15、この複雑な感情は
「キャーーーーーーーーッ! 」
小桜の叫び声を聞きつけて、 奏多は全速力で漫画パレスへと走った。
「小桜っ、 だいじょう………えっ?! 」
そこには尻もちをついて 唖然としている小桜と、茫然と立ち尽くしている叶恵、 そして窓の外にはついさっき見送ったばかりの顔…… 一馬と陸斗がいた。
「お前ら、 何やってんだよ! 」
「あんた達、 何やってんの?! 」
奏多と叶恵が同時に声を発した。
「何って……てか、 なんで小桜?…… 」
一馬の言葉に、 奏多がハッとして小桜に駆け寄る。
「小桜、 大丈夫か? 」
奏多が背中を支えると、 小桜がようやく体を起こし、 畳の上で横坐りに態勢を整えた。
叶恵がカッと目を見開き、 ズンズンと大股で窓際まで歩いていく。
グイッと窓から両手を伸ばして一馬と陸斗の襟元を掴み、
「一馬! 陸斗っ! 」
「「 はっ、 はいっ! 」」
叶恵が凄みのある低音で2人の名前を呼ぶと、 一馬と陸斗は襟元を締め付けられたまま、指先をピンと伸ばして『気をつけ』の姿勢をとった。
「これは立派な不法侵入だ。 分かってるよね 」
「ちょっと、 叶恵さん、 俺たちはそんな…… 」
「陸斗っ! 百田家の門の中に勝手に入ったら、 それはもう不法侵入なんだよっ! 違うのか? 」
「…………違いません」
友人の家でちょっと裏庭にまわっただけで不法侵入なんて、 大袈裟な……。
とは思っても、 叶恵に向かってそれを言う勇気はない。
この2人は叶恵の恐ろしさを熟知しているのだ。
「悪いことをしたと思ってる? 」
「「 はい 」」
「心から反省してる? 」
「「 …… はい 」」
心から反省してるかと言われたら正直それほどでもないが、 この2人は叶恵の恐ろしさを……(以下同文)。
叶恵は一馬と陸斗を散々ビビらせて戦闘意欲を失わせたことに満足すると 、 ようやく両手を離して2人を解放した。
「よし、 2人とも今すぐ入っておいで」
「「 はい!」」
「奏多! 」
「は……はい! 」
「今すぐ玄関の鍵を開けて、 こいつらを引っ張っといで」
「……はい 」
奏多は自分までも叱られているような気持ちになりながら、 さっき走ってきたばかりの廊下をまた玄関へと戻った。
***
「それで、 2人ともどうして覗きなんかしてたの? 凛ちゃんが生着替えしてるとでも思った? 当店はそんなサービスはありません。 残念でした! 」
「「 叶恵さんっ!! 」」
「姉貴、 何言ってんだよ! 」
男性陣から一斉に突っ込みが入った。
小桜は真っ赤になって俯いている。
漫画パレスの座卓を挟んで、 手前側に叶恵と奏多、 奏多から少し下がった斜め後ろに、 隠れるように小桜が座っている。
その反対側、 押入れを背にした席には、 一馬と陸斗が神妙な面持ちで正座している。
小桜が部屋の隅に積んであった座布団を渡そうとしたが、
「犯罪者に座布団は不要です! 」
ピシャリと叶恵に言われてしまったので、 2人とも畳に直に正座したままだ。
なかなか厳しい。
半年前にもここで同じような光景が繰り広げられていた。
デジャヴだ……。
あの時は一馬と陸斗の位置に奏多と小桜が座っていたのだが……。
ーー それで、 あなた達は……。
2人は何をしに来たのか。 どうして裏庭から覗いていたのかと、 改めて叶恵が問い詰めた。
「俺が説明します」
陸斗がそう言って、 こうなるまでの経緯を説明し始めた。
***
『なんか奏多、 怪しいな』
先にそう言いだしたのは陸斗だった。
奏多と商店街で別れたあと、 一馬と陸斗は2人でしばらく洋服や雑貨を見てぶらぶらしていたが、 そろそろ帰ろうかという時になって、 陸斗が足を止めて呟いたのだ。
『怪しいって、 奏多が? なんで? 」
そう聞き返す一馬に向かって、 陸斗は最近自分が感じていた違和感を順に述べた。
曰く、 夏休み明けくらいから急に付き合いが悪くなった。
特に金曜日は誘いを絶対に断る。 HRが終わった途端に立ち話もせず急いで帰って行く。
用事があって家まで行っても玄関で立ち話をするだけで中には入れてくれない。
前はよく叶恵の手伝いでモデルをさせられていたのに、 それも呼ばれなくなった。
「言われてみれば……そんな気がする」
「そんな気がするんじゃなくて、 実際にそうなんだよ。 今日だって、 叶恵さんが締め切り前で忙しいって言うんだったら、 俺たちに手伝わせればいいんだよ。 前だったらそうしてた」
「確かに……。陸斗、 お前賢いな」
「賢くなくても普通気付くだろ。 以前だったら、 俺たちが家に行くって言ったら滅多に断られることなんて無かった。 だけど今日、 奏多は断って先に帰った」
「怪しいな…… 」
「怪しいんだよ」
彼女が出来たか、 何かトラブルに巻き込まれているか…… 。
どちらにせよ、 親友なのに水くさいではないか。
「……行っちゃう? 」
「そうだな……突撃だ」
***
「それでわざわざ家まで押しかけてきたという訳か」
「ああ。 親友としてお前が心配だったからな」
玄関チャイムが鳴った時、 応答に出た奏多は、 それが一馬と陸斗だと分かると、 咄嗟に玄関の外に出て、 後ろ手でドアをピシャリと閉めた。
たたきの隅に揃えられている小桜のスニーカーを見られたくなかったし、 何かのはずみで小桜が廊下に顔を出したら、 その時点で一巻の終わりだからだ。
「俺、 今日は姉貴が機嫌わるいから駄目だって言ったよな? 普通に応答出来てたよな? 」
「お前は頑張ってた。 けど、 靴が見えた」
「見えた? あの一瞬で?! 」
「うん。 ほら、 俺って視力2.0だから」
陸斗が当然という顔でシレッと答える。
ーー クソっ……そうだった。
こいつは顔がいいばかりか頭も視力もいいんだった。
羨ましい…… いや、 今はそんなこと、 どうでもいい。
「それで俺を疑って、帰るのをやめたんだな」
「ああ。 叶恵さんはハイカットのスニーカーなんて履かない。 サイズも小さかった」
2人を追い返して玄関の鍵を閉めたあと、 念のため小桜のスニーカーを下駄箱に隠しておいたのだが、 全くの無駄だったようだ。
奏多に玄関先で締め出された直後、 陸斗が一馬に言った。
『女物のスニーカーがあった。 叶恵さんのじゃない』
『彼女かっ! よしっ、 行くぞっ! 』
『ああ、 裏庭だ』
そして最悪のタイミングで小桜と遭遇してしまったのだった。
ーー それにしても……。
どう説明したものかと、 奏多は言葉に迷っていた。
ただ内緒にしてくれと言うのは、 親友に対してあまりにも誠意がない。
だが、 分かってもらおうとすれば、 小桜の家庭の事情を話さなくてはならない。
どうしたものかと奏多が考え込んでいると、 一馬が恐る恐るという感じで聞いてきた。
「あのさ……、2人はいつから付き合ってたの? 」
「「 付き合ってないから! 」」
奏多と小桜が速攻で否定する。
「いやいや、 この状況を見せられて、 付き合ってないとか言われても……。 小桜さんは叶恵さんも公認で家に出入りしてるんだよね? 」
陸斗にそう言われて、 返す言葉がない。
確かに知らない人から見れば、 誰がどう言おうと『彼女が家に遊びにきている』絵ヅラなのだから。
ーー 「 悪い? 」
えっ?!
全員が一斉に叶恵に注目した。
「凛ちゃんと奏多は付き合っていない。 訳あってうちに出入りしているけど、 断じてカレカノではない。 それは私が保証する。 凛ちゃんは奏多の友達だけど、 私の友達でもあるの」
それで、 何か文句ある?
そう聞かれて文句を言えるものは、 その場に誰一人いなかった。
その後のシーーーーンとした空気を破ったのは小桜だった。
「あの……ごめんなさい。 私のせいでこんな事になってしまって…… 」
「凛ちゃんは悪くないから。 勝手に押しかけてきたコイツらが悪い」
「私が事情を説明します」
「凛ちゃん、 無理して話さなくてもいいから」
「だけど、 私のせいで百田君に嘘をつかせて、 須藤君と大野君にもこんな風に正座させることになって……。 こんなの良くないですよね」
小桜は黙って立ち上がると、 一馬と陸斗のうしろ側……押入れの前に立って、 カラーボックスの中から1冊の本を取り出した。
「この漫画、 私のなんです! 」
顔を真っ赤にしながら、 [恋してハニワ君 ①] を両手で目の前に突き出した。
「あっ! 恋してハニワ……って、 それ覚えてるよ! 持ち物検査! 」
コクリと小桜が頷く。
「私が学校に漫画を持ってきたってバレたくなくて、 咄嗟に百田君に押し付けちゃったの」
「それで黙って自分が叱られたのか…… 」
奏多らしいといえば奏多らしいと、 陸斗が苦笑いしている。
「……で、 どうして小桜さんの漫画がここに置いてあるの? 」
小桜は、 奏多に話した時よりももっと短く、 叶恵に話した時よりももっと端折って、 自分の家庭の事情……母親の再婚相手が医師であること、 母親から自分も医者になるよう言われていること、 自分が漫画を読むことを良く思わないこと、 成績をキープするよう言われていること……などを説明した。
「それで奏多と叶恵さんが協力してるって訳か……。 うん、 大体わかった」
「なんか凄いな。 あの持ち物検査から半年か……よくバレなかったな」
「今日とうとうバレちゃったけどな、 お前らのせいで。 分かったなら、 このことは絶対に秘密にして欲しい。 頼む」
奏多が座卓に両手をついて頭を下げる。
「こんな事に巻き込んで申し訳ないと思うけれど、 私からもどうかお願いします」
ここは自分にとって憩いの場なのだと、 小桜も漫画を胸に抱きながら深く頭を下げた。
一馬と陸斗が顔を見合わせて頷き、 奏多と小桜に頭を上げさせてから、 改めて宣言した。
「小桜さん、 俺たちにも協力させて欲しい。 『木を隠すには森の中』って言うだろ? 奏多と2人だけだと今日みたいに勘繰られるだろうけど、 俺たちと一緒なら、 クラスメイトと一緒にいる……で誤魔化せると思うんだ」
「そうだよ。 これからは奏多だけじゃなくて、 俺たちのことも頼ってよ。 今日からはただのクラスメイトじゃなくて、 友達ってことでヨロシク! 」
先程までとはうって変わって和気藹々とした雰囲気になっているにも関わらず、 奏多の表情は何故か冴えなかった。
陸斗が言ったことは納得できるが、 その後に一馬が言った言葉には、 なんとなく釈然としない自分がいた。
ーー 簡単に友達を名乗ってんじゃねえよ!
なんだよ、 “これからは奏多だけじゃなく” ……って。 半年間ずっと俺たちだけで秘密を守ってきたんだ。 今日知ったばかりのくせに俺と同じレベルで語るなよ。
「百田君、 大丈夫? 」
「えっ? 」
不意に小桜に呼ばれてハッとした。
「なんだか怖い顔になってる」
「ああ、 いや、 一馬と陸斗には迷惑かけたくないなって思ってさ」
慌てて作った笑顔が不自然になっていないかが気になる。
「迷惑とか言うなよ。 もう俺たちは運命共同体だぜ! バッチリ協力するから頼ってくれよ! 」
「うわっ、 一馬はチョロいからボロ出しそうで嫌だわ〜」
「叶恵さん! これでも俺はサッカー部のエースですよ! 頼りになりますって」
ーーそうだよ、 姉貴。 一馬は軽いんだよ、 チョロいんだよ。 仲間に入れたら絶対にヤバイって!
あれっ? 俺ってこんな風に友達の陰口言うやつだったっけ? なんで人の好意を迷惑がってんの? 一馬は…… 親友じゃないか。
胸の奥からジワリと沁み出してきた黒い感情に焦り、 戸惑った。
「なんか俺…… 嫌なヤツかも」
心の声がそのまま言葉に出てしまっていたらしい。
奏多の呟きに、 皆が何事かという顔で視線を向けている。
「奏多、 大丈夫か? 心配するな、 お前はアホみたいにいい奴だからな。 俺が保証する! 」
「一馬に保証されても嬉しくないわ! それにアホは余分だし! 」
いつものノリに戻って笑いながらも、 自分の笑い声がどこか白々しいような気がして、 『いや、 これでは駄目だ』と首を振る。
「うん、 良かった。 これで俺ももうお前たちに隠し事をしなくて済むよ。 とにかくここは、 小桜の大事な場所なんだ。 絶対にバレないように頼む。 小桜も……俺たちを頼ってくれればいいから」
『俺たち』と言ったときに胸がなんだかモヤモヤしたのは、 きっと良くある独占欲のようなものなんだろう。
偶然見つけた秘密基地を誰にも教えたくない……とか、 綺麗な石を触られたくなくて小箱の中にそっと隠しておく……とか、 そんな類のものと同じ、 子供じみた感情だ。
心の中に湧き上がったこの複雑な感情を、 そうやって『子供の独占欲』に置き換えてみたら、 なんだか少しスッキリした気がした。
ーー そうか、 俺って思ってたより幼稚なのかも……情けないな。
軽く溜息をつき、 外の景色をチラッと見てから立ち上がる。
小桜の横まで行って 肩にポンと手を置くと、 笑顔を作って声を掛けた。
「小桜、 もうそろそろ送って行くよ。 今日は約束があったんだろ? 」
「あっ、 そうだった。 6時半にモールの前だから、 もう行かなきゃ遅れちゃう」
小桜は今日は卒業祝いで両親と外食なのだそうだ。
待ち合わせのショッピングモールまでは電車で約20分。 家から駅までの距離も考えると、 もう出た方がいいだろう。
「そういうわけで、 今から姉貴と俺で小桜をモールの駅まで送ってくからさ、 お前らも帰ってくれる?」
「えっ? だったら……なあ」
「ああ」
一馬と陸斗が頷きあっている。
「小桜さんは俺たちが送って行くよ」
そう言われた途端、 また胸がざわついた。
「でも、 ずっとそうしてきたし…… 」
「奏多、 大丈夫だよ。 叶恵さん、 忙しいんでしょ? 俺たちどうせ帰り道だし、 知ってる奴に会ったら、 駅で会ったとか適当に言っとくから」
陸斗にそう言われると、 反対する理由もない。
「姉貴はどうなの? ルール変更してもいいの? 」
姉貴に振ってみたが、
「う〜〜ん、 そうねえ〜〜。 別にいいんじゃないのかなあ〜〜 」
ーー えっ、 いいのかよ?
なんかイラっとする。
「…… 分かった、 お前らに任せるよ。 小桜、 またな」
「……うん、 百田君、 またね」
玄関前で3人を見送ってから中に入ると、 腕を組んで壁にもたれた叶恵が、 上がり框からニヤニヤしながら見下ろしていた。
「奏多、 いいの? 」
「えっ? 」
「凛ちゃんを送らなくてもいいの? って聞いてるんだけど」
「だって姉貴があいつらに任せたんだろ」
「私がどうのこうのじゃなくってさ、 あなたがどうしたいかって話なんだけど」
何故か徐々に厳しい口調になっていく。
「俺が? なんで…… 」
叶恵は組んでいた腕を解くと、 奏多の肩に手を置いて、 グイッと外を向かせた。
そして玄関の外を指差して、
「今から走ればギリギリ間に合う。 向こうが電車に乗っちゃったらアウト。 どうするの? 」
肩に置く手に力を込めて、 低い声で言われた瞬間、 心が決まった。
「やっぱり俺、 行ってくるわ! 」
そのまま猛ダッシュで一馬たちの後を追った。
奏多は一度も振り返らなかったが、 たぶん叶恵は必死に走る後ろ姿を見ながら笑っているんだろうな……と思った。