37、 花火 (2)
紺地に黒の滝縞の浴衣を着た奏多と、 白地に流水文様と菖蒲柄の浴衣の凛、 2人で一緒に立っていると、 どこからどう見ても、 今から花火デートのカップルだ。
ーー 幻じゃ……ないんだよな。
奏多は目の前で自分に縋り付くようにして立っている浴衣美人を見下ろして惚けていた。
足元がフワフワと浮き立っているのは、 電車に揺られているせいだけではないだろう。
観音駅のホームで、 いつものように凛を置いて隣の車両の列に並ぼうとしたら、浴衣の袖をグイッと引かれて止められた。
「奏多、 どうしてそっちに行くの? 」
「だっていつもそうして…… !!!」
「そうか…… もう一緒に並んで立っても…… 」
頬をほんのり染めてコクンと頷く仕草が可愛くて、 胸がギュンとなった。
「そっか…… そうなんだよな」
「そうなんですよ、 お隣にどうぞ」
「おっ、 おう…… 」
揃って電車に乗り込むと、 既にもうかなりの乗客が立っていて、 駅で止まるたびにその数がどんどん増えていく。
混雑した車内で凛をかばうように、 いわゆる『壁ドン』状態で向かい合う。
「凛、 キツくない? 大丈夫? 」
「うん、 奏多こそ大丈夫? 」
上目遣いで心配そうに見上げた表情がなんとも色っぽい。
なんだかいつもと違うと思ったら、 艶やかな赤色に彩られた唇のせいだと気付いた。
ーー よくぞ頑張った、 俺! 耐えた甲斐があった!
天女が舞い降りてきただけでも奇跡なのに、 花火デートのオマケ付きとは、 神様は夏休み最後にとんでもないプレゼントをくれたものだ。
そう、 コレはどう考えても神様からのご褒美に違いない。
7月の第3週から今日まで、 凛の両親との約束を律儀に守って会わなかったことが、 今日やっと報われたのだ…。
ガタンと揺れた電車と人波に押されて、 奏多と凛が更に密着状態になった。
必然的に凛の顔が自分の胸に押し当てられる形になる。
目の前にあるのは、 アップにした髪の下にのぞく白いうなじ。
もたれかかる凛の髪にそっと顔を寄せたら、 懐かしい甘いフローラルの香りがした。
心拍数がマックスだ……。
「奏多、 ごめんなさい」
「えっ、 何が? 」
「今の揺れで奏多の浴衣に口紅がついちゃった」
ーー くっ、 口紅! 凛の?!
そっと自分の胸元を見下ろすと、 確かに襟の合わせの辺りに、 花びらのような赤い染み。
「どっ、 どうぞ、 喜んで! 」
「ふふっ…… 喜んでって…… ハハハッ」
凛の笑い声で車内の注目を浴びたけど、 今はそんなのはどうでも良くて…… それよりも問題なのは……。
もう、 心拍数がマックス越えだよ!
ーー 今からこんなで、 俺の心臓、 帰りまで保つのか? てか、 絶対に凛に心臓の音聞こえてるじゃん!
今日だけで一生分の運を使い切ってしまったんじゃないかと、 冗談抜きで恐ろしい。
だけど、 たとえ神様からの罰が当たろうとも、 明日から不運続きになろうとも、 今日のこのデートを譲る気はない。断じて!
『みなと花火大会』は、 毎年8月の終わりに港湾で開催される、 地元で有名な花火大会で、 3000発以上打ち上げられるスターマインや大玉を見ようと、 大勢の観客が押し寄せる。
奏多と凛が電車を降りると、 既に駅は大勢の人でごった返していた。
「俺から離れないでね」
「はい」
しっかり手を握ってはいるが、 お互いの顔をゆっくり見る余裕もないほどの混雑ぶりだ。
道を調べなくても、 人の流れに押されて自然に花火会場へと近づいていく。
周りの景色も見えない状態で、 前の人の背中を見ながらノロノロ歩いていくと、 突然人垣がバラけて視界が開けた。
やっと駅からの道を抜けて、 会場近くの広場に到着したのだ。
「やった〜! やっと着いたよ」
「花火はここで見れるの? 」
凛が辺りをキョロキョロ見渡しながら不思議そうな顔をしている。
「花火はもうちょっと先の埠頭寄りのところ。 まだ花火までは時間があるから、 屋台を見て廻ろうよ」
立ち並ぶ屋台を指差してそう言うと、 凛は顔をパアッと明るくして奏多を見上げた。
「凄いっ! 私、 こういうのって小学校以来! 」
「えっ! ずっと来てなかったの? 」
「うん。 小さい頃お母さんやお祖母ちゃんと何度か花火大会やお祭りに行ったのと、 あとは小3の時、 杏奈ちゃんのお母さんが杏奈ちゃんと一緒に夏祭りに連れて来てくれたのが最後」
「…… そうか」
小4からは勉強ばかりでそれどころでは無かったのだろう。
それに…… こういう場所に来て一緒にはしゃぐような友達もいなかったのだ。
屋台を見てキラキラと目を輝かせている凛を見て、 なんだか胸が締め付けられた。
ーー 俺が、 全力で楽しませるんだ。
小4からずっと止まっていた凛の少女時代を自分が取り戻す。
彼女がやりたかった事、 出来なかった事を、 全部俺が与えてあげたい、 叶えたい……。
「よしっ、 凛が見たいお店を片っ端から廻るぞっ! 」
「きゃっ! 」
奏多は恋人つなぎにした手をグイッと引っ張ると、 一番手前の屋台に向かって歩き出した。