22、 打ち上げの夜 (後編)
『あなた様のお心をいただきたく存じます』
葉山樹としては二度と出来ない告白、 絶対に隠し通そうと決めた本心を、 ケント伯に託して口にした。
そして何より……
「終わりたくなかったんだ。 楽しかったんだよ、 あの時間が」
彼女が自分を見つめて微笑みかける。
舞台の上では遠慮することなく視線を交わし、触れることが出来る。
楽しくてシアワセ過ぎて、 もっともっとこの時間を共有していたいと、 そんな風に思ってしまったのだ。
「この時間が1秒でも長く続けばいいって思ったんだ。 A案の方が断然セリフが多いからね。 彼女ならアドリブが入ってもどうにか対処してくれるだろうっていう確信みたいなものがあったし、 ダメでも自分の力で上手く本筋に戻す自信があった」
結果は予想以上だった。 樹からの突然の無茶振りに凛が見せたのは、 こちらの期待以上の答え。
『心はあげられないが、 魂を与える』
そう言って手の甲に口づけた。
ケント伯の叫びに立ち止まって振り返った。
コーディリアのキャラクターを壊さずに、 それでいて1人の女性としての心の揺らぎを見事に表現して見せたのだった。
「あのとき、 コーディリアは…… 彼女は振り向いてくれたんだよ。 振り向いて微笑んだんだ。 あの一瞬でケント伯は報われた。 彼は一生、 あの時の彼女の微笑みを胸に生きていくんだよ。 僕には分かる。 彼は…… 絶対にシアワセだった」
「いっそのことキスまでしちゃえば良かったのに。 最後の最後だけB案に戻す必要なかったのよ」
そう、 A案の本当のラストは、 コーディリアの死を嘆き悲しむケント伯が、 最後に彼女の亡骸を抱き寄せて口づけるというものだった。
「…… そんなこと出来ないよ。 あの子は僕のモノじゃないからね」
樹は柔らかく微笑むと、 注文するつもりもないのにメニューを手に取って読むフリを決め込む。
長い睫毛が手元に翳を落としている。
「ふっ…… 」
樹が急に思い出し笑いをしたので、 根本が不審げな目を向けた。
「何が可笑しいの? 」
「えっ? いや…… シャンソン歌ってたなって思ってさ」
「…… ああ、 小桜さん歌ってたね、 『愛の讃歌』」
まずは1年生から順に1曲ずつ歌っていくということにしたら、 凛は初めてで分からないと戸惑っていた。
知ってる曲なら長くても短くても何でもいいと言ったら、 真剣な表情で歌の本を捲り始めた。
選曲の仕方も入力の仕方も知らないという凛のために樹がリモコンを手にしたら、 彼女が指し示した曲は『愛の讃歌』
「ふふっ…… 僕は初めて見たよ。 友達とカラオケに来て、 シャンソンを全力で歌う子。 ハハハッ! 」
「妙に上手かったよね」
「ああ、 上手だった。 最高だった。 ハハッ」
「……私はこの2ヶ月弱の部活での彼女しか知らないけれど…… 葉山くんがあの子を好きになった気持ちはなんとなくわかる気がする。 とても魅力的だもの。 外見だけのことじゃなく、 なんだか気になるというか……」
樹が目を細め、 黙って頷いている。
「自分から積極的に話しかけては来ないけれど人の話はちゃんと聞いてるし、 こっちでしょうもない馬鹿話をしてるとクスクス笑ってくれるでしょ? クールビューティーが崩れる瞬間っていうの? あれ、 結構嬉しいのよね。
『あっ、 彼女が話を聞いて笑ってる、 もっと笑わせたいな!』……とか思っちゃう」
それを聞いて、 樹が『我が意を得たり』という顔で、 まるで自分が褒められたようにパアッと表情を明るくして言う。
「そう、 そうなんだよ! それで、 みんなが知ってるような事を知らなかったりとか、 ちょっと天然なとこがあるだろ? さっきも誰かが歌ってたアニメソングを嬉しそうにニコニコ聞いてたり、 初めてのカラオケでシャンソンを真剣に歌っちゃうとかさ、 あの子、 どれだけ引き出しがあるんだよ! っていうさ…… 」
「…… まあ、 葉山くんのじゃないんだけどね」
身を乗り出して熱く語る樹に、 トドメを刺すように根本が言うと、 樹がパタリと動きを止め、 ソファーに深くもたれかかって宙を見た。
「そう、 残念ながら僕のじゃないんだよね」
ーー でも、 いいんだ。
舞台の上のあの時間だけは、 彼女は僕のコーディリアだった。
いいんだよ…… もう十分だ。
本当にシアワセだったんだ。
樹は天井を見上げると、 メニューでそっと顔を覆った。
その後、 学園祭での好評ぶりに気を良くしたのか、 今まで顧問とは名ばかりで生徒に任せきりだっ堀田が俄然張り切りだし、 『リア王』で県の演劇コンクールに出場申請をした。
学園祭のコーディリアを再びと、 堀田が三顧の礼で連日のように凛の元に通って口説いたが、 彼女は「自分は部員ではないから』と、 頑として首を縦に振らなかった。
樹の方も『ケント伯は森田だから』と出演を固辞したため、 1年生のペアでメインを務めたが、 結局コンクールではあっけなく地方予選敗退となった。
しかし、『リア王』は堀田が葉山樹の個人名で申し込んでいた脚本賞の方で大賞を受賞し、 地元のテレビ局が学校まで取材にやってきたため、 天は二物も三物も与えるのだと、 しばらくの間、 学校中で話題騒然となった。
樹が書いた『リア王』は、 滝高演劇部の定番の演目となり、 その後も役者や演出を少しずつ変えながら、 数年ごとに学園祭で繰り返し上演されるようになった。
しかし、 あれほど観客を魅了し感動させ、 スタンディングオベーションまで起こしたのは後にも先にもこの年だけだったと、 まるで遠い昔のおとぎ話を語り継いでいくように、 今も先生や先輩たちが懐かしい目をして語っているのだという。
『リア王』の脚本と台本、 学園祭の舞台のDVDは演劇部の宝物とされ、 その時の記念写真とともに、 部室のガラス棚に丁寧に飾られている。
そしてそれと同じものが、 凛と樹が過ごした生徒会室の書庫の片隅に、 今もひっそりと並んでいるのである。