1、 本当の恋人
午前7時48分発の電車に乗って2駅。 2号車のロングシートに座って待っていると、 人の波に混じって彼女が乗り込んで来るのが見えた。
彼女は足元に向けていた目線をついと上げて周囲をキョロキョロと見渡し始める。
彼女が探しているのは…… 止まった視線の先にいるのは…… もちろん俺。
奏多はそう思っただけで胸が高鳴り、 頬が熱くなるのを感じた。
席から見上げている奏多と目が合った途端、 凛が花開くようにパアッと笑顔を浮かべ、 乗客の間を縫って歩いてきた。
奏多が立ち上がって凛に席を譲ると、 「ありがとう」と言って席に座る。
吊り革をつかんで立つ奏多と見上げる凛。
数秒の間があってから、 同時に「おはよう」と言って、 同時にクスッと笑った。
この数秒の間は、 2人の照れと感慨に浸る時間。
そう、 今日は隠すことも後ろめたいこともない『本当の恋人』として一緒に登校する初めての日。
探偵が尾行するように離れて歩いていた日々を思い出して、 つい感慨深くなるのも当然だろう。
「昨日はよく眠れた? 」
「うん…… まあまあかな。 奏多は? 」
「俺も…… まあまあかな」
「そっか」
「…… ごめん、 嘘。 実は緊張してあまり寝れなかった。 今朝もいつもより早く目が覚めたし」
「実は私も」
「そっか…… ハハハッ」
「ふふっ。 なんで嘘ついちゃったんだろうね」
昨日、 都子たちに教えてもらった『堂々と付き合ったらやる事リスト』にあった、『一緒に登下校』を早速開始してみたのだが、 思いのほか照れるし、 人目も気になるということが分かった。
今までは周囲の目を気にしてコソコソしてたので、 どちらかというと隠すことにばかり意識が集中していた。
だけどいざ、 同じ学校の生徒も多くいる車両で堂々と向かい合ってみると、 みんなから聞き耳を立てられているようで、 意識しすぎて上手く言葉が出てこない。
「ねえ、 奏多、 右手を貸して」
急に言われて不審に思いながらも片手を差し出すと、 凛がその手を取って、 手のひらを人差し指でなぞり始めた。
「ふっ……凛、 くすぐったいんだけど…… 何やってるの? 」
「『人』って書いてるの。 3回書いて飲み込めば緊張しないんでしょ? 」
ーー ああ、 そうか……。
『人という字を3回書いて飲み込めば緊張しない』なんて迷信を信じてはいないけれど、 顔が強張っていた奏多のために、 少しでも緊張をほぐそうとしくれた凛の気持ちが心にしみた。
「ありがとう。 なんだかリラックス出来た気がする」
「本当? 」
「うん、本当だよ。 ありがとう」
それを聞いて、 凛が安心したように目を細める。
ーー 彼女に心配させてちゃ彼氏失格だな。いい加減、 周囲を気にするクセを辞めないと……。
「ねえ凛、 来週の火曜日って何の日か覚えてる? 」
「えっ、 何? 」
「9月10日は『持ち物検査記念日』です」
「ええっ、 何? それ! 」
思わずあげた大声に、 周囲の注目が集まった。
「(ごめん…… 『持ち物検査』って、 あの…… ハニワ君の?) 」
凛が周囲をキョロキョロ見て、 今度は声を潜めてコソッと話した。
「そうだよ。 持ち物検査があったあの日は月曜日だったけど、 今年の10日は火曜日。 僕たちの思い出の日だからお祝いしたいんだけど、 その前の週末って時間あるかな? 」
「それって、 『外デート』ってこと? 」
「うん、 もしも凛が良ければ」
「喜んで! 」
またもや凛の大声に、 周囲の乗客がビクッと反応した。
「ごめんなさい……私、 はしゃぎ過ぎてるね」
「いや、 大丈夫。 俺もはしゃいでるから」
「そっか…… そういう風には見えなかった」
「いや、 めちゃくちゃテンション上がってるけど、 必死でそれを抑えてるとこ」
「ふふっ、 そうなんだ」
「そうなんだよ…… っていうか、 『人目を気にせず外デート』が実現したらさ、 都子が作ってくれたリストの2つ目がクリア出来ちゃうよ」
「えっ、 もう? 凄い! ……って、 ごめんなさい、 私また1人ではしゃいでるね」
「いや、 だから、 俺もはしゃいでるって! 」
目の前でクスクス笑っている凛を見ていると、 なんとも言えない幸福感に包まれて、 胸のあたりがくすぐったくなった。
いろんなしがらみから解放されたからか、 今日の凛は少女のようにはしゃいでいて、 いつもより幼く感じる。
それがまた新鮮で、 可愛らしく思えるのだ。
ーー どれだけ見てても飽きないな……。
そんなことを考えてぼ〜っとしていたら、 凛に白シャツをツンツン引かれて我にかえった。
「もうすぐ着くよ」
「あっ、 うん」
ーー もっと遠くてもいいのに。
凛の最寄り駅から学校の最寄り駅まで急行で2駅7分。各駅停車を使っても4駅12分ほどの短い時間が、 今日からは楽しみな時間に変わった。