33、 陽だまりの君に(前編)
奏多との電話を終えて部屋で勉強していた凛を、 階下から愛が呼んだ。
「凛、 ちょっと下に来てちょうだい」
何かあったかな? と思いながら1階に下りて行くと、 ダイニングルームで尊人がコーヒーを飲みながらメロンパンを食べていた。
「お帰りなさい。 患者さんは大丈夫だった? 」
「ああ、 術後の経過もいいし週明けには一般病棟に移れると思うよ。 このメロンパン、 凛がお母さんと一緒に作ったんだって? 美味しく出来てるよ」
「良かった。 冷凍庫にまだ沢山あるからね」
小桜家では、 最近こうやって家族で世間話をする機会が増えてきている。
それは凛が積極的に会話するように心掛けているせいもあるけれど、 尊人の方もそういう時間を作るよう努力しているフシがある。
以前なら夕食をとると自分の書斎に籠って医療雑誌を読んだり学会の準備をすることが多かったのが、 あの会談後は、 夕食後もそのまま残り、 お茶を飲みながらしばらく過ごすようになった。
今日は朝から手術後の患者さんの容態を見に行くと言って出掛けたのだが、 どうやらそのまま居残りコースにはならずに済んだようだ。
「…… 凛、 ちょっと座りなさい」
1人でぼ〜っと思いを巡らせていたところに名前を呼ばれて、 凛はハッとした。
ーー もしかして?!
いや、 まだ油断はできない。
凛は期待が顔に出ないよう気をつけながら、 ゆっくり向かい側のダイニングチェアに座った。
「今、 お母さんにも話していたんだけどね」
「はい」
思わず背筋が伸びる。
「実は今日、 大和と会ってきたんだよ」
「………… はい? 」
奏多とのことかと思ったら大和の名前が出てきて拍子抜けする。
だけどその直後に、 別の意味での緊張が襲ってきた。 そう言えば、 大和と会ってたことは言ってなかった……。
「大和がね、 凛と奏多くんは馬鹿ップルだと言ってたよ」
ーー大和め! 今度会ったらお説教!
「2人でいるとイチャイチャしてるそうだね」
ーー お説教じゃなくて絶交! もう絶対に絶交!
尊人はしかめっ面をしている凛を見てクスッと笑いながら、 もったいぶるようにゆっくり言った。
「それから……凛は恩人だと言っていた。 そして、 奏多くんはとてもいいヤツで…… まるで陽だまりのようだ……と」
「奏多が……陽だまり?…… 」
『陽だまり』……それは、 今日の別れ際に大和が言った言葉だった。
***
「今日、 どうしようか凄く迷ってたんだけど、 やっぱり思いきって来て良かったよ。 あなたとこんな風に話せるとは思ってなかったし」
「もう『あなた』に戻したのか? さっきは『父さん』って呼んでくれたのに」
「まだ慣れないから…… 徐々にってことで」
なんだか照れ臭くて、 お互いの目を合わせることが出来ないでいる。
「自分には父親との思い出なんて無いと思ってたし、 今日これっきりにした方が逆にスッキリすると思ってたんだけど…… あの自分の写真を見て、 なんでか懐かしい気がしたんだ。
その時の記憶は無いのに、 あなたが俺を必死であやしている姿が目に浮かんできて、 ああ、 それなりにちゃんと親子の時間があったんだな…… って、 初めて思えた」
覚えていなくても、 写真の中の笑顔はまさしく父からの愛情の証で……大好きなオレンジジュースは、 父親との思い出の味で……。
「あなたが俺たちを捨てて出て行ったって事実は消えないし、 普通の親子になれるかどうかは分からないけど…… 人を好きになったら抑えられないっていう、 そういう気持ちはなんとなく分かる気がするんだ。
それもさ、 やっぱりあの2人や樹先輩を見てからなんだよね。 誰かを好きになって、 みっともないくらい必死に気持ちをぶつけて…… あそこまで一生懸命になれるって、 凄いなって思うんだよ。
カッコ悪いのに、 なんか羨ましいって思うんだよ。
だから、 誰かを好きになって心が動いちゃう時ってあるんだろうな…… 本気で好きになったらどうしようもないんだろうなって……今はそう思えるんだ。
そして、 そんな風に思える自分が嫌いじゃないんだ」
尊敬できる先輩と、 飾らず本音を言える人達が出来たことで、 心にゆとりが出来たのかも知れない…… と大和は笑う。
「父さん…… 百田家ってね、 とても居心地がいいんだよ。暖かい陽だまりにいるようで、 このままここにいたいと思ってしまうんだ。
……いや、 違うかな…… 家というよりは、 百田先輩だな。 あの人が陽だまりみたいなんだよ。
彼がヘラヘラ笑ってるだろ。 そうすると、 まわりに人が自然と集まってきて、 その人たちもニコニコ笑いだすんだよ。
みんな優しい笑顔になって、 俺も、 その輪の中に加わりたいな……って思うんだ。
で、 実際そこに行ってみるとさ、 心の奥の方がポカポカしてきて、なんだか自分も優しくなれる気がするんだよ…… 」
***
「奏多くんは不思議な子だね。 ただの真面目そうな男の子なのに、 いつのまにか凛だけじゃなく大和まで手懐けてたよ」
「手懐けるなんてヒドイ! 私は猛獣じゃないし」
「ハハハッ…… それでね、 凛」
尊人の表情が真剣なものに変わったのを見て、 凛は思わず姿勢を正した。
「凛と奏多くんとの付き合いを認めようと思う」
それは、 奏多と凛がずっとずっと待ちわびていた言葉……。
凛は両手で口元を覆って、 放心状態で尊人を見つめていた。