28、 それぞれの夏休み (後編)
奏多がシャワーを浴びて着替えていると、 洗面台に置かれたスマートフォンが鳴り出した。
着信音を聞いて、 すぐにバッ! と掴んで耳に当てた。
「もしもし、 凛? 」
肩からバスタオルを掛けて、 濡れた髪のまま自分の部屋に駆け込む。
『ごめんね、 今、 忙しかった? 』
「ううん、 大丈夫。 今シャワーを浴びて出てきたとこだった」
『シャワー? 昨日から一馬くん達が来てるんでしょ? 』
「うん、 昨日から泊まり。 今日は午前中から一緒にプールに行って、 さっき帰ってきた。 まだカルキ臭い気がしたからシャワーを浴びてたんだ」
『プールは大丈夫なんだ? 』
「うん、 澄んだ水で足元が見えてて波が無ければね。 それよりも…… 凛は元気だった? お義父さんはまだ…… 何も言ってこない? 」
『うん…… 特には』
奏多は肩をがっくり落としてベッドに座り込んだ。
「凛のメロンパン…… 食べたかったな」
『うん、 私も奏多に食べて欲しかった』
「会いたいな…… 」
『うん…… 会いたいね』
最近は『会いたい』が電話をした時の合言葉のようになっている。
言ってもどうしようもないのは分かっているけれど、 つい口をついて出てしまうのは仕方がない。
『昨日ね、 塾で大和くんに会ったよ』
「えっ、 同じ塾だったの?」
『そうだったみたい。 普段は中学と高校で時間帯も違うし、 通ってる曜日も違うのかも』
受話器の向こうから「ハア〜〜ッ」と長くて深い溜息が聞こえてきて、 凛が思わず耳を澄ませる。
『どうしたの? 大丈夫? 』
「大和くんでさえ凛に会えるというのに、 俺はいまだに…… ハア〜〜ッ」
会いたいのは凛だって同じだ。 今まで週に一度、 金曜日に家に行くだけで満たされていたのは、 学校で奏多の姿を見れていたからだと、 この数週間で気が付いた。
たとえ学校で恋人らしく出来なくても、 2人きりで会えなくても…… すぐそこにお互いの存在を感じて、 ふとした瞬間に一瞬目が合うそれだけで、 心に小さな花が咲くように、 ささやかな幸せを感じられていたのだ。
『やっぱり、 金曜日に会えないだけじゃなく学校も無いって、 両方いきなりだとダメージが大きいね』
凛がそう言うと、 もう一度耳元に、 奏多の『ハア〜ッ』という溜息。
「俺さ、 もう凛と付き合う前の自分が、 どうやって過ごしていたかが分からないんだよ」
去年の夏休みには、 まだ凛とはただのクラスメイトで、 ちゃんと話したことさえ無くて……。
それでも楽しく過ごせていたはずなのだ。
「今年は凛と付き合ってから始めての夏休みで、 本当だったら2人で夏祭りに行けたのかな……とか、 今日も手を繋いで花火を見てたのかな……って考えると、 余計に切なくなるんだよ」
『花火か…… 一緒に見れたら素敵かも』
「浴衣とか着ちゃってさ」
『浴衣…… 着たいな。 小学生のとき以来かも』
そうやって2人で過ごす姿を想像するとワクワクして幸せな気持ちになれるのに、 それが叶わない現実を振り返ると、 想像する前よりも、 更にもっと寂しくなって……。
「例えばさ、 家の本棚に好きな本がズラッと並んでたとするだろ? 全部好きな本ばかりで、 毎日その本を読んでるだけで俺は満足してたんだよ…… 」
好きな本で満たされていた本棚。 そこにほんの少し、 1冊入るか入らないかの小さな小さな隙間があって、 試しに以前からちょっとだけ気になっていた本をグイッと押し込んでみる。
力任せに押し込んだ『凛』という名前の水色の本は、 元からあった本を押しのけて本棚のど真ん中でピッチリ収まって、 まるでそこに昔からあったみたいにしっくり馴染んでいる。
「だけどある日さ、 その本が無理矢理抜かれてどこかに持ってかれちゃうんだよ」
『凛』が抜けた本棚の隙間は、 また両側の本に押されて少しずつ狭まって目立たなくなる。 だけど、 そこにあった綺麗な水色の背表紙の存在は大きくて、 目に焼き付いていて…… 気付くとその姿を探してしまうのだ。
「要は、 何を言いたいかっていうと…… 凛がいない毎日が辛すぎるってこと! 俺の本棚全部を凛で埋めたいってこと! ああ、 俺も塾に行っときゃ良かった! くっそ〜大和のやつ〜! 」
『ふふっ…… 大和くん、 とばっちりだね。 奏多、 本棚を全部『凛』で埋めたらすぐに飽きられちゃいそうだから、 他の本の隙間にそっと1冊だけ並べるくらいの方がいいと思う』
「絶対に飽きないし! 『凛』全集を揃えるし! 1巻から500巻まであるから、 365日、 毎日読んでも足りないし! 」
『500巻って…… ふふっ…… ハハハッ! こんなの大和くんに聞かれたら、 また馬鹿ップルって言われちゃうよ』
「いいんだよ、 言わせておけば…… ってか、 塾で大和に会っても無視しとけよ。 あいつはなんだか凛に懐いてる気がして腹が立つ」
『ふふっ、 やっぱり馬鹿ップルっぽい』
「いいんだよ、 会えないんだから、 せめて電話ぐらいラブラブの馬鹿ップルでいさせてよ』
***
「……ッ、 クシュン! 」
「大丈夫か? 風邪を引いてるんじゃないのかい? 」
「いえ、 大丈夫です。 きっとどこかの馬鹿ップルが僕の噂話でもしてるんですよ」
「馬鹿ップル?…… というのは流行りの言葉なのかな? 」
「流行り…… というか、 若者は普通に使ってますね。 あなたの娘さんと百田先輩みたいなカップルを見た時に使うといいですよ」
「ちょっと待ちなさい! 娘さんって…… 凛を知っているのかい? 百田…… 奏多くんも? 」
「はい。 学校が同じですし…… 会って話したこともあります」
奏多と凛が会えない時間を電話で埋めていたちょうどその時、 大きな駅に併設された高層ビル42階のフレンチレストランで、 向かい合ってランチをとっている尊人と大和の姿があった。