11、 ヒーロー
白い靄がかかったようなボヤけた景色の向こうで、 誰かの呼ぶ声が聞こえている。
「奏多…… 」
天使? いや、 悪魔なのか?
心なしか凛の声に似ているけれど、 どちらにせよ、 凛に似ているならきっとキレイな顔をしているに違いない。
凛みたいな子がいるのなら、 ここが天国でも地獄でも、 そんなに居心地は悪くないかもしれないな……。
「バカっぽい顔してるわね。 口もとがニヤけてる」
うわっ、 閻魔大王?!
…… ということは、 ここは地獄なのか。
うわっ、 俺ってそんなに生前の行いが悪かったっけ。
「この子、 朝から占いの結果がどうとか縁起がいいとかフラグ立てまくりだったから、 なんか嫌な予感はしてたのよ」
そうなんだよな…… 。
ああ、 やっぱり占いなんてアテにならないや……って、 アレ????
「叶恵さん、 どうしよう…… このまま奏多の意識が戻らなかったら…… 」
「大丈夫だってば。 お医者様だって軽い脳震盪だって言ってたじゃない。 間違っても記憶喪失とか少女漫画みたいな展開にはならないって」
「でも…… 」
「ほら、 またニヤけてるし…… って、 コラっ、 奏多! あんた起きてるね?! 人を心配させといて寝たフリなんかしてると、 地獄に落ちるよ! 」
バシッと頭を叩かれて目を開けると、 ベッドの右側には椅子に座って手を握っている凛、 左側には立ったまま見下ろしている叶恵の顔があった。
「凛…… 姉貴…… 俺、 生きてたんだな」
「奏多っ! ……当たり前でしょ! 階段から落ちたって聞いて、 すっごく心配したんだからね! 」
「凛…… 」
涙ぐんでいる凛の頭に手をやろうと左手を動かした途端、 鈍い痛みと違和感を感じて動きを止めた。
布団をめくって見ると、 ミイラのように包帯でグルグル巻きにされている左腕。
そしてまた、 身体中に感じる痛み。
「イテテテテ…… 」
「バカね、 そんなに急に動いたら痛いに決まってるでしょ。 脳震盪、 全身の打撲、 それから左手首の骨折だって。 ギプス固定してるから無理に動かさないようにね」
「骨折?…… 」
「あなたラッキーだったのよ。 階段から後ろ向きに落ちたんだってね。 カバンがリュック型じゃなかったら、 頭を思いっきりぶつけてるか、 首の骨が折れてたかもって」
「そうか…… 俺、 階段から落ちて…… 」
落ちたのが、 まだ階段の中ほどからだったのと、 背中に背負っていたカバンがクッションになったことが幸いしたらしい。
ダイレクトに頭をぶつけるのが避けられたことで大きな怪我にはならず、 唯一、 無意識に手をついたのか、 左手首を橈骨骨折していた。
しかしそちらも大きな骨のズレが無かったそうで、 手術はせずギプス固定だけで済んだ。
本当に不幸中の幸いだったのだと、 安堵の表情を浮かべながら叶恵が話しているのを聞いて、 奏多は今更ながら事故の瞬間を思い浮かべて背筋がゾクリとした。
「あっ、 今何時? 面接! 」
「そんなの行けるわけないでしょ。 今は午後7時40分。 あなた10時間以上もずっと寝てたの。 お医者様は、 脳震盪だけのせいじゃなくて、 疲れも溜まってたんだろうって」
「俺、 10時間以上も……。 面接、 行けなかったな」
奏多がポツリと呟くと、 叶恵も凛も表情を曇らせたが、 凛が再び奏多の右手をギュッと握り、 笑顔を作ってみせる。
「奏多は人の命を助けたんだよ。 自分のことを顧みず、咄嗟に手を出せる人なんてなかなかいない。 立派だよ。 今はとにかく、 身体を休めて」
「あの人は…… おばあさんは大丈夫だった? 」
その質問には叶恵が「大丈夫よ」とすぐに答えた。
「私が病院についてしばらくしたら娘さんと一緒にいらっしゃってね。 命の恩人だって、 すごく感謝してたわ。 奏多が起きるまでいるって言ってたんだけど、 いつになるか分からないし大丈夫だからって言ったら、 何度も頭を下げて帰られたわよ」
「そうか…… それなら良かった。 俺のしたことは無駄にはならなかったんだな」
右手をベッドについて身体を起こそうとすると、 すぐに凛が背中に手をまわして支えてくれた。
「凛、 ありがとう…… でももう遅いから帰った方がいいよ。 お母さんたちも今日の結果を聞きたがってると思う」
凛が制服姿のままということは、 家に帰らず面接会場から病院に直行してきたのだ。
このまま引き留めておくわけにはいかない。
「大丈夫、 ここはお義父さんの働いてる病院なの。 お義父さんが帰るときに一緒に帰るから、 それまでここにいさせて」
「うん…… ありがとう。 凛は面接どうだった? 午後からのプレゼンは? 」
「自分なりに頑張った。 ミスは無かったと思う」
「そうか…… 良かった」
凛が無事に面接を終えられて良かった。
怪我をしたのがおばあさんじゃなくて良かった。
そうだ、 それで十分じゃないか。 もしもあの時、 自分が手を出さずにおばあさんが階段から落ちていたら、 たとえ面接に行けたとしても、 平気で受け答えなんて出来なかっただろう。
いや、 もしもそれで無事に合格出来たとしても、 全然嬉しくはなかったと思う。
「うん…… 良かったよ、 本当に」
そのとき、 トントン…… とドアをノックする音がした。
「あっ、 警察の人かも」
「えっ、 警察? 俺、 何も悪さしてないよ」
「バカね、 事件性がないか調べるんでしょ。 奏多が寝てたから、 待ってもらってたの」
「マジか! 」
叶恵が言ったとおり、 スライドドアを開けて入ってきたのは、 制服を着た警官だった。
警察と聞くと、 悪いことをしていないのに緊張するのは何故だろう。
奏多は表情を硬くしてしどろもどろになりながらも、 駅での出来事を詳しく話して聞かせた。
警官と入れ替わりで今度は地元の新聞社の人達もきて、 こちらでも奏多は事故の詳細を話して聞かせ、 何故か写真までパシャパシャ撮られた。
病院に1泊だけして家に帰ったら、 その日の朝刊には、 奏多の病室での写真とともに、『高校生、 お年寄りを助ける』という見出しで始まる、 奏多を思いっきりヒーロー扱いで褒め称える記事が載っていた。