5、 放課後の教室 (後編)
「そうか〜……う〜ん、 マジか〜…… 」
腕を組んで俯きながらうんうん唸っている奏多を、 凛が心配そうに見つめている。
「う〜ん…… そっか〜…… そうだよな…… 」
奏多が組んでいた腕をほどいて顔を上げたタイミングで、 凛が「怒った? 」 と不安げに聞いてきた。
「いや、 怒りはしないよ。 その、 根本さん? の気持ちは良く分かるし、 そこまで言われたら凛の立場としては引き受けるしかないよな」
「事後報告になってごめんね」
「いや、 会議のあとで急に頼まれたんだろ? そんなの仕方ないよ。 頑張りなよ、 応援するよ」
「……なんか意外」
「えっ、 何? 」
凛が急に身を乗り出して顔を覗き込んできたので、 奏多はビクッとして後ろに身を引いた。
「私、 奏多が反対すると思ってた」
「…… ああ」
「もしかして、 すっごく我慢してる? どうしても嫌だって言うなら、 私…… 」
「いや、 ちょっと待って! 俺は怒ってないし反対してないから! 」
奏多は机に置かれた凛の手を上からギュッと握ると、 ニコッと笑って言った。
「凛の判断は正しかったと思うよ。 2年生の先輩方にとっては最後の舞台なんだ、 成功させてあげたいって俺も思う。 それに、 樹先輩にはこのまえ助けてもらった恩もあるしね」
凛が不思議そうに、 軽く首をかしげる。
「…… なんか奏多、 変わった? 」
「えっ、 俺が?! 」
「だって、 前だったら絶対にやきもち妬いて拗ねてたよね」
「え〜っ、 俺はそんなにお子ちゃまじゃないよ」
「そうだって! 街で大和くんと私を見つけて尾行してきたし、 大和くんを樹先輩に紹介するって言ったら、 受話器の向こうであからさまに溜息つかれたし」
「それはさ…… 」
「それで、 急に『デートして! 』って言いだしたんじゃない」
そこまで黒歴史をゴリゴリ掘り起こされたら否定のしようが無い。
「ん〜、 なんて言うんだろうな。 覚悟ができたって言うか、 開き直ったと言うか…… 」
奏多が凛の手をポンポンと軽く叩きながら、 ゆっくり考えるように話しだした。
「そうだな……もうさ、 腹を括ったんだよ。 ジタバタするのはやめようと思って。 凛がモテるのは仕方ないし、 そういう子を彼女にしちゃったんだから、 細かいことを気にしててもキリが無いだろ? 」
もちろんヤキモチを妬くし、 焦る気持ちだってある。
特に始業式以降は、『百田が付き合えるなら俺だって』とか、『樹先輩でさえ振られるんだからダメで元々』とでも思ったのか、 凛の下駄箱や机に入っている手紙が増えたし、 廊下で呼び止められたり告白される回数が増えているのにも気付いている。
『赤信号、 みんなで渡れば怖くない』という感覚なのか知らないけれど、『記念受験』のノリで押し寄せているのを見ると、 確かに気分がいいものではない。
「だけど今は、 心の中の芯の部分で凛を信じられてるから、 妬きはするけど、 それで傷付きはしないよ」
「信じてくれてるんだ? 」
「うん。 だって凛、 めちゃくちゃ俺のこと好きだよね」
「…………!」
目をパチクリさせてあからさまに動揺してるのが可笑しくて、 ついイジメたくなる。
さっきの仕返しも兼ねて、 畳み掛けるように攻撃を仕掛けた。
「雨の中で待ってるしさ、 俺に嫌われたんじゃないかって泣いちゃうしさ。 花火の日は浴衣で迎えに来てくれたよね。 あっ、 あとはメロンパンも! 」
耳まで真っ赤にして俯いたところを下からニヤニヤしながら覗き込んだら、 ジロリと恨めしそうに睨まれた。
「めちゃくちゃ好きに決まってるでしょ…… バカっ」
ーー ズキューーーーン!
思いっきり心臓を射抜かれた。 攻め込んでたつもりが反撃された。
あんな可愛い表情で、 あんな殺し文句をぶつけられたら…… 降参するしかないだろう。
「ごめん、 調子に乗ってフザけすぎた。 なんか可愛かったからイジメたくなっちゃったんだよ…… でも、 本当だよ、 いつも凛が真っ直ぐ俺のところに走って来てくれるから、 凛の気持ちを信じていられるんだ」
雨の日の赤い傘、 『奏多』と名前を呼んだ君、 浴衣姿で舞い降りた天女……。
いつだって鮮明に思い出せる、 君がくれたこと全部。 だからもう疑わないし、 揺るがない。
「そりゃあさ、 灯里のこととかその後の騒動で、 凛と付き合うっていうのがどんなに大変なことかを改めて実感したし、 ビビらなかったと言えばウソになるよ」
凛がガバッと顔を上げた。
奏多は、 不安げに揺れた瞳を真っ直ぐ見つめて微笑んでみせた。
「だけどさ、 それでも離れたくないし離したくないんだ。 だったらもう、 丸ごと受け入れて進むしかないよね。 止められないんだから」
凛をなだめるように、 右手をのばして長い髪をそっと撫でる。
凛にようやく安堵の表情が戻ったのを見届けて、 奏多はそのまま言葉を続ける。
「誰かを本気で好きになったらさ、 ヤキモチ妬いてジリジリするのは当然なんだよ。 こういう気持ちも含めて恋なんだろ? ジリジリしなかったら嘘なんだよ…… 」
髪を撫でていた手を肩に置き、 グッと力を込めた。
「だから俺は、 こういう気持ちを持てて嬉しいんだ。 凛に対してヤキモキする気持ちも丸ごと受け入れて、 2人の時間を楽しもうと思うんだ。 いいだろ? そうしても」
凛が黙ったまま、 コクリと頷いた。
「よしっ……それじゃ、 帰ろうか」
最後にもう一度ニカッと笑って立ち上がると、 それに釣られるように凛も立ち上がった。
奏多が出口に向かって数歩進んだところで、 あれっ? と振り向いた。 凛が立ち止まったまま動かない。
「凛? 大丈夫? 」
「…………。 」
凛はおもむろに奏多とは反対方向に歩き出すと、 窓をピシャッと閉めて振り返った。
「…… 凛? 」
「奏多、 こっちに来て」
「えっ? 」
「早く! 」
手招きされるままに歩み寄ると、 凛がカーテンをシャッと引いて、 その内側に2人の姿を隠した。
「凛? 」
「ご褒美……。 感動したから」
「えっ、 いいの? 神聖な学び舎で」
内心ドキドキしながらふざけたように言ってみたら、 「ここだけ治外法権ね」
と上目遣いで言われてタガがはずれた。
力の限り強く抱きしめて、 凛の髪に指を絡めた。
やけにドクドク響くお互いの心臓の音を聞きながら身体をそっと離すと、 今度はゆっくり顔を近付けていく。
あの日の図書館と同じ、 オレンジ色の淡い光の中、 今は自分のモノなのだと心を震わせながら、 彼女の薄い唇に口づけた。
顔を離し、 凛の肩を抱いて2人で窓の外を見ると、 部活動を終えた生徒たちが片付けを始めていた。
「治外法権…… サイコーだな。 これからはマイカーテン持ち歩こうかな」
「もう、 バカっ! 」
逆光でキラキラしている窓の景色も、 光の中で粉雪のようにチラチラ舞う埃も、 その中で口づけたことも……
凛がくれたこと全部、 写真に写る景色よりも鮮明に記憶に刻んで、 これから自分は何度も何度も思い返していくのだろう……と奏多は思った。