだ。
そしてそのバイトの話題になった途端、 一馬の表情が険しい顔つきに変わった。
「えっ、 それってお前、 マズいんじゃないの? 滝高を目指す女子中学生って、 思いっきり灯里の悪夢、 再び…… だろう! っていうか1年の時のことを忘れたのかよ」
一馬が言っている『一年の時のこと』とは、 奏多が大学に入ってすぐに始めた家庭教師先の女子高生に付き纏われた事件を言っている。
大学に入って落ち着いたらバイトをしようと考えていた奏多は、 就職活動を始めた先輩の後任という形で、 何も落ち着いてないうちに、 入学早々家庭教師を引き受けることになった。
その高2の女子生徒に勉強を教えた結果が上々で、 最初の中間テストでいきなり学年順位を50も上げる事に成功した。
奏多の場合は、 灯里の時に凛と作ったマニュアルやスキルがあったし、 何より持ち前の面倒見の良さと人当たりの良さが、 誰かにものを教えるのに向いていたのだろう。
その面倒見の良い性格が災いしたのか、 夏休みを過ぎた頃から、 女子生徒があからさまに奏多に好意を向けてくるようになった。
手作りのクッキーから始まり、 参考書を買いに行くという名目のデートの誘い、 そして頻繁に送られてくるようになったメール。
彼女がいると伝えてあるにも関わらず、 週末にも勉強に関係ないことで電話をかけてくる。
のらりくらりと躱しては、 どうにか教師と生徒としての距離を保とうとしたけれど、 滝高出身者から凛の情報を聞き出してきたらしく、「今もその人と付き合っているのか」とか、「家は近所なのか」、「しょっちゅう会ってるのか」などと言い出した辺りでマズいと気付いた。
このままでは凛に危害が及ぶかもしれない。
そう思った奏多は、 多忙を理由に10月末までで家庭教師を辞退し、 後任には小柳に入ってもらった。
その後も彼女が大学の前で待っていたりとストーカーまがいの行為があったけれど、 心を鬼にしてスマホを買い換えメアドも変えた結果、 ようやく連絡も来なくなったのだった。
そんな事があってから、 家庭教師は男子相手のみと決めていたのだが…… 今回は勝手が違った。
「小柳から頼まれたんだよ」
『口コミ』の威力というのは凄いもので、 良い家庭教師がいると聞けばあっという間に噂が広まり争奪戦となる。
有名国立大学の工学部に現役合格という肩書きに、 受け持った生徒の成績が軒並みアップしたという実績。
そこに、 過去に地元のニュースでも取り上げられたという知名度もあって、 宣伝をしたわけでも無いのに、『是非とも我が子の先生を』という依頼が『ママ友』情報網を通じて奏多の元に殺到するようになった。
そこに小柳から、 近所の女子中学生の家庭教師をしてもらえないかという依頼が舞い込んできたのだ。
『うちのお袋がその子の母親から頼まれたみたいでさ、 俺がお前と友達だから大丈夫だって安請け合いしちゃったらしいんだよ』
もちろん小柳も奏多の事情は把握しているし、 無茶な頼みだということも承知している。
『お前が女の子の家庭教師を引き受けないのも知ってるけど、 ほら、 俺って一浪しただろ? 親に迷惑かけてるし、 今さら駄目だとも言えなくってさ…… 』
先方には、 奏多への個人的な電話やメールは禁止だし、 贈り物も、 勤務時間外に会うのも禁止だと伝えてあると言われ、 引き受けることにした。
「灯里の件もあったから、 俺も最初はちょっと考えたんだよ。 でも、 小柳から先方に細かい条件を伝えて釘をさしてくれてるって言うし、 何より、 あいつには恩があるからさ」
女子高生に付きまとわれた時に、 急な頼みにも関わらず、 家庭教師を代わってもらった恩を忘れてはいない。
「それに…… そこの家はアパート経営とかしててお金に余裕があるらしくて、 バイト代も今までのとこの1.5倍くれるって言うんだよね。 加えて成績がアップしたらその都度ボーナスもくれるって言うんだ。 凛との将来のために少しでも貯金しときたいし、 選り好みせず頑張ってみようかなって思って」
「凛ちゃんはなんて言ってんだよ」
「妬いててもキリが無いから我慢するって。 家庭教師に限らず、 バイトをすれば、 そこに知らない女の子がいるのは避けられないし、これから就職先でだって、 いくらでも出会いはあるだろ? 」
「まあ、 それはそうだけど…… お前ってアウトとセーフの境界線を越えちゃうからさあ…… 」
「境界線? なんだよ、 ソレ」
一馬いわく、 奏多は相手に深入りし過ぎるのだという。
親身になって悩みを聞いたり体調管理を気遣ったり、 参考書選びに本屋まで付き合ったり。
おまけに、 成績が上がればご褒美だとケーキを買って行く……。
「そこがお前のいいとこなんだけどさ、 彼女的にはアウトだと思うんだよな」
「生徒の成績が上がったら褒めるのも、 体調に気遣うのも家庭教師として当然だろ? 咳してる相手にのど飴を渡すのも駄目なのかよ」
「はい、 アウトだね。 お前の場合は必要以上に優しいんだよ。 淡々と勉強だけ教えていればいいものを、 ニコニコしながら相手のわがままも聞いちゃうだろ? それに、 ナチュラルにボディタッチも多いよな。 年上の大学生にそんなことされたら、 そりゃあ十代の女子は勘違いしちゃうって」
「そう言えば凛に、 俺は高性能の『勘違い女子製造機』だって言われたわ。 あの綺麗な顔でチロッと見ながら表情を変えずに言うんだぜ、 めっちゃ怖え〜よ」
「『勘違い女子製造機』…… 凛ちゃん、 上手いこと言うな」
「ヤバイな…… これでまた変なことになったら、 凛に捨てられるかも知れない」
「まあ、 せいぜいアウトの線を超えないように頑張りな」
ーーアウトとセーフの境界線…… か。
一馬の言葉を心の中で何度も復唱しながら、 奏多は新たな家庭教師先へと向かったのだった。