1、 持ち物検査と隣の彼女
「え~、今から皆さんお楽しみの持ち物検査を行いま~す! 」
朝のHRで、ジョー先生こと私立滝山中学校3-A担任の富士沢丈がそう宣言した途端、クラス中が一斉にザワついた。
「嘘だろ~?! 抜き打ちひでえ~! 」
「誰も楽しみじゃないっての! 」
「ええ~っ、急にそんなの困る! 」
クラスメイトの阿鼻叫喚を尻目に、百田奏多は平然と机の中身を取り出して目の前に並べ始めた。
ーーラッキーだった。
今日は幸いにも、特に違反になるような物は持ってきていない。
ポケットに入れていたガムは昨日の帰りの電車でちょうど最後の1枚を噛み終わっていた。
一馬から借りていたCDは今日持ってくるのを忘れたので家にある。
スマートフォンは電源を切ってロッカーに保管しておけば大丈夫という事になっている。
カバンにも……特にヤバイ物は入れてなかったよな?
念のためにと、机の横に掛けていたカバンを手にとって中を覗いていると、
「これ、お願い! 」
急に右側から手が伸びてきて、茶色い紙袋をグイッとカバンに突っ込まれた。
「ちょっ、なっ、何? 」
ビックリして手が伸びてきた方を見る。
隣の席の小桜凛は、既に何事も無かったように教室の正面を見、背筋をしゃんと伸ばして座っていた。
そしてその姿勢のまま、左手だけ下の方で手の甲をこちらに向け、
「シッ、シッ」と邪魔者を追い払うように動かしている。
「これ……何だよ。どうするんだよ?」
奏多が小声で聞いても彼女は前を向いたままで、口元をなるべく動かさないように、
「そのまま預かってて」
とだけ言った。
預かれと言われても、今日、今まさに持ち物検査の真っ最中で……。
いくらここが一番後ろの列で、目立たない窓際
の特等席で、誰にもこのやり取りを見られていないとしても、
先生にカバンの中身を見られたらアウトな訳で……。
どうすればいいのか分からず、かと言ってどうにかしようにも身動きが取れないまま気持ちだけ焦らせていると、既にジョー先生が目の前に来ていてギクリとする。
「ほい、次は百田の番な」
ジョー先生はそう言って、まずは机の上のペンケースや教科書を見、次に机の中を覗き込む。
最後に奏多の手からカバンを取り上げてガバッと開けると、案の定、いかにも怪しい茶色の紙袋が目についたらしく、目を見開いて言った。
「んっ ? この紙袋の中身はなんだ? 出してみろ」
口を開けられたカバンが目の前にグイッと差し出される。
絶体絶命。
奏多が横目でチラッと小桜を窺うと、当の持ち主は真っ直ぐ正面を向いて素知らぬ顔をしている。
仕方がない。
恐る恐る茶色の紙袋に右手を突っ込むと、何か硬いものが指先に触れた。
いっ……いいのか?中身知らないけど、俺のじゃないけど……出すぞ。
小桜……ごめん!
奏多は半分やけくそ気味になって、手に掴んだ物を見もせずに勢いよく取り出した。
ガサリと乾いた音を立てて紙袋から出てきたのは、本屋でよく見る112x174ミリサイズの単行本。
淡いピンク色の花を背景に、制服姿の女の子が男の子の頰キスをしている可愛いイラスト。
そして[恋してハニワ君 ① ]のタイトル。
少女漫画……だとっ?!
奏多は自分の机の上に鎮座している漫画本をしばし呆然と見つめ、次に隣の小桜を見やり、最後にジョー先生をゆっくり見上げた。
「ほほう……お前はこういう漫画を読むのか。まあ、お前の趣味に口出しはせんが、学校に持ってくるのは禁止だ。1週間没収な」
ジョー先生がニヤニヤしながらヒョイっと[恋してハニワ君]を奪っていった。
振り返って見ていた前の席の一馬からもニヤニヤされ、顔と耳を熱くしながら奏多はもう一度チラッと横の小桜を伺った。
何事もなく易々と持ち物検査を通過した彼女は、奏多に向かって小首を傾げると、ニコッとしながら、
「百田くんの漫画、残念だったね」
と他人事のように言った。
***
「おいっ、奏多く〜ん、お前なんで少女漫画とか没収されちゃってるの?! むっつり眼鏡のくせに乙女心の勉強でもするつもりかよっ。 しかも[恋してハニワ君]ってなんだよ、あのふざけたタイトル! 」
うわっ、やっぱり来た。絶対にこう来ると思っていた。
HRが終わった途端、振り向いた一馬が奏多の机に頬杖をつきながらニヤニヤ話しかけてきた。
小学校からの親友である須藤一馬は、奏多をからかうのが大好きなのだ。
奏多は苦い顔をして、一馬にグーパンチを見舞う振りをしながら、
「うるさいわっ、このイケメンチャラ男がっ! それからお前、むっつり眼鏡って言うな! 」と反論した。
一馬が軽口を叩いて奏多が突っ込む……という図式が2人には出来上がっていた。
一馬はサッカー部期待のエースストライカーで、この中学校が附属している高校に進学後も即レギュラー確定だろうと言われている。
ノリもいいので女子にモテる。
一見チャラチャラしているように見えるが、実はサッカー一筋のサッカー少年である事を奏多は知っている。
因みに、『むっつり眼鏡』は一馬が勝手に命名した奏多のあだ名だが、奏多本人としては断じて認めていない。断じて!だ。
「お前要領悪いな、ほんと」
不意に後ろから肩に抱きつかれてビクッとした。
だが、その独特な低い色気のある声で、振り向かずとも誰なのかは分かった。
今度はもう1人の親友、大野陸斗だ。奏多の背中にズシリと体重をかけて、嬉しそうに突っ込みを入れてくる。
陸斗は中学に入ってからの友達で、一馬と同じくサッカー部所属だ。
178センチの高身長を生かしてディフェンダーを務めているが、冷静沈着で頭も切れるのでストッパー役は適任だろう。
声が低い上に妙に落ち着きがあるので、時々年上じゃないかと思う時がある。
「参ったよ。姉貴の本が紛れ込んでたみたいでさ」
奏多が首に巻きついた陸人の手をほどきながらそう言うと、早速一馬が食いついてきた。
「えっ、叶恵さんの?!ダメじゃん!奏多、お前、ちゃんと買って返せよ」
「1週間経てば戻ってくるんだ。そんなもん買うかよ」
咄嗟についた嘘だったが、奏多の姉である百田叶恵のファンである一馬に叶恵の名前を出せば、きっとそっちに食いつくだろうと読んでいた。
全くもってその通りで、そこからすぐに叶恵の好きな本に話題は移り、そこに陸斗の突っ込みも加わって、あっさりと持ち物検査の件はスルーされた。
授業開始のチャイムが鳴って教科書を出していると、どこからか戻ってきた小桜と目があった。
小桜が口元を軽く綻ばせてペコリと頭を下げ、席に着いた。 奏多も軽く頷いた。
『ありがとう』
『どういたしまして』
目だけの会話。
2人だけの秘密が出来たみたいで、なんだかむず痒い感じがした。
意味もなく教科書をパラパラと捲ってみた。
何故か右側に意識が集中して落ち着かなかった。
さっき一馬から『むっつり眼鏡』とか呼ばれてたのを聞かれてたかな……すぐに言い返しておけば良かったかな……と、チラッと考えた。
小桜さん、俺は眼鏡ですが、ムッツリではありません……たぶん。
奏多は小さく独りごちた。
帰りのHRの時間、小桜が小さく折り畳んだ紙切れを奏多の机にポイッと投げて来た。
先生の様子を窺いながらそっと開いて見ると、
『放課後、鶴橋図書館集合』
と書いてあった。
集合……って、勝手に決めてんなよ……。
と思ったが、没収された漫画のことも気になるので、とりあえず言われた通り鶴橋図書館に行くことにした。
HRが終わってすぐに小桜がカバンを持って教室を出ていくのが見えたが、奏多は掃除当番だったので、彼女より20分ほど遅れて教室を出た。
廊下で一馬と陸斗に呼び止められたが、今日は真っ直ぐ帰ると偽って、そそくさと退散した。
***
鶴橋図書館は、奏多たちが通っている私立滝山中学校から東に10分程歩いた所にある。
館内の設備が充実しているのに加え、駅と公園が近いという好立地も手伝って、利用者の多い市立図書館だ。
午後4時過ぎに図書館に到着した奏多は、自動ドアから館内に入るとすぐ、一番奥の階段に向かって真っ直ぐ進んだ。
小桜のメモには『放課後、鶴橋図書館集合』とだけしか書いてなかったが、2階にある学習スペースか閲覧室のどちらかにいるだろうと当たりをつけていたからだ。
5年前に改築されたばかりのこの図書館は、奥の階段周囲が吹き抜けになっており、真っ白な壁の一部にステンドグラスが嵌め込まれているため、開放的でモダンな雰囲気を醸し出している。
天井まで届く大きなガラス窓がふんだんに使われている2階は、四方からキラキラと光が差し込んで、やたらと眩しかった。
階段を上がって左手は80席ほどある学習スペースで、いくつも並んだ長方形の大机の両側に4脚ずつ椅子が置かれている。
その一番奥の窓際の席で小桜は本を読んでいた。
相変わらず姿勢がいいな……と思った。
本に夢中になって前屈みになっていたり、椅子にもたれかかって足を組んでいたり、横を向いてお喋りしていたり…… 。
そんな大勢の利用者の中で、1人だけ背筋をピンと伸ばし、少し顎を引いて静かに文字を目で追っている小桜の姿は、一際目を引いた。
小桜とは、今年中3になって初めて同じクラスになり、2学期すぐの先週の席替えで隣合わせになった。
そういえば、その時の第一印象がやはり、『姿勢がいいな』だったな……と思い出しながら、彼女に向かって歩を進めた。
周りの迷惑にならないよう静かに椅子を引き、小桜の向かい側の席に座った。
読書の邪魔はしたくないので、キリのいいところまで黙って待つ。
左手で頬杖をつきながら窓の外を何処ともなく眺めてから、ふと目の前の小桜に視線を移した。
窓から射し込んだ西日が小桜の左半分をオレンジ色に染めていた。
長い黒髪も、キュッと引き締まった薄い唇も、クッキリした二重まぶたの根元から伸びる艶やかな睫毛も、そして細くしなやかな指先も全部、
淡く暖かい光に包まれて輪郭をおぼろげに見せていた。
そう言えば、真正面から彼女の顔をまじまじと見たのはこれが初めてかも知れない。
クラスの男子が小桜のことを『滝中のマドンナ』とか『滝中のクールビューティー』とか呼んで陰で騒いでいるのがなんだか分かった気がした。
確かに綺麗な子だよな……と、ぼ〜っと眺めていたら、その視線に気付いたのか、小桜が本を閉じてこちらを見た。そして自分の右隣の椅子をツンツンと指差した。
ーー 隣に座れ……って事なのかな?
確かに、大机を挟んだ両側で会話をしようと思うと、ある程度の大声を出すか身を乗り出さないと難しそうだ。
つまり、彼女は今から、あまり他人に聞かれたくないような内容の話をしたい…んだよな……
と勝手に推測して、奏多は少し身構えながらも、黙って彼女の隣の席に移動した。
初投稿です。 『なろうルール』に沿っていない部分、読み辛い部分があるかも知れませんが、主人公2人の成長と共に生暖かく見守っていただけると嬉しいです。
中学編、高校編と続いていきます。