3、君がヒロインだ (後編)
「えっ、 コーディリア? 私が?! 」
凛が脚本をパサリとテーブルに置いて、 首をブンブン横に振った。
「そんなの無理に決まってるじゃないですか! 第一、 私は演劇部の部員じゃないですし」
「その演劇部の部員じゃダメだから言ってるの。 それにね、 この作品は、 元々葉山くんが小桜さんをイメージして書いたものなのよ。 だから、 ヒロインのセリフも行動も、 あなたそのものなの。 ねっ、 考えてみてくれない? 」
「ダメだよ、 根本」
机に置かれた脚本をパシッと閉じ、 その上に右手をついて樹が言った。
「無理強いはするなって言ったよね」
「無理強いはしてない。 お願いしてるだけ」
根本を見下ろす樹の目は厳しいものだったが、 それを睨み返す根本の目も、 真剣そのものだった。
「葉山くんは小桜さんに気をつかって何も言えないんでしょ。 だったら私が言うしかないじゃない」
根本は再び顔を凛に向け、 胸の前で祈りを捧げるように懇願する。
「私たちは、 半年以上前から準備してたの。 葉山くんが書いて、 それを私が推敲、 校正して、 それをまた葉山くんが直して……。何度もセリフを書き直して、 構成を練り直して、 やっと出来上がった脚本なの! これを無駄にしたくないのよ! 」
滝高の3年生は、 受験に備えるため、 3年生になってすぐか、 もしくは遅くとも夏休み前には部活を引退するのが通例になっている。
演劇部も例に漏れず3年生が引退したのだが、 残った2年生の部員はほとんどが裏方志望で、 1年生は樹目当てで入ったミーハーが大半だった。
真面目に演劇をしたいと仮入部した生徒は、 ミーハー軍団の勢いに圧倒されて去っていき、 そのミーハー部員も、 樹が今年は生徒会で忙しくて脚本専門であると知ると、 潮が引くように去っていった。
「そういうわけで、 今の我が部は圧倒的に部員不足、 実力不足なのよ。 そして唯一華がある葉山くんは絶対に裏方しかやりたくないって言うし…… だったらどこかから華を持ってくるしかないじゃない! ねえ、 小桜さんも、 そう思わない? 」
「ええ、 まあ…… 」
演劇部の窮状は理解出来ても、 それとこれとは話が別だ。
「だけど、 私では…… 」
「小桜さんじゃなきゃダメなのよ! あなたは私たちがイメージしてるコーディリア象そのもので、 しかも華がある! 」
「買いかぶりすぎですよ」
「あのね、 あなたも知ってる通り、 今年の学園祭は初めての一般公開で、 先生方も注目しているの。 この結果によって、 来年からの流れも変わっちゃうの。 葉山くんの生徒会長としての手腕も、 脚本家としての才能も問われちゃうのよ! 」
黙り込んだ凛を見かねて、 樹がテーブルの前にしゃがみこみ、 凛の顔を覗きこんだ。
ふんわりと優しい王子さまスマイルで見上げると、
「小桜さん、 君は何も気にしなくていいんだよ。 君をイメージして書いたのは、 その方が僕の筆が進むから勝手にやっただけのことだ。 学園祭の舞台に立ってもらうという案も、 僕の勝手な希望だ。 君を知って、 君が注目されるのを嫌うというのが分かった時点で、 僕の中ではその案もとっくに消えたんだ。 だからもう、 大丈夫。 忘れて」
それだけ言って立ち上がると、 パイプ椅子を折り畳んで撤収の準備に入った。
「私で…… 大丈夫なんでしょうか」
「「えっ? 」」
樹が椅子を畳む手を止め、 根本が凛の横顔を凝視した。
「演技のシロウトでも、 舞台に上がっていいんでしょうか? 」
「だから、 君は何も気にしないで…… 」
「私も生徒会役員の1人です。 先輩方の努力を見てきたし、 絶対に学園祭を成功させたいという想いは私も同じです。 だから…… 」
「いいの? いいのねっ! コーディリアをやってくれるのね?! 」
凛の両手をギュッと握って根本が念押しする。
凛がこっくり頷くと、 根本が歓喜の声をあげ、 樹が手にした椅子を置き、 凛の前に歩み寄った。
「本当に、 いいの? 」
「はい、 よろしくお願いします」
「…… 分かった」
樹が目を細め、 ニコッと口角を上げた。
「小桜さん、 君がヒロインだ」
樹が差し出した右手を凛が握り返し、 しっかりと握手を交わした。