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9/13

//事件から11日(日)//


家のインターホンが鳴らされ、ドアを開けると取材陣が待ち構えていた。

昨夜お父さんから送られてきた手紙の件で、お父さんと話がしたいと言われた。

取材陣が言い切る前に、出てきた父がリビングに通した。

居心地の悪さにでかけることにした。


向坂さんの家を訪ね、パソコンの前に立つ。

改めて、『作品集』のタイトルに目を走らすと、今まで気付かなかったタイトルが目に飛び込んでくる。

『あの子のためにできること』

フォルダを開くと中にはテキストファイルと画像データ。

画像データを開く。

ネットの掲示板の書き込みをスクリーンショットしたものだった。

内容は、保育士志望の女子大生が赤ん坊を遺棄した事件についてだった。

たしか4年ほど前の事件だったろうか?

《自分の子供捨てるような奴が他人の子供育てられるかよ》《赤ちゃんポスト使えよ》《バカ過ぎ》《大学まで行って何学んでんだか》《コイツ保育士になったらヤバかったわ》《保母さんはサイコパスww》《命の扱い雑過ぎでしょ》《ヤリたくてヤったんだからこんなの自己責任だろ》

掲示板に書き込まれた非難の声。

当時、マスコミも世間の声も彼女を責める内容が多かったような覚えがある。

続いて、テキストファイルを開く。タイトル名は、

『罰』

雄二は言った。

《バカな奴らが子供捨てて捕まってんじゃん、今中絶しなかったら俺たちがアイツ等みたいになるんだよ》

彼女のようになりたくないと思った、

でも、彼女は悩んだんだ。

赤ちゃんが大きくなるまで、悩んだんだ。

私のように中絶しておけば、事件になんてならなかった。

だけど、すぐに殺した私と、ずっと悩んだ彼女と、どっちが授かった命に向き合っていたんだろう。

そのことに、こいつらはまったく気づいていない。

雄二は、世の中世の中って言ったけど……世の中ってそんなに大した奴らなの?

こいつら、本当はなにも考えてないんじゃないの? ただデカい声につられてるだけなんじゃないの?

実際、誰も止めはしなかった。

チクる奴もいないし、

みんな見て見ぬふり、

くだらない。

社会の正義の脆弱性がよくわかる。

結局、おまえらは支倉夢美のやることは止められないんだ。

世の中なんて大したもんじゃない。

声のデカい奴にすぐにつられる考えなしの奴らばかりだ。

それか、乗っかりこそしなくても、結局は止めもしない、

ことなかれ=平和主義だと思ってるバカばかり、

自分に火の粉がかからなければそれでいい、そういう奴らばかりなんだ。

こんな薄っぺらい奴らに怯えて、私はあの子を殺したのか。

なにが世の中だよ、くだらない、

こいつら何にも考えてないじゃないか。

こんな奴らに怯えるんじゃなかった。

誰でもいいからさっさと死ねよ。

私たちのイジメでさっさと死ね。

そしたらバカな奴らが一斉に騒ぎ出して、

テンプレ通りに私たちを断頭台に連れて行ってくれるだろう。

今度こそ人殺しとして裁かれる。

これは、

なにも考えていない奴らの言葉に怯えて、

大切な命を手放した、

愚かな私への罰なんだ。


コンコン、扉をノックされてパソコンを閉じる。

リビングでカモミールティーを頂く。

「これ、よかったら受け取ってもらえるかしら」

そう言って、向坂さんは一枚の写真を差し出した。

向坂詩織の写真。誕生日の時のものだろうか。テーブルの前にはケーキがおいてある。写真の中で笑う彼女と、パソコンに書かれた怨嗟の声……どちらが本当の彼女なのか。

そこでふと気が付く、ケーキを前にして笑う彼女、その眉毛の不自然なつりあがり方……まるで、怒った顔の上から笑った顔を強引に張り付けたような……そうか、これが向坂詩織の笑顔だったのか。

「春になったらアセビの花を見せてやってよ」

軽く肯いて、制服のブレザーの内ポケットにしまう。

「あなたが覚えておいてくれれば、あの子は長生きできるわ」満足そうに笑う。

そう言えば、そのために作品を読ませてくれていたんだった。

「でも、あの子がアセビを好きだなんて……ニュース見てはじめて知ったの……母親でも知らないことばかりだわ。旦那よりは知ってるつもりだけどね」肩をすくめて笑う。


向坂家を後にして、向坂詩織がボランティアをしていたという近所の公園に向かう。

アサビの花はもう散ってしまっているらしいが、来年のために場所だけは確認しておきたかった。

おばあさんが一本の木の前に立っていた。 

花の落ちた木、括りつけられたプレートに『アセビ』と書かれていた。

「こんにちは」

「こんにちは。詩織ちゃんのお知り合いの方?」

「はい。クラスメイトです」

「そう」

おばあさんは震える声で言った。

「詩織ちゃんが可哀相よ」

しわだらけの手が木の肌を撫でた。

「満開に咲くこの木を一緒に観たの……ついこないだのことよ……おばあちゃんたちでね、冗談で言ってたのよ。来年は観られるかしらって……もちろん、いなくなるのは私たちの方だと、そう思っていたのに。……詩織ちゃんが先にいなくなっちゃうなんて……」

木の肌を撫でる手が小刻みに震えていた。

花の散ったアセビの木を眺める。向坂詩織のお気に入りの木、彼女は満開に咲く花を見て、どんなことを想ったのだろう。

「彼女は笑っていましたか?」

「ええ……よく笑う子だったわ。 でも、そうね……この花を見るときはちょっと違ったかしら……ただ目を細めてぼんやりしていたわ……でもね、その横顔を見ているとわかるのよ……ただ眺めているだけなのに……この子はこの花が好きなんだって……ずっと眺めていたいんだって」

今となっては彼女が観た景色を眺めることは叶わない。なにを想ったかなんてさらにわかりようがない。

「あなたと二人で旅をしましょう」

「?」

「アセビの花言葉……詩織ちゃんに教えてあげたの。彼女気に入ったみたいだったわ」

《あなたと二人で旅をしましょう》

「白い小さな花がいっぱい咲くの……彼女言ってたわ……まるで子供の手みたいだって……天国から手を振ってるみたいだって」

心臓が波打つ。

ボイスレコーダーから流れてきた向坂詩織の笑い声が頭の中に響いた。

《ハッハッハッハ! 許してほしいなんてそんなこと思ってないよ! 私はそれだけのことをしたんだから! さあ! 私を殺しにこい! 全力で抱きしめてあげるから!》

だから、あなたと二人で旅をしましょう。


//向坂詩織の幻//


平日の公園。

幼稚園からの帰りだろうか、子供たちが遊んでいる、お母さんたちが談笑しながら見守っている。

公園のアセビの木、

真っ白い小さな花たち、

風にゆれる小さな白は、子供の手のように思えた。

その木は天国まで伸びているような気がした。

天国からあの子が手を振っている、こっちにおいでよ、いっしょに遊ぼと。そんな気がした。

アセビには毒がある、図鑑で読んだことがある。

本当は憎んでいるのかもね。

私を殺してやろうと天国から首を絞める手を伸ばしているのかも。

でも、それでもいいよ。

私に触れてくれるなら、

あなたが私に触れてくれるなら、首を絞める手でもかまわない。

風にゆれる真っ白い小さな花たち、

天国から私に伸ばされた小さなあの子のてのひら。

「あなたと二人で旅をしましょう」

「え?」

気が付けば、隣におばあさんが立っていた。

「花言葉……アセビの花言葉よ」

おばあさんが笑った。

「……《あなたと二人で旅をしましょう》……」

「お母さん!」どこかで子供の呼ぶ声がした。

「すてきな花でしょ?」

「ええ……とっても、きれいな花ですね……」

風にそよぐ小さなてのひら。

そうだよね。

天国であの子が待っていてくれるんだもんね。

私はちゃんと裁かれなくちゃいけない。

人殺しとして罰を受けなくちゃいけない。

そうしたら、

今度こそ私は、天国であの子の母親になれるんだ。

差し伸べられたその手を握り返すことができるんだ。

そうだ。人を殺そう。

今度こそちゃんと裁かれよう。


電車に揺られながら、ぼんやりと窓の外を眺める。

強制的に変わっていく景色。世界から切り離されたと感じた向坂詩織には、いつもこんな風に見えていたのだろうか?

《さあ、生贄を捧げよう。

天国へとつづく、屍の階段を築こう》

《これは、

なにも考えていない奴らの言葉に怯えて、

大切な命を手放した、

愚かな私への罰なんだ》

向坂詩織は社会の批判を恐れて中絶を許した。

けれど、自分や矢島雄二が恐れた社会というものは、声の大きいものにつられる脆弱なものだった。それは、彼女の実験……支倉夢美のイジメ、それを止められないクラスによって証明された。だからこそ、向坂詩織は自分をより深く責めた。なにも考えていない奴らの言葉に怯えて、大切な命を手放した自分を責めた。

彼女のイジメの目的は2つ。

1つは、社会の脆弱性の証明。

もう1つは、人殺しとして裁かれること……裁かれて、天国で母親になること。

西條桜子は……実験のためのモルモットであり、天国へとつづく屍の階段、天国への踏み台だったということか。

矢島雄二の言葉が脳裏に響く。

《うまくやってたんじゃないかな。 女って男が思ってるほどやわくなくて……結構たくましいものなんだろ》

「……たくましい……そんな言葉で片づけられていいわけないだろ……」


インターホンを鳴らすと、しばらくしてドアが開かれた。

西條さんは俺を見ると、瞬きした。

リビングに向かう西條さんの背中が振り返る。

「コーヒー飲む? ついでだから飲むなら淹れるけど」

「じゃあ、いただきます」

「お砂糖とミルクは?」

「ミルクで」

ほどなくしてポットとカップをお盆にのせて西條さんが戻ってきた。

「持つよ」

「ありがと」

彼女にしたがって二階にあがる。


彼女の机、置かれていたノートパソコンを端に除けてもらう。

お盆をのせた際、すぐ横の壁に貼られた用紙、なにかの連絡網が目に入る。

立てかけてあるパイプ椅子を開き、腰を下ろす。

西條さんがカップにコーヒーを注いでいく。

「ブラックじゃないと眠気が覚めない気がしない?」

「どうだろ……」

「ミルクってこれでよかった?」

「問題ないよ」

ポーションが注がれ、スプーンでかき混ぜられる。

「熱いから気を付けてね」

「ありがと」コーヒーを受け取る。

彼女は椅子に座って、胸元に手を添えると軽く息を吐いた。

「あんなこと言っちゃったから、もう来てくれないのかなって思ってた……長い一日だった」

少しくたびれた眼差しが、あまり眠れなかった、そう告げている気がした。

「美味しい?」目が合った瞬間、ばつが悪そうに彼女が笑った。

「あ、うん」慌ててコーヒーに口をつける。

熱さに思わずビクッとする。

可笑しかったのか、西條さんが申し訳なさそうに笑った。

何故かふと、彼女の顔を見た。

彼女は首を傾げた。

この人なら、分かり合えたんじゃないだろうか?

「ねぇ……西條さん」

「なに?」

「おかしなことを聞くけど……西條さんって、保育士さんとか目指してたりする?」

「え?」

「ごめん……なんか、似合いそうだなって気がしたんだ……ほんと、自分でもよくわからないんだけど」自分を見る彼女の眼差しが、まだうんと幼かった頃に向けてもらった誰かの眼差しと重なった。保育士さんか、親戚のお姉さんか、……母親か。

「保育士は難しいかな……人が苦手っていうか……犬とか猫ならいいんだけど」

「そっか……」

自分でもおかしな問いかけをしたものだ。でも、この人なら……、

「向坂さんたちの家を訪ねて思ったんだ……彼女たちなりに痛みを抱えていたんだって……だから、そんな彼女たちなら話し合えば分かり合えたんじゃないかって」

西條さんなら分かり合えたんじゃないか?

「西條さんは、前に《ストップボタンを押しても押しても》って言ってたけど、本当に《やめて》って言ったの? 彼女たちだって本心からじゃなかったのかも」

目が合った瞬間、凍り付いた。

突き刺すような鋭い眼差し。唇が震えていた。

「本心からじゃない? じゃあ、あれは冗談だったっていうの? ……あなた、不思議なことを言うのね。冗談かもしれない? 冗談で死ねなんて言うかしら? 冗談で、人の存在を否定するのかしら……。……そう、冗談だったのかもしれないわね……、なら、私のも冗談よ。……冗談でみんな殺したのよ」

「……え? ……見殺しにした?」

「聞き間違いじゃないわ……《みんな殺した》と言ったのよ。 私がみんなを殺したのよ」

鈍い痛みが腹の底まで響く。あの日の彼女が脳裏に映る。

――《もう、とっくに壊れていたのかもしれないわね。平気だったんだもの……ううん、楽しかったくらいなんだから……アイツ等の、《ウソでしょ?》みたいな顔……傑作、ざまあみろって思ったもの》――

――《目覚まし時計のストップボタンを押しても押しても押しても、もしもベルの音が止まなかったら、誰だって時計を壁に叩きつけるでしょ?》――

壁に叩きつける。それはつまり、

「……うそ……だよな」

うそだろ? なのになんでこんなに恐れている。脚が震えている。まるで通れなくなった通学路を前にした時のように。

「嘘じゃないわ」

冷たい瞳が歪んでいく。

「なんなら、どうやって殺したか教えましょうか?」

向坂詩織がいた。目の前にいる西條桜子は、憎しみを強引に笑顔で押しつぶし、すべてを嘲笑して跳ねのけるような向坂詩織の笑顔を浮かべていた。

血の気が引く。彼女は語り始めた。


バイト帰りだった。

家の近くの公園で時間を潰す。

どうせ帰っても誰もいないから、日課になっていた。

この寒さじゃ猫もいないか。

3月の公園は流石に冷える。

コンビニで温かいものでも食べてから帰ろうかな?

家で作った方が安上がりだけど、たまの贅沢ならいいよね……。


コンビニのドアを押す。生暖かい空気に頬を撫でられる。

雑誌コーナー、笑顔が目に留まる。

こういうの、好きそう……きっと似合う。

思わず手に取って見つめてしまった。似合うじゃないか……似合っただろうな、だよね。

ふと見た窓、私の隣に誰かが映っている。

漫画雑誌を挟んだ先、いかがわしい雑誌が並べられてるコーナーに、その男はいた。

いつの間に? いや、きっと私より先にいたんだ。

けれど、まったく気配がなかった。

男は手に取った雑誌の表紙をじっと見つめている。

青ざめた顔に不釣り合いな血の通った鋭い眼差し。

気持ち悪い。

スケベなオジサンに感じる不快感と違い、危機感のようなものに襲われる。

自分の呑気さを呪う。

もっと早く気付いていれば、こんな男の近くになんて足を踏み入れるわけがなかった。

少なくとも3メートル離れなければ安心できない、なにか異様な雰囲気をその男は放っていた。

男の唇がパクパクと動く、

なにかを呟いている?

陸にあげられた魚のようで、どこか生きにくさを感じさせる。

パクパクと声もなく口を動かすこの男は、誰も知らない深い海の底で暮らしていて、コンビニの雑誌コーナーに今うちあげられたのだろうか。

そんな能天気な妄想に一瞬笑いそうになった時、

「笑うな。殺すぞ」

背筋が凍った。

自分の心臓の音を聞きながら、男の眼を見る。

目と目が合うことはなく、男は相変わらず雑誌の表紙を睨みつけていた。

私に言ったんじゃない、ホッとする。バレないうちに雑誌の方に視線を戻す。

男は雑誌を棚に戻し、足に挟んでいた手提げ袋を握るとコンビニの外へと出ていった。

戻された雑誌、表紙には制服姿の女の子が載っていた。

スカートをたくし上げ、笑っている。

一瞬眉をひそめたものの、

彼女の茶色い髪に心臓が波打つ。

茶髪、制服姿、《殺すぞ》

急いでコンビニを出た。

男の背中を探す。

スケベな奴らの視線には見覚えがあった。そういう奴はどんなに笑っていても目が笑っていないからすぐにわかる。眼だけが異様に冷たく光っているから、ギョロギョロしているから気持ち悪い。人を裸にしようとする奴の眼には見覚えがある。

けれどあの男は違う。あの眼はそういう眼じゃない。あれは憎悪とか憤怒とか、殺意の眼だ。あの眼には覚えがある。鏡に映った私の眼だ。私を裸にしようとする男たちに向けた私の眼だ。人を殺してやりたいほど憎んでいる奴の眼だ。

アイツだ。

アイツが菜々佳ちゃんを刺したんだ!

通りを歩く男の背中を睨みつける。

アンタは間違ってる。

雑誌のモデル、何も知らない相手に対してあれ程の殺意を覚えるなら、

アンタは自分の勝手な思い込みで相手を刺したんだ。

入学式、忘れ物を取りに行った菜々佳ちゃん。

慌てながらも笑う顔が目に浮かぶ、やばいやばいとか呟きながら。

《笑うな、殺すぞ》

アンタは自分のことを笑っているわけでもない彼女を勝手な思い込みで刺したんだ。


握られている手提げ袋が目に留まる。

あの中に何が入っている?

男の前方からOL風の女性が歩いてくる。

緊張感が奔る。

彼女が男とすれ違う瞬間、手提げ袋が鞘のように抜け落ちて、男の手に握られた包丁が、彼女の首をまっすぐにかき切る映像が脳裏をよぎった。

幻に身震いする。

なんでこんな奴が日常に野放しになっているんだ!


事件現場からさほど遠くない距離にあるアパート。

新しくはないが決して古臭くもない、日常に溶け切った建物。

その扉の向こうに男は消えた。

ここが人殺しの住処だ。

人の視線には敏感な方だと思う、

コンビニを去った時、奴は隣にいた私の方をまったく見なかった、

まるで見えていないかのように……。

茶色い髪ではないから?

茶色い髪と制服にアイツは反応するのか。

茶色い髪に制服?

アイツ等の顔が浮かぶ。

ありがたいことに、犯人の嗜好と3人とも特徴が一致している。

《あんたも死ぬ手間省けていいだろ》《コイツが刺されたときの練習しとこうよ》

教室で私が刺されたときのリハーサルをしだしたこと。

下校途中に男性がいると、《早く刺されて来いよ》といって背中を押されたりしたことを思い出す。

あんな奴ら刺されればいい。おまえらが刺されろよ。クズ共。

「あーあ……あんな奴ら殺してくれないかなぁ……」

どうせ人殺しなら、もっと殺すべき人間を殺せよ。

警察に話すのは、アイツ等が殺されてからでもいいんじゃないか?


けれど、通り魔は動かなかった。

いつまで経ってもアイツ等が死ぬことはなかった。

仕方ないから4人とも自分で殺すことにした。


通り魔を罠にかけるために、変装用の茶髪のウィッグを購入。

無力化するためのスタンガンと手錠。中学の時、担任からの護身用に購入したものがこんな形で役立つことになるとは。


決行の日、

制服に着替えて、茶髪のウィッグを被る。

鏡の中に知らない子がいた。

学校鞄の中に、園芸用のビニールコーティングされた手袋、スタンガンと手錠と手錠の鍵、首絞め用の縄、シャベル回収用のボストンバッグを折りたたんで詰め込む。

新品のスニーカーを箱から出して、母が帰宅しても怪しまれないよう、部屋に鍵をかけ、2階から避難用ロープ梯子を使って外に出る。

補導されないように大通りを避けて、犯人宅のアパートの前まで来る。


そろそろ出てくる頃だろう。

奴は、大体夜の11時前に、コンビニで塾やバイト帰りの女子高生を物色している。

目撃して以来、バイト帰りにコンビニに寄ってわかったことだ。

徒歩で来ているならこれくらいの時間に家を出てくる筈だ。

予想した時間通りに家の扉が開く。

待ちわびていた殺人犯の登場に胸が高鳴った。


ケータイで母親と電話しているふり、友達の家からの帰り途中を装う。

仲が良さそうな母娘の会話、自嘲気味な笑みが零れる。

背中に犯人の視線を感じる、一回だけ振り返る。

震える脚。崩れ落ちそうになる四肢。倒れたら終わりだ。自分から飛び込んだんだ。私が仕掛けたのだから、私が優位のはずだ。

追いかけてくる。

なら、もう奔れ! 震える脚に力を込める。アスファルトを突き刺すように、奔れ……奔れッ……奔れ!! ようやく足が地面を叩きはじめた。ぐわんぐわんと揺れる視界、大丈夫、私はちゃんと奔れている。振り払ってもいい、全力で奔れ、……それでも、奴は間違いなく、私を追ってくるはずだ。 アパートの近くにある雑木林に逃げ込んだ。大丈夫、計画通り。目的地は決めてある。闇雲に逃げているわけじゃない。下見した道。アイツには私が、パニックになって雑木林に逃げ込んだように見えることだろう。誤って、自分から歩きにくい、人目につかない危険地帯に飛び込んだ、ウサギに見えることだろう。 けれど私はこの道を既に知っている。後は予定通り木に隠れて、奴の背中をとる。オマエが追いかけたのはウサギなんかじゃない。オオカミだということを教えてやる。

男は私の姿を見失い、しばらく立ち尽くす。 手提げ袋をおもむろに下ろし、中から布に包まれた何かを出す。布をゆっくりと広げていく――包丁だ。

けれど、今更なんて遅い。私の方はとっくに、その準備はできているんだ。

私は男の首筋にスタンガンを押し付けた。 

男の全身がブルブル震えて、思うように動けないらしく、男は近くの木にもたれると、そのままズルズルと体を落とした。私は、後ろ手に男の両手に手錠をかけた。

しばらく尋問した後、縄で首を絞めて殺した。

包丁を布で包んで、手提げ袋に入れて回収。死体のポケットからアパートの鍵を回収。それらを学生鞄に詰め込む。

目印にしておいた桜の木。その下は傾斜になっていて、その先に1週間くらい前にあらかじめ掘っておいた穴がある。その隣には置きっぱなしにしておいた剣型シャベルが刺さっている。

穴に向かって死体を蹴とばす。斜面を転げ落ちていく。黒い影が闇に沈む。

ここまでは恐ろしいくらいうまくいった。

慎重に斜面を降りて、シャベルでよけておいた土をかぶせていく。

雨が降らなかったのは幸いだが、放置しておいた土が湿気を吸ってところどころ硬くなってしまっていた。

崩すのに手間がかかった。だけど興奮のせいか疲れは感じなかった。

穴を埋めた後、シャベルをボストンバッグに入れて回収した。

 

家に帰り、物置にシャベルとボストンバッグを戻す。

避難用ロープ梯子を伝って自分の部屋に戻る。

スニーカーを箱に戻す。

学生鞄の中には、丸めた手提げ袋の中に布に包まれた包丁、園芸用ゴム手袋、スタンガン、手錠と手錠の鍵、首を絞めた縄。

縄とスタンガンと手錠と手錠の鍵を元の場所に戻す。

学生鞄の中には、丸めた手提げ袋の中に布に包まれた包丁、園芸用のゴム手袋。

園芸用のゴム手袋をつけて、手提げ袋から布に包まれた包丁を取り出す。

布をゆっくりと広げて、包丁を眺める。

刃先の尖った、よく刺さりそうな包丁。

布に包み、手提げ袋の中に戻す。

ゴム手袋を外す。

緊張がほどけた瞬間、頭に暑苦しさを感じる、被っていたウィッグを脱いだ。

時間が時間だけどシャワーを浴びよう。

お風呂の中で自分の手を見た。なれない土仕事のせいで指の付け根が赤くなっていた。


翌日の帰り道。

目の前がチカチカする、怒りのあまり血が沸騰してこうなるのか。

心臓の音がうるさい。

指先までが緊張で冷たくなっている。

全身が痙攣している。早く動けと急かすように。もうとっくに体は準備ができていて、後は感情がGOを出すのを待っているみたいに。

3人だけで笑っている。

まるで私なんかいないみたいに。

丁度いい。

鞄を下す。

中からゴム手袋を取り出してつける。

手提げ袋を引っ張り出す。

布に包まれた包丁を掴み、手提げ袋を鞘のように抜きはらう。

刃を下にすると、布は重力に引っ張られるままはだけていった。

笑っていた支倉の目がようやく私の方を見る。

《そう言えばコイツいたんだっけ?》みたいな呑気な表情。

呑気で結構、そのまま死ね。

一気に間合いをつめて包丁を腹に向かって突き刺した。

それからあとはよく覚えていない。

とにかく刺したのか斬ったのか、逃げる誰かの髪を思いっきり引っ張ったような気もするけど。

布を拾って、血の付いた包丁を包んで、手提げ袋を拾って、中に入れて、鞄に戻す。

ゴム手袋を脱いで、中に入れて、鞄を閉める。

鞄を抱きしめる。

ゆっくりと尻もちをつく。

完璧だ。

空を仰ぐと桜が舞っている。

誰かいてもおかしくないのに、誰もいないなんて。

やっぱり、これは天啓だったんだ。

興奮のあまり瞳孔が開き切って、光量が最大限に上がったからだろうか。目の前の景色がいつもよりハッキリ見えた。眩しすぎる世界に夢を見ているようだった。

私は、私を被害者にしてくれる発見者を待った。


夜、

2階の窓から玄関口を見る。

家の前に車が停まっている。

1階にいる母にケータイで電話した。怪しい車が停まっているから通報してほしいと。

間もなく警察がやってきて、車をどけてくれた。車はマスコミのものだった。

箱からスニーカーを取り出して、2階から避難用ロープ梯子で外に出る。


大通りを避けて、通り魔のアパートまでたどりつく。

鞄から取り出したゴム手袋をつける。

アパートの鍵を開け、

手提げ袋ごと布に包まれた包丁を投げ入れる。

鍵を閉めて、

アパートから立ち去る。

帰宅途中の側溝に鍵を捨てる。


家の前に同じ車が停まっている。

ケータイで母に電話して警察にどけてもらった。

物置に手袋を戻す。

避難用ロープ梯子を伝って部屋まで戻る。

時間が時間だったけどシャワーを浴びた。


パン! 彼女は俺の前で手を合わせた。

「お願い! ナイショにして! ね?」合わせた手の後ろから顔を出してニコッと笑った。

眩暈を覚える。

「文化祭にも出たいんだぁ。高校最後だし、やっぱり思い出がほしいもん」

なにを呑気なことを。こいつ正気か。

「殺すなんて間違ってるだろッ。なんで対話しようとしないッ」

自分の声に驚いた。

思えば、最初に目覚まし時計のたとえ話を聞いた時、恐ろしく喉が渇いたのは、頭ではないどこかで察していたからではないのか? それでも、あの日から常識とか当たり前が信じられない、そう言いながら、どこかでソレだけはないと思っていた。

心臓がバクバクと脈打つ。

「愛川碧は母親から言葉の暴力を受けていたんだ……向坂詩織は中絶を経験してる……二人とも深く傷つけられていたんだ」

「深く傷つけられたら、深く傷つけていいの? 何をしても許されるの?」

「そうじゃない……けどっ」

「……まるで、生きている方が悪いみたいに言うのね」

射るような視線、うっすらと潤んだ、光を放つ目に息をのむ。

「対話? ねぇ……もしも私が自殺していたら、あの人たちにも同じことを尋ねたのかしら? 対話すればよかったじゃないか……って」

「……」

「《なんで生きてるの? なんで死なないの? ねぇ、はやく死になよ。てか死ねよ。死ね死ね死ね》……あなたは、どう対話するの?」

「なんでそういうことを言うんだよ。言われた相手がどんな」

「《うるせーよ死ね》」

「……」

「……ねぇ、あなたが言うようなこと、私が言わなかったと思うの? バカにしているわけじゃないから、誤解しないでね。……ただ、私は何回も言われているから……とにかく色々試してはみたのよ。 結局、悪意しかない相手に会話を持ちかけても、話し方がおかしいとか笑い種にされるだけ。相手の目的は、こちらを馬鹿にすること。そうやって、自分は優位だと思いたいのよ。 努力せずに自尊心を得る方法ってわかる? 自分より下の者を作るのよ」


家の近くまで辿りついた時だった、記者に呼び止められた。

「お父さんが『犯人への手紙』を公表されましたが、お兄さんも同じ意見なのでしょうか?」

手渡されたコピー用紙には父の字が並んでいた。


桜美坂・女子高生通り魔事件、

桜美坂・女子高生連続殺傷事件、

容疑者、阿藤響殿


きっと君は、自分も他人も大切に思えなかったのだろう。 今、君が《人生は無意味だ》と感じていても、それが永遠に続くと誰がわかるだろうか。 いつか君に大切な人ができて、君自身の人生を意味あるものだと感じた時、君ははじめて、自らの過ちに気付くのだろう。

君の日記をニュースで知った。 人にルールを守らせる《調教師》というものになりたかったんだね。 けれど、ルールを守るということは、誰かを悪者にしたり、裁いたりするためにあるのかな? 確かに、加害者である君を守るしくみの方が、被害者やその遺族である私たちに対するしくみよりしっかりしている。そういった意味では、今、君を守っているのは、君が憎んだ社会の制度の不平等そのものだ。 けれども、私は、正しいことをすること、ルールを守るということは、守れない人や守らない人を責めるためにあるんじゃなくて、ただ、朝、目覚めがいいとか、澄んだ気持ちで空を眺めていられるとか、自分で自分を誇れるためにあるんだと思う。 君は誰かに認めてほしかったんだと思う。ルールを守る自分をほめてほしかったんだと思う。 確かに、社会の制度は、ルールを黙って守る人よりも、やぶったりする人の方に寛容なものだ。そのことに、不平等だと怒ることはあると思う。今、私が、君に対して憤るように。 君が捕まったら、私は君の死刑を望むと思う。それでも君に捕まってほしい。せめて自分に誇れる自分自身として、君にルールを守ってほしい。ルールを守らない人を、サルだというのなら、君は人間らしく自らの過ちの裁きを受けてほしい。私は、君に、死んでほしい。

                                 高村菜々佳の父・高村晋太郎


《私は、君に、死んでほしい》

これが父の答えなのか。

記者がなにか聞いてきたが聞き取れなかった。そのまま用紙を返して家路についた。

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