4、 放課後の教室 (前編)
午後5時過ぎの教室は、 日没前の淡いオレンジ色が窓から射し込んで、 ふんわりと柔らかい空気を纏っている。
窓の外から聞こえる部活の掛け声をBGMに、 机に伏せてウトウトしていたら、 頭に触れる暖かい感触で目が覚めた。
ゆっくりゆっくり髪を撫でるその温もりは、 幼い子供の頃に母親にされたそれと似ていて……。
あまりにも心地よくて、 目を閉じたまま身を任せていたら、 今度は細い指が顔の輪郭をなぞり、 唇を撫で、 最後に……
「こらっ! タヌキ寝入り! 」
ほっぺをギュッとつままれて、 奏多は「イテっ!」と短く声を発して起き上がった。
顔を上げると目の前には、 前の席に座ってこちらの机に両肘をついている凛の顔があった。
「お帰り……。 どうしてバレたの? すぐに気付いた? 」
「ただいま……。 ふふっ、 髪を撫でてたら肩がピクッてしたと思ったら、 次に顔がニヤけたから」
「うわっ、 ニヤけてた? 俺」
「うん。 唇の端が上がってた」
「ハハッ、 凛の手の感触が気持ちよくて、 起きるのが勿体なくてさ…… 」
開いたままの窓から、 秋の気配を含んだ涼しい風が入り込み、 カーテンを微かに揺らしている。
「凛の言うとおりだったよ。 この席、 風通しが良くて気持ちよかった」
「そうでしょ、 窓際って快適よ。開放的で眺めもいいし」
奏多が窓の外に目を向けると、 校庭でボールを追っているサッカー部員の姿が見えた。
「俺も去年の今頃は窓際の特等席だったんだけどな…… 隣が凛で…… 楽しかったな」
「うん…… 楽しかった」
視線を凛に戻すと、 彼女はまだ窓の外を眺めていた。
ーー ああ、 あの日もこんな感じだったな。
去年、 初めて図書館で待ち合わせたあの日も、 今みたいに西日が差し込んで、 凛の顔半分をオレンジ色に染めていた。
朧げな光の中に見えた艶やかな睫毛も、 キリッと引き締まった唇も、 あの頃はまだ、 見惚れているのが精一杯で、 手に触れることも出来なくて……。
ーー あの時はまだ、『俺の』じゃなかった。
ゆっくり右手を伸ばして、 凛の髪を優しくかきあげた。
そのまま頬に触れると、 彼女は次に起こることを予想して、
「ダメっ! ここは教室だから! 」
先手を打って、 肩をグイッと押された。
「ちぇっ、 誰も見てないのに」
「見てなくてもダメなの! ここは神聖なる学び舎なんだからね」
「待ってたご褒美が貰えると思ったのに」
「だから頭を撫でてあげたでしょ」
「はいはい、 それじゃ帰ろうか」
奏多が苦笑しながら立ち上がろうとすると、 凛がその手を引いて、 座るよう促した。
「えっ、 何? どうしたの? 」
「ちょっと話があるの」
「なに、 改まって話って。 なんか怖いんだけど」
凛が目を伏せて言い淀んでいるのを見ると、 悪い予感しかしない。
「奏多…… 怒らない? 」
「いや、 話を聞く前に怒るかどうかを決めろと言われても」
「う〜ん…… 」
「いいから、 とりあえず言ってみなよ。 凛が突拍子もない事を言い出すのは慣れてるし、 別れ話以外なら大抵受け入れられると思うよ、 俺」
凛は上目遣いにチロッと奏多を見てから、 背筋を伸ばし、 両手を膝の上に置いて覚悟を決めたように口を開いた。
「来月の文化祭で、 演劇部の舞台に出ます」
「はあ? 」
「主役のコーディリアになります」
「えっ、 ええええっ?! 」
勢いよく立ち上がったら、 椅子がガタンと後ろの机にぶつかった。
「どういうこと?!! 」