16、気づいた気持ち
ーー うわっ、 脇腹痛っ!
全速力で走って電信柱のある角を曲がると、 遥か前方に小さく、 小桜を真ん中に挟んで仲良く歩く3人の姿が見えてきた。
ーー 全力ダッシュなんて体育祭以来だ……ヤバっ、 足がもつれてきた。
だけど、 今はそんなことに構っていられない。
奏多はさらに加速して追いかける。
彼らの表情がハッキリ確認できる距離まで来ると、 一馬が面白いことでも言ったのか、 小桜が口をおさえて楽しそうに笑っているのが見えた。
不意に心臓がドクンとして、 右手で胸元をギュッと鷲掴む。
この鼓動の速さと胸の痛みは、 慣れない全速力のせいか、 それとも別の何かなのか……。
「小桜っ! 」
思わず名前を呼ぶと、 3人が揃って足を止めた。
小桜が振り向いて、 一瞬驚いた表情をして……
花が綻ぶようにニッコリ笑った。
それを見た瞬間、 胸が震えた。
生まれて初めての感情がブワッと溢れてきて、 一瞬にして体全体を包み込んだ。
さっきまでとは違う痛みが胸を締め付ける。
ーー ああ、 分かってしまった…。
俺はもう小桜をただの友達だなんて思ってないんだ。
同じ部屋で並んで本を読むのも、 本の内容を語り合うのも、 彼女の悩みを聞くのも背中で熱を受け止めるのも、 全部俺だけでありたいんだ。
いや、それ以外のことも、 彼女の笑顔も涙もどんなことでも、 引き受けるのは『俺の役割』であって欲しいと思ってしまったんだ。
これって独占欲ってやつなんだろ?
こういう気持ちを嫉妬って言うんだろ?
それってもう…… 恋してるってことだろ?
一度そう気付いてしまったら、もう誰にもこの気持ちは止められないんだ。
自分自身でさえも……。
奏多はしっかりと小桜を見据えると、 肩で息をしながら彼女の前で足を止めた。
小桜の腕を右手でガシッと掴むと、 そのまま左手を膝についてハアハアと大きく息をする。
「小桜……ハア……、俺も、……ハアハア……一緒に……行く……」
「スゲエ! 奏多の全力疾走なんて久々に見たわ」
「お前、 体育祭の時もそれくらい本気出せよ」
秋の体育祭の借り物競争で、 『好きな子』のお題があたってしばらく立ち尽くしたあげく、 ちょうど目があった陸斗の手を引いてゴールしたことを言っているのだろう。
ちなみに6人中5位という微妙な結果なうえに、 『好きな子』であると証明するために全校生徒の前でハグをさせられたという黒歴史である。
「お前ら……歩くの……早ええよ……」
「知らねえよ! サッカー部の脚力をナメんなよ」
「小桜は……ハア……違うだろう……。 女子に……合わせろよっ…… 」
「私は大丈夫だけど……百田君、 大丈夫? なんかゼイゼイ言ってておじいちゃんみたいになってるよ」
ーー うわっ、 小桜にまたカッコ悪いとこ見られた。
俺ってこんなのばっかだよ。
奏多は小桜から手を離し、 改めて3人に向き合うと、
「とにかく……俺も送ってくから。 いいよな」
小桜と一馬の間にグイッと割り込んで歩き出す。
「そりゃあ、 奏多がそれでいいなら……なあ」
「ああ、 俺たちは別にどちらでも」
一馬と陸斗が目配せしながら頷いた。
観音駅から北に向かう快速に乗り込むと、 車内は帰宅ラッシュの人混みで、 ほとんどの座席が埋まっていた。
奏多がロングシートに1人分のスペースを見つけ、 小桜を手招きして座らせた。
「私も立つよ」
「いいから早く座って。 ほら、 言っただろ。 女子を立たせたら姉貴に叱られるって」
小桜が渋々ながらシートに座ったのを見届けて、 自分はそのままドア付近に立っている一馬たちの元に戻った。
すると、 閉まりかけのドアから勢いよく飛び込んできた2人組が、 奏多たちに気付いて声をかけてきた。
「おっ、 一馬! 」
「おおっ、 恭平! それに拓也も! 」
一馬たちと同じサッカー部の恭平と拓也は、 1年生の時に同じクラスだったので、 奏多とも顔見知りである。
「俺たち今から家に帰るとこなんだけど、 お前らは? 」
恭平の問いに、 陸斗が
「3人でショッピングモールに行くところ」
と迷わずポーカーフェイスで答えるのを見て、 こいつが味方で良かったと奏多は心から思った。
「あっ! おい、 あそこを見てみろよ」
さっきから1人だけ違う方向を見ていた拓也が急に声を潜めて目配せしてきた。
奏多は嫌な予感がしてギクリとする。
「あそこに滝中のマドンナがいるぞ」
案の定、 小桜の存在に気付かれていた。
恭平と拓也が、 以前サッカー部の先輩が小桜にマネージャーを頼みに行って玉砕した話や、 3-Aの男子が羨ましいだの話し始めて、 笑顔で相手をしながらも内心ヒヤヒヤする。
いくら声を潜めているとはいえ、 小桜に聞こえているのではないか、 彼女が不快な思いをしているのではと心配になるが、 予期せぬシチュエーションに、 この会話を止める手段が浮かばない。
突然、 陸斗が吊り革を伝いながら揺れる車内を器用に移動して、 小桜の目の前でピタッと止まった。
「小桜さん、 こんばんは 」
両手を吊り輪にかけて話しかけ始めたのを見て、 これには奏多のみならず、 その場にいた滝中男子軍団が全員度肝を抜かれた。
ーー えっ?! あいつ何やってんだよ! ここは知らないフリがデフォだろっ!
滝中男子の視線を横から受けながら、 陸斗は我関せずといった様子で更にグイグイ小桜に話し掛ける。
「小桜さん、 これからどこかに行くところ? 」
「あの…… ショッピングモールに…… 」
「そうなんだ! 実は俺たちもモールに買い物に行くところだったんだ。 良かったら一緒にどう? 」
「いえ、あの…… 私は両親と約束してるので…… 」
「そうか、 それは残念! でも女の子1人は危ないからさ、 途中までは送らせてよ」
「そう言えば小桜さん、 なんで俺に敬語なの? 同級生なんだしタメ口で良くない? 」
「大野くんってしっかりしてて大人っぽいから年上な感じがして…… 」
「それじゃあ、 今日外で会えたのも何かの縁だと思って、 これからは普通に話してもらえるかな」
「はい…… じゃなくて、 うん」
「そうそう、 そんな感じで」
小桜がクスクス笑っているのを見て、 恭平と拓也が驚愕の表情を浮かべた。
「クールビューティーが笑ったぞ、 おい」
「これはヤバイな…… 可愛い」
ーー うっわ、 陸斗、 何してくれちゃってるんだよ! ライバルを増やすなよ!
そう思いながらも、 それを口にする権利は自分にないことに思い当たり、 歯痒くなる。
だが今はそれよりも、 あの一瞬で、 あそこに小桜がいたことが偶然だと周りに印象付けた陸斗の行動に感心する気持ちの方が強かった。
自分がただ狼狽えている間に、 陸斗は咄嗟の判断で小桜から自然な会話を引き出し、 行き先が同じだから『途中まで送ってもおかしくない』と恭平と拓也に思わせるのに成功した。
更にそれだけでなく、 『友達として敬語抜きで話す』権利も大々的にゲットしたのだ。
これからは気安く喋っていても不審がられることはないし、 何か言われても言い訳が出来る。
恭平と拓也の2人が証言者であり、 ニュース元となるのだ。
春休みが明ける頃には、 サッカー部を中心に今日の出来事は噂となって拡がっているだろう。
陸斗は凄い。
策士だ。 諸葛孔明だ。
ピンチを救ってくれたことへの感謝の気持ちと、 こいつには敵わないという劣等感。
モヤモヤとした、 なんとも複雑な心境のまま、 奏多は遠くから小桜と陸斗を眺めていた。
***
「それじゃ、 小桜、 またな! 」
「今日はありがとう。 それじゃ、 また」
小桜を駅前で見送ってから、 一馬が陸斗にグイッと近寄って、 不満気な表情を見せる。
「お前はな〜、 スタンドプレーにもほどがあるんだよっ! マジでビビったわ」
「ああ、 悪い悪い。 だけどさ、 ああいう時は変に知らん顔するよりも、 堂々としちゃった方が怪しまれないんだって」
確かに、 陸斗のあの行動のお陰で、 恭平も拓也も『陸斗スゲエ』の気持ちが先立って、 その陰にある奏多との関係のことなどは露ほども疑っていなかった。
2人が先に電車を降りる時も、
「陸斗、 小桜さんと無事お近づきになれたら俺たちも恩恵に預からせてくれっ! 頼む! 」
と陸斗を拝みながら去っていったくらいだ。
「なんかさ……今日は俺的に、 凄く濃い一日だったわ。 いろいろな面で」
一馬が感慨深い声音で呟く。
「俺もだよ」
「そんなん言ったら俺もだって! お前らが突入なんてしてくるから…… 」
陸斗と奏多も、 人混みに消えていく小桜の後ろ姿を見ながら同じように感じていた。
「一馬、陸斗…… 」
「「 んっ? 」」
「俺さ…… 小桜のこと好きだわ」
するりと自然に言葉が溢れた。
「うん、 知ってる」
「俺も知ってた」
陸斗に続き、 一馬にまで知ってたと言われ、 奏多はマジか……と驚きの声をあげた。
「いや、 ちょっと待てよ。 俺でさえ自分の気持ちに気付いたの今さっきなんだけどっ! 」
「気付いたのはさっきだけど、 好きになったのはもっと前だろ」
一馬に早速突っ込まれる。
「お前さ、 自分で自覚してなかっただけで、 たぶんずっと前から好きだったんだよ。鈍いな」
ガーン!陸斗にまで……。
「ええっ?! なんだよ、 それ。 お前らなんで人の恋心を勝手に語ってるんだよ」
「そりゃあ、 親友ですから」
「親友だからな」
めったに冒険も無茶もしない男が、 一人の女子のためにあそこまで必死になってるんだ……そりゃあ察するしかないわっ!
と更に追い討ちをかけられて、 もう苦笑するしかない。
「それでさ……陸斗」
「なんだよ」
先程から気になっていたことを、 勇気を出して聞いてみる。
「もしも陸斗が小桜を好きだって言うなら、 俺たちはライバルってことになるんだけど…… それでも友達でいてくれるか? 」
「ええっ?! おまえ何言ってるの? 俺が小桜を? 無いだろう」
「無いのか? 」
「無いよ。 とりあえず高校のサッカーでレギュラーになるまではそういうのはナシだ」
それを聞けて良かったとホッとする。
電車でのやり取りを見ていて、 陸斗がライバルなら絶対に敵わないと思っていた。
「俺も今はサッカーだ。 恋愛モードはまだ先でいいな」
一馬も1年目からレギュラーを狙うという。
それにしても、 奏多がそういうことを言うとは変わったものだ……と2人からニヤニヤニヤされ、苦い顔をしている奏多に、 一馬がズイッと嬉しそうな顔を近づけてきた。
「奏多、 やったな。 お前もこっち側の人間だ」
「なに、 それ。 どういう意味? 」
「天井をぶち破ったってことだよ。 お前が言うところの、 『リミット解除』ってやつだ。 ちょっとくらい無茶しても守りたいものが出来たってことだろ」
いつか3人で教室で話していたことを思い出した。
ーー そうか…… 俺は今、 『コレをしたいという熱』をちゃんと自分の中に持っているんだ。
一馬たちと情熱の向かう先は違うけれど、 何かのために必死になる喜びや達成感を、 今なら理解できる。
小桜を守りたい。
小桜を助けたい。
小桜を喜ばせたい……。
俺を突き動かしているのは小桜だ。
この熱を大切に暖め続けて、 出来ることならいつか彼女に届けたい。
だけど、 今はまだ……。
「一馬、 陸斗、 2人とも頼むから、 このことで小桜をからかったり、 小桜の前で俺をけしかけるような事はしないで欲しいんだ」
奏多の気持ちを知って、 小桜が気まずくなったり漫画パレスに通いにくくなったりするようなことは絶対にあってはならない。
「大丈夫、 余計なことを言って彼女の居場所を奪うような事はしないよ。 俺たちは親友だぜ? お前が守りたいと思っているものは、 俺たちだって守りたいんだ」
「そうだよ。 親友ナメんなよ! 」
「なんか俺たちめっちゃ青春してるよな。 友情バンザイ! ついでに奏多のムッツリ卒業バンザイ! 」
「一馬、 せっかくいい感じの話してるのに、 ついででそういうギャグを挟まないで欲しい」
「どっちでもいいよ。 とにかく俺たちは今、 青春してるってことだよ」
陸斗が長い腕で2人の肩をガッと抱え込んだ。
周りの目も気にせず3人で肩を組んで、
「青春バンザーイ! 」
思い切り叫んだら可笑しくなって、 あとは思いっきり笑い合った。