26、 君に出会えて良かった
「87期生、 バンザーイ! 」
「卒業したくない! 」
「みんなと離れたくないよ! 」
卒業生たちが次々と叫んでいるなか、 樹はそれを感慨深そうにじっと見つめて聞き入っていたが、 そろそろ潮時だと思ったのか、 頃合を見計らって声を発した。
「僕は…… 」
樹の言葉を合図にしたように、 みんなの叫びもピタリと止まる。
「僕は、 こんなに素晴らしい仲間たちと、 3年間の高校生活を共に過ごしてきたことを、 心から誇りに思う」
そして今度は在校生に向かって語りかける。
「在校生の皆さん、 君たちにも、 今の僕らのように、 自分たちが最高だと、 自分たちの代の88期、 89期生が一番素晴らしかったと大声で言えるような学校生活を送って欲しい。
3年間なんて、 本当にあっという間だ。 全速力で駆け抜けたって、 自分がやりたいことの半分もやり尽くせないんだ。
だから、 変にカッコつけたり恥ずかしがったりせずに、 限られた高校生活を全力で楽しんで欲しい」
そう言って樹がフワリと微笑むと、 在校生たちが惚けた表情で、 うんうんと頷いた。
「…… 君達が僕たち87期生と過ごした時間は、 楽しかったかな? 有意義だったのかな? 少しでもシアワセだったと思ってもらえたら、 先輩としてこれほど嬉しいことはないんだけど…… 」
「最高でした! 」
「シアワセです! 」
「先輩、 大好き! 」
「樹先輩、 卒業しないで! 」
「お別れしたくない! 」
「行かないで! 」
今度は在校生たちが叫び出し、 それに釣られて卒業生たちもまた叫び出す。
卒業の寂しさ、 仲間との別れの寂しさ、 先生への感謝の言葉、 滝高への感謝の言葉……。
それらを聞いて先生方も目を潤ませ、 保護者がハンドバッグからハンカチを取り出し目頭を押さえる。
「校門をくぐってすぐ左手にあるソメイヨシノも、 毎年同じ場所に巣を作るツバメの親子も、 今日で見納めです。 『君』と同じ景色を見ることが出来ないと思うと、 とても感慨深く、 そして寂しく感じられます。
ですが、 自由闊達な校風の元、 我が校の校訓である万里一空、 質実剛健の精神を胸にここで学んできたことは、 我々の心に深く刻まれ、 これからの長い人生の礎になっていくことでしょう。
在校生の皆さん、先ほどは心のこもった祝辞をありがとうございました。 僕たちは今日で滝山高校を卒業しますが、これからは皆さんが我が校の伝統を引き継ぎつつも、 新しい風を取り入れて、 この滝高を今以上に盛り上げていってほしいと思います。
最後になりましたが、 私たちの学校生活を支えてくださったすべての方々に改めて御礼を申し上げるとともに、滝山高校の更なる発展を願って、 答辞の言葉とさせていただきます。
卒業生代表、 葉山樹」
樹が一歩下がって頭を下げた途端、 万雷の拍手と惜しみない賛辞の声がわっと湧き上がった。
卒業証書を手に講堂を去っていく先輩方の背中を見送りながら、 奏多と凛も、 惜しみない拍手を送り続けた。
校庭で樹が後輩たちに囲まれていると、 義孝が「おい、 樹」と声を掛けてきた。
彼が顎をしゃくった方に目を向けると、 人垣から離れたところで、 凛が小ぶりのブーケを持ってこちらを見ていた。
「ちょっとごめん」
人垣を割って外に出ると、 一歩一歩踏みしめるように、 ゆっくり凛の前に歩み寄る。
目の前に立つと言葉が浮かばなくて、 黙ってニッコリ微笑んだ。
「樹先輩、 ご卒業おめでとうございます。 生徒会でも演劇部でもお世話になりました。 それと、 医学部合格おめでとうございます」
凛から差し出されたブーケを受け取ると、 樹がクシャッと一瞬だけ笑顔を歪ませた。
「ありがとう…… 卒業…… したくないな」
「えっ、 何言ってるんですか。 私も来年追いかけますからね。 勉強大変だと思いますが、 頑張ってくださいね」
凛が差し出した右手をグッと握ると、 樹は迷子の子供が途方にくれたような、 泣き笑いの表情になった。
「僕は…… 君に出会えて良かった」
「はい、 私もです。 お世話になりました」
「先輩、 お元気で」
「うん…… 君も元気でね」
もう少しこのまま握っていたいと思ったけれど、 それより先に、 彼女の方がスッと手を離し、 今度は根本の方に歩いて行った。 根本にも同じように挨拶しているのだろう。
「最後の抱擁はしなくて良かったのかね? 樹先輩」
肩をポンと叩かれて振り向くと、 義孝がニヤニヤしながら立っていた。
「ふざけんな。 人が感傷に浸ってたっていうのに」
「まあまあ、 怒りなさんな。 ブーケもらえて良かったじゃん。 どれどれ、 マーガレットか。 清潔感があっていいな、 恋占いの花じゃないか。 せっかくだから、 スキ、 キライ…… って占ってみろよ。 奇跡が起きて『スキ』が出るかもよ」
「うるさい、 黙れ。 マーガレットの花言葉は『信頼』だ。 俺は信頼できる先輩なんだよ」
「あの子も来年は僕たちと同じ大学に来るんだろ? 」
「彼女の成績なら、 多分そうだろうね」
「それじゃいいじゃない、 奪っちゃえば」
「簡単に言ってくれるね」
義孝が樹の肩に肘を乗せてニヤッと口角を上げる。
「だってさ、 後輩の女生徒諸君にどれだけねだられても、 第2ボタンどころかボタン1個さえ渡さなかったんだぜ? 愛しの凛ちゃんに操を立ててそこまでするなんて、 健気すぎて泣けるだろ」
根本に挨拶を済ませた凛が、 小走りで奏多の元に走っていくのが見える。 その姿を目で追いながら、 樹が独りごちた。
「そうだな、 高校生の凛ちゃんは仕方ないからあいつに譲っておくよ。せいぜい今のうちに恋愛を謳歌してればいいさ。 あんな素敵な子と付き合えるなんて、もうこの先一生無いと思うからさ…… 」
そう言いながらも、 たぶんあの2人は別れないだろうし、 自分はきっとこの先、 自分の気持ちを伝えることはないのだろう……と思う。
「まあ、 樹が初恋を拗らせて一生独身のままだったら、 老後は僕と真子で面倒見てやるから安心して拗らせてろ」
「それじゃ俺は、 お前が真子ちゃんに振られたら全力で慰めてやるよ」
「縁起でもないこと言うな! 絶対に別れないし! 」
「ハハッ…… 義孝、 ありがとう。 お前がいてくれたおかげで、 俺の滝山での6年間は最高に楽しかったよ」
「それはお互い様だ。 僕もお前に出会えて良かったよ。 真子ちゃんがいなければお前を嫁にしてたとこだ」
「アホか、 お前が嫁だよ」
「そんなのどっちでもいいんだよ、 どんな関係にせよ、 僕たちの付き合いは一生もんだ。 そうだろ? 」
「ああ、 これからもよろしく頼むぜ、 相棒」
「こちらこそ」
拳を合わせて微笑みを交わした。
「奏多、 お待たせ! 」
凛が駆け寄って来るのを待って奏多が歩き出すと、 凛も隣に並んで一緒に歩き出した。
「凛…… んっ」
奏多が差し出した手を凛が自然に握り返す。
「全部の先輩に挨拶できた? 」
「うん。 生徒会と演劇部、 全員にちゃんとブーケを渡せて良かった」
「とうとう3年生になるんだな、 俺たち」
「うん、 あっという間だね」
「そして、 卒業までの1年なんて…… きっと、 もっとあっという間だ」
「…… うん」
来年の今頃は、 自分たちも今日の先輩たちのように、 後輩に見送られてこの滝高を去って行くのだ。
その時自分たちは、 どんな未来を描いているのだろう……。
春は出会いと別れの季節だ。
この時期になると何故か感傷的になってしまうのは、 別れの寂しさだけではなく、 まだ見ぬ未来への不安と期待が入り混じっているせいなのかもしれない。
奏多と凛の、 滝高最後の1年が始まろうとしていた……。