34、 陽だまりの君に (後編)
「凛と奏多くんとの付き合いを認めようと思う」
それは凛と奏多がずっとずっと聞きたかった言葉……。
だけど実際にそう言われると、 まずは驚きの方が大きくて、 一瞬ポカンとしてしまう。
そして後からじわじわと追いかけてきたのは、 大きな喜びと感動。
「…… 嘘っ! 本当?! 」
「ハハハッ、 嘘じゃないよ」
「本当……なんだ…… 」
「ああ、 1ヶ月以上よく耐えたね。 彼と会うのも今日から解禁だ」
ーー 本当に……やっと……。
「奏多に教えてもいい? 」
「凛、 ちょっと待ちなさい」
「えっ? 」
部屋に置いてきた携帯電話を取りに行こうと、 腰を浮かせたところで呼び止められた。
尊人がさっきまでの笑顔を消して真剣な表情になっている。
「凛、 お前は今日から自由だ」
「…… はい」
「恋愛をしてもいいし、 将来の進路も自分の好きなようにしていい」
「……えっ」
「お父さんやお母さんのためにではなく、 自分がどうしたいか、 何になりたいのか、 一度じっくり考えてみなさい」
「それって、 どういう…… 」
「そのままの意味だよ。 医師という職業だけにとらわれず、 他の選択肢も含めて『自分の可能性』を広い視野で見てごらん…… って、 こんな風にもっと早く言ってあげれば良かったね」
ーー 他の選択肢…… 。
そんな事は考えてもみなかった。
母から言われて以来、 医師になるのが自分の当然の義務だと思ってきた。
『親がどう思っているか』、『どうしたら親が喜ぶか』を優先順位の一番上にしてきた。
だけど…… 自分で選ぶという道もあるんだ……。
凛は尊人を見つめて黙って頷いた。
「よし、 これで凛は晴れて自由の身だ…… だけど、 いいかい? 自由の意味を履き違えちゃいけないよ。 自由には自己責任も伴うということを忘れないように」
「はい」
「塾のある日以外は門限を9時とする。 だけど基本的には夕食は家で食べるように。 どこかに出掛ける時、 帰りが遅くなる時は必ず家に連絡を入れること」
「はい」
「あと、 これが一番重要だ。 親に絶対に嘘をつかないこと、 私たちからの信用を失うようなことをしないこと」
「……はい、 分かりました」
目を合わせたまま深く頷いた。
尊人はそれをみてニッコリ微笑むと、 テーブルの上に小さめの白い紙袋を置いた。
「プレゼントだ。 見てごらん」
凛が紙袋の中から長方形の箱を取り出す。
蓋を開けて見ると、 そこには美しいゴールドのスマートフォン。
「……えっ? これ…… 」
「大和に叱られたよ。 今どきガラケーなんて有り得ない…… ってね」
尊人と駅で別れる時、 改札で振り返った大和が大声で言ったのだ。
『そうだ、 父さん、 イマドキの女子高生が一番喜ぶプレゼントを教えてあげるよ! 』
凛は新品のスマートフォンを手に取り、 大事そうに胸にあてた。
「お義父さん、 ありがとう……大切にします」
尊人は娘のそんな姿を見て目を細めると、 後ろに立って見守っていた愛を振り返った。
「それじゃあ、 あとは任せてもいいかな? 」
「ええ…… 凛、 準備するからいらっしゃい」
「えっ? 」
愛に付いて夫婦の寝室に行くと、 ベッドの上に広げられた浴衣が目に入ってきた。
「はい、 ここに立って」
クローゼットの開き戸に備え付けられた鏡の前に立たされると、 テキパキと動く愛の手によって瞬く間に髪がまとめられ、 浴衣が着付けられていく。
「お母さん、 これって…… 」
「8月に入ってすぐに買っておいたのよ。 夏のデートといえば浴衣が必需品でしょ」
「お母さん…… 」
「はい、 完成! 」
愛にポンと肩を叩かれて改めて鏡を見れば、 そこには艶やかな浴衣美人が映っていた。
白地に銀糸の流水文様、そこに川を流れるように散りばめられた紺と赤紫の菖蒲が映えて、 凛の上品さに大人っぽさを加えている。
「凛…… ごめんなさいね。 お母さん、 自分の望みをあなたに押し付けて、 肝心な凛の気持ちを無視してた…… 自分勝手でごめんね」
声を震わせてそう言った愛の手に自分の手を乗せて、 凛は黙って首を横に振った。
愛は人差し指で目元を拭うと、 「さあ、 あとは最後の仕上げね」と言って、 赤い口紅を取り出した。
赤く染まった唇は、 凛の白い肌色に引き立っていた。
「さあ、 もうあちらには連絡してあるから、 行ってらっしゃい! 」
トンと背中を押されて足を踏み出す。
その瞬間、 もう気持ちは愛しい人へと向かっていた。
ーー 奏多に会える……。
奏多は私にとっても暖かい陽だまりだ。 頬を優しく撫でる春風だ。
縁側の陽だまりでまどろみ、 柔らかな風にサワサワと揺られて心地よく目を閉じる……
そんな幸福な時間を、 奏多はいつも与えてくれる。
だからこそ、 会えない日々は、 とても長くて寂しくて……
1日ごとに、 愛しい気持ちがまた募っていくのだ。
凛は前を向いて足を速める。
待っててね……
私は今すぐ、 あなたの元に走って行くから。
いつもの笑顔で待っててね。
陽だまりのような君に、 今すぐ会いに行くから……