21、 それぞれの道
「奏多、 凛ちゃんは何時に来るって? 」
キッチンで揚げ物をしている晴恵の口から『凛』という単語が出た途端、 奏多は急にドギマギして、 テーブルにセッティングしていたグラスを倒しそうになった。
「えっ、 凛?! 凛は…… 着替えたらすぐに来るって」
慌ててグラスを両手で支えると、 テーブルに置かれた大皿からローストビーフをつまみ食いしていた叶恵と目があって、 思わずフイッと目線をそらす。
「怪しいな」
「えっ?! 」
「あんた、 なんかやましいことがあるね」
「はあ? なっ…… 何も無いし、 やましく無いし! 」
「今、 お母さんが凛ちゃんの名前を出したらビクッってなったじゃない。 さては奏多、 人気のない校舎で凛ちゃんによからぬことを…… 」
「はあ〜っ?! そんなのするかよっ! 変な想像してんなよっ! 」
よからぬ妄想をしていたことは確かだけど、 よからぬことはイタしていない。
今のところは…… だけど。
なんてことは口が裂けても言えないので、 奏多は叶恵のチロリと見上げてくる疑いの眼差しに心臓をバクバクさせながら、 ひたすら全力で否定した。
そのうちに奈々美や一馬、 大和たちも続々と集まってきて、 皆で一緒にキッチンから料理を運んで準備していると、 最後に凛がやってきた。
今日の凛は、 ベビーピンクのオフショルダーのトップスに、 白いフレアーのミニスカート。
大きく開いた襟元からのぞく鎖骨と、 丸くて華奢な肩のラインが色っぽい。
「凛、 いらっしゃい」
「…… おじゃまします」
つい先程の会話を思い出すと、 目を合わせるのも恥ずかしいような、 くすぐったいような……。
揃って照れ笑いしながらダイニングルームへと入って行くと、 2人を見た一馬が開口一番に言った。
「あれっ? なに2人して真っ赤になってんの? 」
「えっ?! 別に赤くなってないし! 」
「いや、 耳まで真っ赤だって! なあ、 陸斗」
「一馬…… そういうのは黙っとくもんだ。 察してやれ」
「そうなのよ、 さっきから奏多もヘラヘラしちゃってさ、 気持ち悪いったら…… 」
「何も無いから! 普通だから! 察するとか気持ち悪いとか、 マジでやめて! 」
奏多が大声で異議を唱えると、 その場にドッと笑いが起こった。
全員揃ったところで乾杯すると、 次は必然的に各々の進路についての話題になる。
「叶恵さんは明後日出発なんですよね? 」
陸斗の問いに、 叶恵が笑顔で頷いた。
「そう、 日曜日の午後に発つわ。 もうアパートに荷物は運び込んであるし、 電気も水道も契約してあるからすぐに住めるの。 みんな東京に来たら遊びに来てね」
「俺、 絶対遊びに行きますよ」
「陸斗は遊びじゃなくてデッサンのモデルに来るのよ」
「東京でもモデルですか…… ハハッ、 分かりました。 いつでもアシスタントに呼んでください」
陸斗が合格した東京の私立大学はキャンパスが高田馬場駅の近くで、 叶恵が住むことになる千代田区のアパートとは電車で20分ほどの距離だ。
一応デビューしたとはいえ、 まだ漫画家だけでは生計を立てられず、 バイト生活を続けることになる叶恵にとって、 無料で使える陸斗は頼もしい助っ人なのである。
「俺たちは県内だから、 これからも会えるよな」
一馬の言葉に、 奏多や奈々美たちが頷く。
一馬は工業大学の情報科学科、 奈々美が短大の保育科、 都子が女子大の商業科へと、 それぞれ進学が決まっているが、 みんな地元の大学なので、 会おうと思えば会える距離だ。
「俺は生徒会長として、 みんながいなくなった滝高を盛り上げるよ」
次期生徒会長に決まった大和が胸を張って言う。
彼は以前から、 憧れの樹先輩を見習って、 2年生で生徒会長になると公言していた。
そしてそう決めてからは、 女子の取り巻きを連れ歩くのをやめ、 クラスの男子生徒にも積極的に話しかけるように努めた。
もちろん、 上級生、 下級生問わず天使の笑顔を振りまくことも忘れずに。
昨年秋に行われた会長選では、
『 『みんな、 僕の指を見て! 』…… かつてそう言って生徒会長になった伝説の先輩がいました。 僕はその人に憧れ、 その人みたいになりたいと思い、 今回の会長選に立候補しました…… 』
と、 あの樹先輩の伝説の選挙パフォーマンスを再現して見せて、 ぶっちぎりの得票数で当選したのだった。
「お前、 俺たちに会えなくて寂しいだろうけど、 滝高の代表として頑張れよ」
「寂しいったって、 俺が凛先輩に会うときにあんたもくっついてくるんだろ。 嫌でも会うじゃん」
「お前、 俺のいないとこで凛に会うなよな」
「父さんがいるとこで手は出さないよ。 っていうか、そんなに嫉妬深いとマジで捨てられるよ」
奏多と大和の相変わらずの掛け合いに、 みんなが笑い出す。
大和と尊人の恒例の食事会に、 最近は都合があえば凛も同席するようになっていた。
一度凛が奏多にも声をかけてくれたことがあったのだけど、 さすがに親子水入らずの邪魔をしたくはなかったので、 丁重にお断りした。
「だけど…… 今まで学校に行けばみんながいたのに、 これからは約束しなきゃ会えないんだよね。 やっぱり…… 寂しいな」
都子がポツリと呟くと、 急にその場がしんみりとなった。
そうなのだ。
今までは、 学校に行きさえすれば、 そこにはみんなの笑顔があった。
約束せずとも、 そこに行けば必ず会えて、 一緒にくだらない話をして、 悩みを打ち明けあって……。
当たり前だと思っていたことが、 これからは当たり前ではなくなる。
慣れ親しんだ制服に別れを告げ、 もう戻れないと振り返ったときに初めて、 その日々の大切さや素晴らしさ、 青春のキラメキと眩しさに気付くのだ。
4月はもうすぐそこ。
別れと出会いの季節のはざまで、 期待と不安を胸に抱きながら、 それぞれの道に足を踏み出そうとしていた。