9、 除夜の鐘
奏多の家の近所にある観音寺は、 日本三大観音の一つとも言われる有名な観音霊場で、 地元では『観音さん』と呼ばれて親しまれ、 常に賑わいをみせている。
年末年始となるとその混雑はピークを迎え、 大晦日の今日は、 一度迷子になったら二度と巡り会えないのではないかというくらいの芋洗い状態になっている。
なので当然のように、 奏多と凛はしっかりと手を繋いで歩いていた。
「なあ、 とりあえずりんご飴じゃね? 」
一馬がそう言うと、
「夜の10時過ぎにそんなの食べたら太る! 」
すかさず都子が却下する。
正直いうと、 今年は受験前なので初詣はやめようかと思っていたのだが、
『風邪をひくから行かない方がいいとか時間の無駄とかいう人もいるけどな、 1年の始まりにちゃんと柏手を打って合格祈願をすると、 気合いが入っていいもんだぞ』
そう塾講師が言っていたのを聞いて、 やはりこの日だけは例年通りにしようと決めた。
その話を一馬たちにしたら、 みんなで合格祈願に行こうということになって、 こうして夜の10時に集まったのである。
通りの両側には参拝客を見込んだ屋台が立ち並び、 煌々と明かりが灯っている。
その灯りの幻想的な感じと、 夜遅くから出歩くという非日常の雰囲気が昔から奏多は大好きで、 幼い頃は家族みんなで、 そして高校に入ってからは一馬たちと、 毎年ここに来ているのだった。
ーーだけど、 みんなで来れるのはこれが最後かもしれないな……。
いつもはワクワクしながら夜店をまわったり、 何も考えず単純に楽しんでいた恒例行事も、 今年だけは大きく意味合いが違っている。
大学合格を祈願する大切なお参り。
そして、 今年を最後にみんなそれぞれ違う場所で、 それぞれ別の道を歩んで行く……。
「ねえ、 そろそろ並んだ方がいいんじゃない? 」
物思いにふけっていたら、 叶恵の声で我にかえった。
「そうだな、 多分もうみんな並び始めてる」
陸斗の言葉で、 全員が揃って境内の鐘つき堂に目をやった。
陸斗が言うように、 そこには既に鐘をつくための列が出来ていた。
ここ観音寺では、 事前に整理券を購入しておけば一般客も除夜の鐘をつけるようになっているのだが、 枚数が108枚と限られているため、 あっという間に売り切れてしまうレアチケットだ。
春から東京に行く叶恵が、 最後にこの鐘をつきたいと、 友人知人、 近所のおばさんまで駆使して奏多たちの分まで整理券を手に入れてくれたのだが、 奏多たちも鐘をつくのは初めてのことなので、 かなり楽しみにしている。
鐘つき堂の前の列に並び、 午前0時になるのを待つ。
「凛、 寒くない? 」
「うん、 大丈夫。 カイロもあるし」
さすがに長時間外でじっとしていると身体が冷えてくるけれど、 凛と繋いだままコートのポケットに突っ込んでいる片手だけはポカポカと暖かい。
その手をポケットの中でギュッと握ったら、 凛もニコッと微笑んで握り返してきた。
一馬がスマートフォンの時計を見て、 「もうすぐだ」と呟いた。
どこからともなくカウントダウンの声が上がり始め、 周りの声も重なって大きくなっていく。
奏多たちも一緒になって数字を数え始めた。
「5、 4、 3、 2、 1…… 明けましておめでとうございます! 」
「おめでとう! 」
「ハッピーニューイヤー! 」
あちこちで歓声が上がると同時に、 目の前の鐘つき堂からは大きな鐘の音が響き渡った。
ゴーーーーン……
ゆっくりと列は前に進み、 叶恵、 陸斗、 一馬と続いて鐘をついていく。
「凛、 一緒にやろうよ」
「うん」
奏多と凛は2人で綱を持ち、 「せーの」で勢いよく撞木を2回、 鐘に打ち鳴らした。
ゴーーーーン…… ゴーーーーン……
低くて重みのある音が響き渡る。
「やっぱり近くだと迫力あるね。 私、 こんなの初めて」
「俺も初めて」
「これで俺の煩悩が消えたかな? 」
「ふふっ、 どうだろう? 」
「奏多の煩悩なんて鐘を108回鳴らすくらいじゃ祓えるわけないじゃない」
「俺も叶恵さんに同意! 奏多なんて煩悩の塊じゃん! 」
「姉貴! 一馬っ! 」
みんなに笑われて腹が立つけど、 自分でもあながち否定できないので、 反論はしないでおいた。
それからまた、 さっき以上に長い長い参拝の列に並んで、 今度も凛と2人で拝殿の鈴を鳴らす。
ーー 無事に大学に合格しますように。 それと、 凛とずっと一緒にいられますように!
例年以上に長く目を閉じて祈ってから隣を見たら、 凛はまだ手を合わせて拝んでいた。
ーー 俺と同じ願い事ならいいな……
絵馬を書いて奉納して解散となり、 奏多は凛を家まで送るため、 一緒に電車に乗り込んだ。
混雑した車両の隅で、 凛を守るように腕で囲って立つ。
腕の中に凛がいて、 目線のすぐそばに凛の顔があって……。
「凛…… 俺さ」
「んっ、 なあに? 」
「やっぱり煩悩を祓えなかったっぽい」
「えっ? 」
奏多は髪の上から凛の額のあたりに口づけた。
「(ちょっと、 ダメ! 車内! )」
焦って小声で訴えるのを無視して、 奏多はニヤニヤ見下ろしている。
ガタンと揺れた勢いを利用して、 今度は右の頬。
「(…… バカ! )」
「帰ったらまた勉強がんばるから、 許してよ」
「…… 勉強と関係ないじゃない」
「ん〜…… モチベーションの問題? 」
「…… もう…… 知らない! 」
「ハハッ、 やっぱり姉貴が言ってた通りだった。 俺って煩悩だらけだわ」
一晩だけの息抜きはこれで終わり。
あとは本番に向けてラストスパートに入るだけとなった。