19、 さようなら滝高 (後編)
「なんだかこうやってると、 校内を巡りながら2人で答え合わせをしてるみたいだね」
奏多の胸に顔を埋めながら、 凛がポツリと呟いた。
「答え合わせ? 」
「うん、 そう。 あの時私はこう思ってたけど、 奏多はこう思ってたんだ。 私はこんな風に思ってたのに、 奏多はそうは思ってなかったんだ…… って」
「…… それじゃ、 答え合わせの続きをしに行こうか」
奏多が右手を差し出すと、 凛が笑顔でその手を握り返した。
滝高1-Aの教室は、 先程までの喧騒が嘘のように、ひっそりと静まりかえっている。
「当たり前だけど…… 誰もいないね」
「うん…… 1年生もホームルームが終わって帰ったから…… 」
奏多は凛の手を引いて教室の奥に進むと、 窓をガラリと開けて顔を出した。
生徒たちが机やロッカーの荷物を全て持ち帰ったあとの教室は、 ガランとしていて見知らぬ場所のようだったが、 窓から見えるのは見慣れたいつもの校庭だった。
けれど、 卒業式を終えた今となっては、 既にこの景色さえも懐かしく思える。
「あそこ…… 」
奏多が門の方を指差し、 凛も奏多の隣に立ってそちらの方に目を向けた。
「あそこに凛のお母さんの赤い車が停まってて、 こっちの玄関の方から凛たちが歩いて行くのが見えた」
凛が怪我をして早退したあの日、 凛と保健医の川上、 そして樹の3人が一緒にいるのを見た途端、 奏多は大声で凛の名を叫んでいた。
「なんだろうな…… ただ名前を呼びたかったんだよ。 もう凛は樹先輩のモノだから諦めなきゃって思ってたけど、 あの時はとにかく凛に振り向いて欲しかったんだ。 ただ気持ちを伝えたかったんだ」
今でも覚えている。
真っ赤な車に向かってゆっくり歩いて行く3人。
見上げた凛の猫のような瞳。
「…… 私も嬉しかったよ。 名前を呼ばれて胸がギュッって苦しくなって……。 私もずっと、 奏多って名前を呼びたいと思ってたから」
奏多が凛の肩を抱き寄せると、 凛も奏多の胸に頭を預けてもたれかかってきた。
春の柔らかな風がカーテンをふわりと揺らしている。
あの日、 絶望的な気持ちで見下ろしていたあの景色を、 今はこうして2人並んで眺めている。
あの時があったからこそ今がある。
そう思うと様々な思い出が蘇えってきて、 胸が震えだした。
視界がジンワリと滲んで、 門の近くの桜の木も朧げに歪んで見える。
「ハハッ…… 役に立ったわ」
「えっ? 」
「ティッシュ……。 今日は絶対に泣くと思ってた割にはそうでもなくて拍子抜けしてたんだけど…… 違ったわ」
今日は卒業式後に凛と学校を廻ると決めていたから、 まだ学校を離れるという実感が無かっただけなのだ。
「俺にとっての高校生活は…… 滝高での日々は、 凛と共にあったから…… 今こうして凛と一つ一つの思い出を噛みしめているこの瞬間が、 俺にとっての本当の卒業式で…… 」
校門を入ってすぐ左手にあるソメイヨシノ、 毎年同じように大講堂の軒下に作られるツバメの巣。
みんなで内緒話をした中庭のはずれのベンチ。
舞台の上でスポットライトを浴びたお姫様の凛。
大講堂に響き渡る歓声。
木漏れ日を浴びながら膝枕をした非常階段。
木の葉で乱反射した光がキラキラ眩しくて……。
「2つ持ってきて正解だったな…… 」
ほら…… と奏多がポケットからティッシュを取り出して凛に差し出すと、 彼女がそれを受け取って目元を押さえる。
「…… 行こうか」
再び手を繋いで校舎を出ると、 門のところで一緒に振り返った。
もう一度、 最後にゆっくりと校舎を見上げる。
君と、 あなたと、 ここで出会えて良かった。
嬉しいことも辛かったことも、 喜びも悲しみもトキメキも…… 駆け足で過ぎ去った青春の日々の思い出は、 全てこのキラキラした風景と共にある。
きっとこの先、 幾度となく思い出すのだろう。
古びた下駄箱から上履きを取り出すと、 キュッキュと音をさせながらリノリウムの白い廊下を歩き、 階段を上がって行く。
教室のドアを開けると、 そこには笑顔の君が待っていて……。
「「 ありがとう、 そしてさようなら、 滝山高校 」」