10、 転落
ーー あっ、 俺の人生終わった……。
凛のはにかむような笑顔を思い浮かべながら、 奏多の身体は重力に逆らうことなく忠実に下降していく。
最初に背中と腰、 次いで後頭部に強い衝撃を感じたと思ったら、 そのまま全てが真っ暗になった。
ーー ああ、 やっぱり占いなんてアテにならないや……。
***
その日は朝から縁起が良かった。
目玉焼きの黄身が2黄卵だった。
湯呑みの中のほうじ茶に茶柱が立っていた。
テレビの情報番組の占いコーナーで、 カニ座が今日の1番ラッキーな星座になっていて、 更にカニ座のラッキーアイテムが『青いもの』だった。
「おっ、 カニ座のラッキーアイテムは青いものだって。 俺のネクタイ青色じゃん。 なんか凄くない? 」
奏多が居間でテレビを見てはしゃいでいると、 叶恵が呆れ顔で苦言を呈してきた。
「あんたねえ、 この期に及んで占いで一喜一憂してどうするのよ。 あなたは実力でここまで勝ち上がってきたの。 運より自分を信じなさい」
そうは言うものの、 人生どこに落とし穴があるか分からない。
出来るなら少しでも縁起を担いでおきたい気持ちにもなるというものだ。
必死の努力が報われたのか、 先日行われたセンター試験の結果は上々で、 推薦の1次選考を無事突破することが出来た。
そして今日は2次選考にあたる面接日で、 ここさえクリアすれば無事に大学に合格することができるという、 まさしくここが天王山なのである。
「第一さ、 私は占いをこれっぽっちも信じちゃいないのよ。 それって『信じたい』人が『自分に都合のいいように』解釈して成り立ってる商売でしょ? 」
「そんな身も蓋もないことを…… 夢がないなあ…… 」
「話のネタにして楽しむくらいならいいのよ。 だけど、 他人の言葉に振り回されるなんてバカらしいじゃない」
占いで言われたことがたまたま当たっていたら『やっぱり当たってた』で、 外れていても『占いだからこんなこともあるよね』で済まされる。
悪いことを言われて当たったら『言われた通りだ』と驚いて、 悪いことが当たらなければ『アドバイスのおかげだ』と胸をなでおろして喜んで……。
神様にしたってそうだ。 良いことがあれば『神様のおかげ』、 悪いことがあったら『神が与えてくださった罰』。
どちらにも共通しているのは、 いずれにしても相手が都合のいいいいように勝手に解釈してくれるということ。
「そんなのに踊らされるなんて、 私はまっぴらごめんだって言ってるの。 いい? あなたは真っ当な高校生活を過ごして真面目に勉強もしてきた。 特にこの半年のあなたの頑張りには私も感動してるのよ」
ここで叶恵は腰に片手を当て、 右手で奏多を指差してキッパリと言いきった。
「いい? 奏多。 全てはあなたの努力の賜物なの。 だからきっと今日の面接だって上手くいく。 あなたの実力は付け焼き刃のニセモノじゃない。 自信持って行っといで! 」
「…… うん、 分かった。 行ってくるよ」
占いの話から何故か宗教観に変わってて後半は意味が分からなかったが、 とりあえず応援してくれている気持ちは伝わってきた。
叶恵のとばす檄は、 もしかしたら占いよりも宗教よりも説得力があるのかもしれない。
力強い言葉に後押しされて、 奏多は北風の吹くなかを駅に向かって歩き出した。
「あっ! 」
駅に向かう途中で、 近所の家の生垣から白いネコが飛び出してきて、 奏多の目の前を横切っていった。
「おっ! 」
駅の前に来たところで、 すぐ横の低木から青いルリビタキが飛び立っていった。
ーー 嘘だろっ、 やっぱり縁起がいいじゃん!
ついさっき叶恵に言われたことも忘れて、 奏多はこれは幸先が良いと、 口もとを緩めたまま駅の構内に入って行く。
奏多が今日これから乗るのは、 滝高とは反対方向に向かう電車だ。
奏多がいつもとは違うホームに向かって歩いて行くと、 同じく受験生らしい学生の姿がちらほら見受けられた。
エスカレーターか階段か一瞬迷って、 階段を使う方を選んだ。 自己満足だろうけど、 少しでも苦労した方が徳が積めるような気がしたのだ。
朝からずっといい流れが来ている気がする。
だったら今日はとことん縁起を担いでやろう…… そう決めた。
ーー 電車でも座らずに立っていようかな。
そう思いながら階段を上っていると、 後ろから制服を着た女子高生の2人組が勢いよく駆け上がってきた。
2人は奏多を抜き去ると、 勢いを緩めることなく先に上っていき、 奏多の斜め前を歩いていた高齢の女性にぶつかっても知らぬ顔で、 そのまま階段を上がりきって行く。
ーー あっ!
それはあっという間の出来事だった。
奏多の斜め前にいたのは、 腰の曲がった高齢の女性。
ヨタヨタとした足取りで一段づつゆっくり進んでいたところへ、 女子高生が片手で肩に担いでいたカバンが、 バシン! と老女の顔と肩の間に当たった。
カバンをぶつけられてよろけた老女は、 バランスを崩して一歩後ろに下がり、 そのまま階段から足を踏み外して、 肩から落ちそうになっている。
「危ない! 」
奏多は思わず彼女の背中を片手で支えて、 その身体をグイッと強く前に押した。
老女は前の段に倒れこんで手をつき難を逃れたが、 奏多は彼女を押し出した反動で、 その身体を勢いよく後ろに飛び出させる格好になった。
ーー あっ……
奏多の足が段から離れ、 身体がフワッと宙に舞う。
それは背面跳びさながらに、 綺麗な放物線を描きながら、 ゆっくり下へと落ちていく……。
いや、 実際にはほんの数秒の出来事だったのだが、 奏多にはそれがスローモーションのように感じられた。
ーー あっ、 俺の受験、 終わった……。
……っていうか、 俺の人生終わった。
人は最期のその時になると自分の人生が走馬灯のように蘇るっていうけど、 あれはウソだな……。
そのとき奏多の頭に浮かんだのは凛だった。
凛のはにかむような笑顔を思い浮かべながら、 奏多の身体は重力に逆らうことなく忠実に下降していく。
ーー 凛……
最初に背中と腰、 次いで後頭部に強い衝撃を感じたと思ったら、 そのまま全てが真っ暗になった。