31、 父と息子 (3)
「それで、 百田先輩はとにかくお人好しなんですよ。たぶん、 大事な受験の日でも、 目の前に困っている人がいたら手を貸して遅刻しちゃうタイプですね」
「それは凛の相手としてはちょっと困るな。 上に行くにはある程度の要領の良さが必要だ」
「いや、 だけど、 あの天然人たらしキャラは凄い武器ですよ! みんなに好かれてヒョイヒョイと上に行っちゃうかも知れない」
「ハハハッ、 奏多くんは人たらしなんだね」
「だって、 僕がメガネ呼びすると怒りながらもちゃんと返事してくるって、 どれだけ懐が深いっていう……。 あと、 凛さんに至っては僕のメガネ呼びを普通に受け入れてるし、 変なカップルなんです」
ーー この子は、 自分で気付いているのかな?
奏多の悪口を言っているようで、 その実、全部が彼の『いいヤツ』エピソードになっているということを。
そして、 それを語る大和自分が、 嬉しくてたまらないという顔をしているということを……。
ーー そんな大和をニコニコ見ている自分も、 傍から見たら、 ただの親バカに見えているんだろうな……。
運ばれてきた食後のコーヒーに手をつけもせず、 じっと話に聞き入りながら、 尊人はそう思った。
伝説の生徒会立候補演説、 樹と奏多の凛をめぐる争い、 叶恵の誕生会と仲間たち……。
大和は、 まるで水を得た魚のように生き生きと語り続けている。
目の前のコーヒーがすっかり冷めているのに気付き、 尊人は新しいものに取り替えてもらおうとウエイターを探した。
「大和もコーヒーで良かったかな? デザートも追加するかい? 」
「いえ、 僕は…… 」
なぜか大和の表情が硬くなっているのに気付き、 尊人は怪訝な顔をした。
さっきまであんなに饒舌だったのに、 楽しそうに笑っていたのに…… 何故?
すると、 大和が居住まいを正して真っ直ぐに尊人を見た。
「今日は…… 時間を作って下さってありがとうございました。 勇気を出して会いにきて良かった」
「ああ、 良ければこれからはもっと頻繁に、 こうして…… 」
「いいえ」
ーー えっ?!
「今日わざわざお呼び立てしたのは、 ちゃんとケジメをつけたいと思ったからです。…… 今までどうもありがとうございました。 だけど、 こうやって会うのは今日を最後にして下さい」
「えっ?…… どういう…… 」
今日が今までで一番近付けたと思ったら、 今まで以上に突き放された。
混乱する頭で、 かろうじて言葉を振り絞る。
「どうしてだい? さっきまであんなに楽しく話してたじゃないか」
「最後くらい親子らしい話をしてみてもいいかって思ったんですよ。 話してみたら…… 思ってたよりも楽しくて驚きましたけど……ちょっと調子に乗って話し過ぎちゃいましたね」
「いや、 いいんだよ! もっと話を聞かせて欲しい。 これが最後だなんて言わずに…… 」
大和は長い睫毛を伏せて小さく息を吐いてから、 一気に言った。
「ねえ、 あなたはどうして離婚してからもこうやって僕に会いに来るんですか?
僕はもう大きくなったし、 あなたももう十分責任を果たしたと思うから…… 無理して時間を作る必要はないと思うんだ」
「だから…… もう罪悪感とか持たないで、 自由になって下さい」
言い終わると同時に頭を下げて、 尊人の返事を待っている。
尊人は自分の馬鹿さ加減に呆れ、 自分で自分を殴りつけたくなった。
今日の大和の目的は、 この話をしに…… 父親との別れのために来ていたんだ。
笑顔の会話は、 彼から父親への最後のプレゼントだった……。
「凛さんに言われました。 憎いとか嫌いとか、 父親に言いたいことがあったらちゃんと言えって。 それで改めて考えてみて驚きました。 僕には憎いとか以前に、 父親への思慕みたいなものさえ無いってことに気付いたんです。…… いくら考えてみても、 僕にはそういう感情が無かったんだ」
物心つく前に去っていった父とは親子としての交流が殆ど無かった。
あったのは、 『親子の時間』という名の食事会のみ。
「凛さんも家庭のことで悩んでるって知って、 それはもしかしたら、 僕のせいでもあるのかなって思いました。 名ばかりの息子の僕がいるから、 あなたの気持ちに迷いがあるんじゃないか、 両方の子供に気を遣って中途半端になってるんじゃないかな……って」
そう言われて尊人は愕然とした。
自分が息子との交流の場だと思っていた食事会が、 大和にとってはただの義務で意味のないものだった。
そして、 父親が抱いていた両方の子供への遠慮と罪悪感、 そのためどちらにも舵を振りきれず中途半端な愛情表現しか出来ずにいたことまで見抜かれていた……。
「何を言ってるんだ、 大和……。 私は、君に会いたいからここに来てるに決まってるじゃないか」
「いいんですよ、 忙しい合間を縫って今日ここまで会いに来てくれた。 それだけで、 もう十分です。 これ以上無駄な時間を費やすのはやめましょう」
「無駄なはず無いだろう! 」
尊人の大きな声が響き渡り、 週末のランチタイムで混雑している店内の注目を一身に集めた。
「ここじゃ迷惑になる、 出よう」
「いや、 僕はもうこれで…… 」
「いいから、 来るんだ」
尊人はさっさと会計を済ませると、戸惑っている大和の手首を掴んで歩き出した。
それは大和が生まれて初めて見る、 父親の必死の形相だった。