7、 背水の陣
奏多がこのまま家に残るために自分に課した条件。
それは、 滑り止めの私立大学は受験しない。
希望大学の工学部だけを受験し、 合格しなければ浪人する… というものだ。
叶恵が就職を蹴ってまで漫画家の道を選び、見事にその夢を掴み取ったように、 奏多もまた背水の陣で挑もうと決めたのだった。
「俺は東京の大学には行かない。 だからずっとこっちにいる。 この家にいさせてほしい」
奏多の話を黙って聞いていた晴恵が、 カウチの背もたれに体を預けて腕を組んだ。
「ずっとって言うけどね…… もしも大学に合格したとして、 その先はどうするの? 就職先が北海道だったら? 結婚相手が東京の人だったら? 」
「お母さん、 凛ちゃんの前で何言ってるのよ! 」
「そうだよ! 変なこと言うなよ! 」
叶恵と奏多が慌てて晴恵を制するが、 晴恵は動じることなく、 今度は凛に向かって話しかける。
「凛ちゃん、 あなたの前でこんな事を言うのはなんだけど、将来に関わる大事なことだからハッキリ言うわね。 あなた達はまだ17歳、 18歳の未成年で、 これから先には今まで生きてきた3倍、 4倍の長い人生が待ってるの」
サークルにバイト、 コンパ。 大学に行けば一気に世界が広がって、 新しい出会いの場も増える。
そこで知り合った人と恋が芽生えて、 そこからどんな未来に繋がっていくかは分からない。
「凛ちゃんもそうだし、 奏多だってそう。 この家にこだわって未来の選択を狭める必要はないんじゃない? 」
「俺は…… 」
奏多が両膝の上でグッと拳を握って唇を噛んだ。
「俺は、 これから先にどんなことが待ってるかなんて分からないけれど…… 自分の目の前にいくつもの道があって、 そのどれを選んで進んだとしても、 その先には必ず凛と一緒の未来があると信じてる。 2人で一緒に歩んで、 どこかで迷ったり寄り道をしても、 最後には一緒にこの家に帰ってきたいと思う」
「だから、 あなた達はまだ若いから…… 」
「私も…… 」
ずっと黙って皆の会話を聞いていた凛が、 晴恵の言葉を遮るように言葉を発した。
他の3人がハッとして口をつぐみ、 一斉に凛の方に注目する。
「私もこの家が大好きなんです。 この家で叶恵さんや奏多くんと過ごした時間があったから、 辛いことも乗り越えられたんです。
この先、 たしかに私たちには沢山の出会いがあるし、 奏多くんのことを好きになる子も現れると思います。 だけど、 それでも私を選んでもらえるように頑張ろうと思うし、 いつか彼と一緒にこの家で暮らせたらって思っています。 私にはこんなことを言う資格はないけれど、 お願いします、 この家を売らないでください! 」
凛と一緒に奏多も頭を下げると、 その場に沈黙が訪れた。
「でかした! 」
数秒後、 いきなりの大声で沈黙を破ったのは晴恵だった。
「でかした、 奏多! こんな可愛い子にここまで言わせるなんて、 さすが私の息子! 」
「えっ?! 」
奏多がビックリして顔を上げると、 そこには晴恵の満面の笑み。
「正直言うと、 高校生の恋なんて一過性のものだと思うし、 あなた達の心変わりの可能性もあるってまだ思ってるわ。 だけど、 あなた達のいくつかの選択肢の一つに、 2人でここに住むっていう未来があるのなら、 それを私が潰すわけにいかないわよね…… 」
「母さん、 それじゃ…… 」
晴恵が優しく微笑みながら、 うんと頷く。
「いいわ、 この家を売るのはひとまず延期しましょう。 ただし、 条件は大学の現役合格。 浪人したら即刻アパートに移ってもらうわ。 家があるからって安心してダラダラされちゃたまらないしね」
「えっ、 現役合格?! 」
「家を賭けるんだから、 それくらいの覚悟を見せなさいよ。 それに、 浪人生なんて凛ちゃんが愛想つかして逃げちゃうわよ」
「…… 分かった」
奏多が晴恵に向かって頷き、 次いで凛を見ると、 彼女の左手をギュッと握って言った。
「凛…… 俺、 頑張るよ。 あと、 俺は今後どんな出会いがあっても絶対に浮気しないんで大丈夫…… っていうか、 どう考えても凛の方がモテるし」
「えっ、 奏多だってモテてるじゃない! このまえ購買でパンを買い損ねてた1年生の女子に自分のパンを譲ってあげてたでしょ? あのあとあの子、 ずっと奏多のこと見てたんだからね! 」
「見てただけだろ? 」
「見てただけじゃなくて、 じっと見つめてたの! 私が振り返った時にあの子と目が合ったし! みんなに優しいのは仕方ないけど、 自分が天然タラシっていうのを自覚して欲しい。 ねっ、 叶恵さんもそう思うでしょ…… あっ」
勢いよく叶恵の方に顔を向けたら、 叶恵と晴恵が似たような顔を並べてニヤニヤしていた。
そう言えばここには奏多の母親もいたのだと思い出し、 ボッと顔を赤らめ肩をすぼめる。
「すいません…… お騒がせしました」
「いえいえ、 私たちに構わずどうぞお続けくださいな。 ねっ、 お母さん」
「ええ、 いいもん見せてもらったわ〜。 こんな美少女が奏多に妬いてくれるなんてね〜、 青春よね〜。 長生きしてみるもんだわね〜 」
叶恵と晴恵のニヤニヤが止まらない。
「是非とも凛ちゃんにはうちにお嫁に来てもらいたいわ。 奏多、 逃げられないように頑張んなさいよ! 」
奏多と凛は益々耳まで真っ赤にすると、 借りてきた猫のように、 ソファーで身体を小さくしたのだった。
ーー 大学に現役合格…… か。
自分が考えていたよりも更に厳しい条件がついた。
だけど、 逃げるつもりも諦めるつもりもない。
求めるものが大きければ大きいほど、 それ相応のリスクを負わなくてはならないのだ。
夢を掴むための努力は、 未来への先行投資だ……。
奏多は両手の拳を固く握りしめて、 大学合格への決意を新たにした。
センター試験まであと4ヶ月、 高校卒業は半年後に迫っていた。