8、 つかの間の……
受験生には休みがないというけれど、 それ以上に無いのが心のゆとりだ。
昨日は、 覚えた数式と英単語がまとめて脳みそから抜けていく夢を見て目が覚めた。
怖くて不安で居ても立ってもいられなくて、 結局そのまま朝まで机に向かって単語帳をめくっていた。
もう11月に入った。 2週間後にはオープン模試が控えている。
いくら勉強しても、 まだまだ足りない気がする。
だけど1日は24時間と限られていて、 食事と排泄の時間を確保すると、 削れる時間といえば、 遊びの時間と睡眠時間くらいで……。
「奏多、 食事の時くらい落ち着いてしっかり噛んで食べなさいよ! 」
キノコの和風パスタをフォークで口に運びながらボ〜ッとしていたら、 ダイニングテーブルの反対側に座っている叶恵に叱られた。
「ちゃんと寝てるの? 勉強熱心なのはいいけど、 ずっと張りつめたままだと本番前に気合いがプツンて切れちゃうよ」
「ん…… 分かってる…… 」
受験を地元の国立大学1本に絞るにあたって、 奏多は9月に入ってすぐに推薦希望の申請を学校に出していた。
奏多が狙っている工学部の推薦枠は1校につき2名まで。 学年1位の小木杉も同じ枠を狙っているという噂だったので心配していたのだが、 先日担任の山本から、 奏多が2名のうち1名に選ばれたと教えられた。
これで前期試験、 後期試験に推薦入試が加わり、 大学合格へのチャンスが3回に増えたというわけだ。
こうなると、 センター試験の結果が俄然重要になってくる。
せっかく得た推薦も、 センターの結果で足切りされては意味がない。
「さあ、 また部屋に行って勉強の続きをしようかな」
残りのパスタを慌ただしく頬張ってグラスの水で胃に流し込むと、 奏多はガタリと音をさせて立ち上がった。
「奏多、 あなた金曜日の夜からずっと外に出ないで勉強してるでしょ。 昨日の夜中も起きてガタガタやってなかった? 必死なのは分かるけど、 何ごともメリハリが大事なのよ。 集中する時は集中して、 休むときはちゃんと休むの」
そう言われてみれば、 金曜日の夜に塾から帰ってから、 この土日はずっと家に閉じこもっていた。
「あっ! 」
「何よ、 急に大声出して」
「誕生日! 」
なんということだ。
今日11月1日は凛の誕生日なのに、 おめでとうメールを送るのを忘れていた。
今年は忙しいからお互い特別なお祝いはしないと決めていたけれど、 日曜日の0時ぴったりにメールだけでも送ろうと思っていたのだ。
なのに、 中途半端な時間に寝落ちして、 変な夢で目が覚めて、 大切な彼女の誕生日を失念してしまうとは……。
時計を見ると、 針は午後1時40分を指している。
奏多は慌てて凛にメールを送った。
『凛、 18歳の誕生日おめでとう! 』
送信して間もなく、 凛からの返事。
『ありがとう。 さっき塾の自習室から帰ってきたとこ。 奏多は家? 』
『うん。 俺はずっと家にこもって勉強してた』
『お疲れさまです』
『凛もお疲れさま! 』
ほんの短いメールのやり取りだけなのに、 これだけでも気持ちが軽くなって、 頑張る気力が湧いてくるから不思議だ。
目を細めてしばらくじっと画面を見つめてから顔を上げたら、 ニヤニヤしながらこちらを見ている叶恵とバッチリ目が合った。
「なっ…… なんだよ」
「ん? だから私が言ったでしょ? 何事もメリハリが大事なの。 オンオフの切り替えがちゃんと出来れば、 恋愛だって邪魔にはならないのよ」
「…… うん、 そうだよな」
「行ってきたら? 」
「えっ? 」
「凛ちゃん、 家にいるんでしょ? だったら一言お祝い言うくらいの時間はあるんじゃない? あなたも外の空気を吸っといで」
奏多は少し考えてから頷いて笑顔を見せた。
「…… 花束は何がいいかな? 」
「11月の誕生花はガーベラ。 花言葉は希望と前進」
「バッチリじゃん。 ありがとう! 」
奏多は財布を片手に勢いよく飛び出すと、 駅前の花屋で花束を作ってもらい、 電車に乗った。
マンションの近くまで来ると、 エントランスの前に立っている凛の姿が見えた。
「凛! 」
その声で凛がこちらを向いて、 ニッコリ笑いながら、 胸の前で小さく手を振る。
それを見た途端、 奏多は全力で走り出していた。
息をハアハア切らしながら近づくと、 両手でガーベラとかすみ草の花束を差し出す。
「凛、 誕生日おめでとう。 本当は誰よりも先に言いたかったんだけど…… 遅くなった」
「ありがとう、 わざわざ来てくれて嬉しい」
「ごめんな、 急に。 勉強の邪魔になるかと思ったんだけど、 どうしても直接言いたくて」
「ううん、 嬉しかった。 これでまた頑張れるよ」
「うん、 俺もこれでまた頑張れる。 ちょっとでも会えて良かった。 それじゃ」
「…… えっ、 もう行くの? 」
「えっ?! 」
「…… えっ? だって、 せっかく来たのに…… 」
奏多は駅の方向に向けていた足を戻すと、 凛に歩み寄って、 花束ごとギュッと抱きしめた。
「…… プレゼントのおまけです」
凛は恥ずかしそうに俯いて、 奏多の胸に顔を埋める。
「ありがとう…… 最高のプレゼントです」
奏多は凛から身体を離して顔をジッと見ると、 照れ臭そうに頭を掻いた。
「ハハッ、 これじゃプレゼントっていうよりも、 俺へのご褒美だよな」
「私にとってもご褒美です」
「うん…… これで充電完了! 帰ってまた勉強するわ。 また明日、 学校で! 」
「あっ、 待って! 」
「えっ? 」
振り返った奏多の頬に、 凛の柔らかい唇が触れた。
「…… プレゼントのお返し」
凛はそう言うと頬を染めて、 「また明日! 」と言いながらマンションに入って行った。
「なんだコレ…… やっぱり俺へのご褒美じゃん」
束の間の逢瀬は奏多のやる気を回復させるに十分で、 その日は家に帰ってから勉強に集中して、 久々に早い時間から朝までぐっすり眠れたのだった。
センター試験まで、 残り2ヶ月に迫っていた。