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//事件から8日(木)//
夢の中では逆さまだった。
菜々佳が殺されたという事実が、思い出したように自分を押しつぶす。
「アニキうるさい」すねたような顔。
「そんなんだから彼女いないんだよ」黙っていればわりとカワイイのに。
でも、どんな一言でもいい。
笑顔でもいい。
菜々佳。
おまえが笑ってくれたら、
一回呼んでくれたら、
すねるでもいい、
「プリン買ってきたらゆるす」でもいい、
なんでもいいよ、
なんでもいいから、
おまえがいるってわかったら、
この痛みを――自分を踏みつけてグリグリと押しつぶすようなこの怒りを――耐えがたい怒りを――少しだけ忘れられる気がする。
夢から覚めると、今までの日々の中で、菜々佳の笑顔を探している。
アイツの笑っていた瞬間を、必死になってかき集める。
それが、喪失感を増幅させ、より深い痛みのもとになったとしても、
それでも、アイツが笑っていたという事実が、自分を押しつぶす怒りを、少しでも和らげてくれるから、俺は探し続ける。菜々佳のいた時間を。
あの路を通れなくなっても、迂回して学校には通っている。
菜々佳のいた時間を求めて?
それなら、あの学校に行く必要はない。菜々佳は学校に入る前に殺されたのだから。
俺が通うのは、
あの学校には、菜々佳が過ごすはずだった時間があるから。
そうだ。あの学校は、菜々佳が通う筈だった場所だ。
けれどそれだけじゃない。
俺はどこかで見たんだ。
あの学校に――教室で微笑む菜々佳を。確かにこの目で見たんだ。
けれどいつ?
いつなのかはっきりしない。
けれど、菜々佳は笑っていた。
それだけでいい。
その時も今も、《菜々佳は笑っていた》――それで十分だ。
放課後。
愛川さんの家を訪ねた。
「碧は、なにやってもダメなのよ」
リビングのテーブルに腰かけるなり、愛川さんはそう言い放った。
「どんくさくて、見てるとこっちがイライラしちゃうの。碧は、あたしがやってあげないとなにもできないのよ。ほんとダメな子。ダメなのよ、碧は。 ほんと、もうね、……どうしようもなくダメ」
タバコをくわえると火をつけた。
口から白い煙がこぼれた。
「あの子はさ、なにをやってもダメなのよ。……あたしがいないと、なんにもできないの。子供ってそうでしょ? 母親がしてあげないと生きていけないのよ。 母イズ神、ていうね」
タバコをくわえる、火がともる。
ふぅうーーっと吐き出された煙がゆらゆらと天井に溶けていく。
「支倉さんのお母さんなんてガッカリでしょうね……あの人ミーハーだから、インスタグラムとかやってたのよ? 婦人会で有名だったんだから。娘とペアルックとかしちゃってさ……いつまでも若いアピール。客寄せパンダが死んじゃったら、《いいね!》の数激減りでしょうね。 ま、娘死んでまでインスタやるヤツなんていないだろうけど」
灰皿にタバコを押し付ける。
「あたしってヒドイ女に見える? って、なに高校生に聞いてんだって話よね。なんかね、あなたって話しやすいのよ。……黙って突っ立っててくれるし。旦那にはこんなこと言えないし……あの人忙しいから」
テーブルから立ち上がる。
冷蔵庫の開く音が聞こえる、キッチンの方から声がする。
「男っていいわよね、働いてるってだけで全部許されちゃうじゃない。ブスとか明後日の話でしょ? 今思うと、あの子、あたしのことキライだったのかもしれない。産んでやったのはあたしなのに、なんでもやってあげたのに……アリエナイわよね」
氷の入ったグラス、もう片方の手に、ウイスキーかなにかの瓶。
「でも、仕方ないのかもしれないわね……子供失ったら泣き叫んだり、犯人を恨んだり、取り乱さなくちゃいけないのに、あの子は本当にカワイソウだけど、なんかね……あたしは、あの子失ったあたしの方が、はるかにカワイソウで仕方ないのよ。あたし、悲しいんだ。いつでも来てね……あたし寂しいんだ」
トポトポと琥珀色の液体がグラスの中を流れていく。
「キミってさ、誰かを好きになったことあるの?」
鋭い眼差しを向けられる。どう答えたものかと思案しているうちに、クスっと笑われてしまった。
「いや、そういう年頃かなって思ってさ。あたしはキミくらいの歳の時、自分を消す方法ばかり考えてたわ。自分が好きになれなかったのよ。……うちは母親がサイアクでね。よくさ、母の愛は絶対だ、みたいなこと言うけどさ、実の母親からおまえはブサイクだって言われ続けたあたしとしては、なんであたしだけ絶対の愛とか発揮しなくちゃいけないの? それって変じゃね? と思うわけ」
一気に飲み干した。眉間に深いしわが寄る。あまりおいしそうには見えない。
「旦那があたしを選んだ理由。 顔もよくて仕事もできてカンペキなんだけど、だからこそ、いつか負けるかもしれない、誰かに越されるかもしれないって不安なんでしょうね。《おまえはこんなこともできないのか》って呆れたように言われるんだけど。そうやって、絶対に自分を超えられない存在を作っておきたいんでしょうね、あの人は」
ハァアアっとため息をつく。
「フフ、でもカッコいいのよ、あの人、本当にカンペキなんだから」
琥珀色の液体をグラスに注いだ。
「あたしが顔いじってるってバレた時、付き合ってた男のほとんどは引いたのに、彼だけは笑顔で受け入れてくれた。《ああ、心までステキな人っているんだわ、これこそ真実の愛》なんてのぼせあがったものだけど。今思うと、彼が笑ったのは、これでまた一つ、自分よりも劣った点、決定的に劣った点を見つけたからなんでしょうね。この女は絶対に自分を超えることはない。……それがあの笑顔の意味だったの」
一気に飲み干す。
身体に悪そうな飲み方だと、本能的に察する。
「誰にでもペラペラ話すわけじゃないのよ。あなたってなんか話しやすいオーラ出してるから。……黙って突っ立てるんだもの、なんかゴミ箱みたい。思わず鼻かんだティッシュ投げつけたくなるわ。 あなた、あの子に似てるわ」
「お焼香をさせて頂けますか?」
「いいわよ、そのために来たんだものね。うるさいおばさんの話聞きにきたんじゃないものね」
このまま話し続けていたら、愛川さんは際限なく飲み続けそうな気がしたから切り上げたのだが、わざわざ説明するのは気が引けた。
「あら、いやな子ね。そこは否定するとこよ。まあいいわ。あの子の部屋に写真があるから拝んでやってよ」
通してもらった部屋には、机の上に写真、それと紙束――なにかの原稿、その上にボイスレコーダーが置いてあった。
「声優だっけ? その真似事してたみたい……キモイ趣味」
「聞かせてもらってもいいですか?」
ささやかな反抗のつもりだったのだろうか、気が付けばそんなことを言っていた。
「聞きたきゃ聞けば。こんなおばさんの話聞くより若い子の声が聞きたいわよね。じゃあね」
写真に向かって合掌した後、ボイスレコーダーを手に取る。
電源を入れると、トラック選択の画面が表示される、とりあえず最初から再生してみる。静かな部屋の中に、どこかの風の音が流れた。
「《……そうやって上から見るのをやめてくれないか? もうすべてわかったみたいに言うのなら、いっそ黙っていてくれないか? 図鑑を広げながら私の傷を見るのなら、結局君らに私の傷はわからない。私の痛みなどさらにわかりはしないだろう。君らは言う「そんな傷はよくあることだ、大げさだ」と。痛みを知らないのか痛みを忘れたのか……》」(愛川)
キィイイ――重たい鉄のドアが開くような音が聞こえる。 屋上だろうか?
「こんなところでなにやってんの?」
「あ、原作者さまだ」(愛川)
「はあ? って、あんた人の原稿持ち歩くなよハズイなあ……なに、声入れとかしてたわけ?」
「うん!」(愛川)
「《痛みを知らないのか、痛みを忘れたのか……どちらにせよ、痛みのわからない奴の言葉は反吐が出る。 私に意見するのなら、せめて私と同じくらい傷ついてからにしてくれたまえ》……このセリフわかるなぁ。わたし同感だもん」(愛川)
「ハハハ、そんなこと言ったら、みんな傷だらけになっちまうぞ? あんたの周りは血の海だよ」
「いいじゃん。みんな傷だらけになったら仲良くなれるかもよ?」(愛川)
「無理だね。……傷つけたら離れていくに決まってるだろ? あんたと私がこうしていられるのは、傷つけあう前に傷だらけだからだよ。私らは傷のなめ合いをしてるのさ。 ……もしも、どんなに傷つけても離れないとしたら……金で雇われてるか、マゾか、変態か……どうしようもなく愛されたいかのどれかだろうね」
「ねぇ……ウタさん、わたし母親がキライなんだよね」(愛川)
思わず振り返る。愛川さんの姿はない。ホッとする。《ウタさん》というのは向坂詩織のことだろうか。
「あんたの母親なにかと喧嘩売ってくるもんね……私もあのタイプの女は嫌いだわ」(向坂)
「あれが母親っていう……もう笑うしかないよね」(愛川)
「ねぇ……ウタさん」(愛川)
「なに?」(向坂)
「わたしさ……母親殺しちゃうかもしんない」(愛川)
「……。子供ってそうだよね、やっぱりそういうものなんだよね。他の誰かならきっと許せるんだよ。だけど親だけは無理なんだよね、特に母親は無理だよね。許せないよね」(向坂)
「ウタさん笑ってる? そんなにおかしい?」(愛川)
「ううん、おかしくない。おかしいから笑ってるんじゃないよ。バカにしてるんじゃないよ。
でもさ、殺したら警察に捕まっちゃうけどそれでもいいの?」(向坂)
「いや、そういうので抑えようとはするんだよ、でもさ、いつかそういうの考える前にやっちゃいそうなんだよね」(愛川)
「そっか……」(向坂)
「引いた?」(愛川)
「ううん……いやあ、家族っていいもんだねぇ」(向坂)
「やっぱバカにしてんでしょ……いいよ、わたしはウタさんほど頭良くないから。……ウタさん?」(愛川)
「ハッハッハッハ! 許してほしいなんてそんなこと思ってないよ! 私はそれだけのことをしたんだから! さあ! 私を殺しにこい! 全力で抱きしめてあげるから!」(向坂)
「なにそれ? 新しいセリフ? カッコイイね!」(愛川)
【次のトラック】へ。
「やっと見つけた。
わたしよりもダメなヤツ。
空気読めないヤツ、見つけた」(愛川)
【次のトラック】へ。
「勉強ができないとバカにされて……100点取ったら勉強だけできてもねって嫌味を言われて……自分が悪いことしてるって自覚はあるけど……やめられなかった……アイツにひどいこと言ったけど…………その時のアイツの顔が忘れられない……唇が震えてて……こっち睨みつけてきて……怒ってるんだってわかった……それでどうでもよくなった。なんか罪悪感が消えた……いいじゃんって、おまえはわたしと違うんだから、……わたしみたいにダメ出しばかりされて、グラグラして、……鏡見て、苦笑いなんかしないんだろ? だったらいいじゃん。おまえには傷つくだけのプライドがあるんだから、そのプライドわたしにわけろよ…………あ~~ダメだ。ウタさんみたいにカッコよく言えないや……詩を作るって難しいんだね……わたし才能ないわ、やめやめ」(愛川)
【次のトラック】へ。
ボオオオオオオオ……――風の音が聞こえる。 屋上だろうか?
「ウタさんはすごいよね、よくあんなカッコイイ詩が書けるよ」(愛川)
「なに? バカにしてんの?」(向坂)
「してないしてない、本気でリスペクトしてるんだよ」(愛川)
「ふーん」(向坂)
「でも、なんで詩を書こうと思ったの? 詩人になるのが夢なの?」(愛川)
「夢……ねぇ……そんなもんあったら詩なんか書かないよ。夢を見ていた頃は詩を書きたいなんて思わなかった……夢がなくなってから、大きすぎる穴を埋めるために詩を書かなくちゃいけなくなったんだよ……」(向坂)
「ウタさんお腹痛いの?」(愛川)
「は?」(向坂)
「いやさ、お腹さすってるから」(愛川)
「あー……いや、別に」(向坂)
「じゃあ、……ズバリ腹ペコとか!?」(愛川)
「ハハハ、バレたか! そうだよ腹ペコなんだよ。もう何喰っても満たされないくらい私は腹ペコなんだ」(向坂)
「……アイツキレてたね」(愛川)
「あー……マジウザい」(向坂)
「でもさ、空気を読めないダメなヤツって、つまりは他人の気持ちを考えられない迷惑なヤツってことじゃん。そんなヤツ社会に出たら、みんな迷惑するじゃん。だから早めに淘汰しておいた方がいいと思うんだよね。……うん、わたしは正しいことしてるよ」(愛川)
「別に正しいとか間違ってるとかゴチャゴチャ言わなくてよくね? 素直に楽しんでますって言ったら? あんた、活き活きしてるよ、楽しくて仕方ないって顔してる」(向坂)
「わたし、間違ってるのかな?」(愛川)
「それはないでしょ。《叩いていい奴はとことん叩く》これ、ネットの世界の常識」(向坂)
「ネットの世界の常識か……」(愛川)
「そ、つまり、建前とか世間体とか気にしなくていいなら、本音のところは人間なんてソンナモンってことよ」(向坂)
ガン!――ドアが叩かれて振り返る。
「いつまで聞いてんの? もう帰んなよ」
「すみません、お邪魔しました」
去り際に腕をつかまれた。
「また来てね?」
19時のニュース。
「阿藤容疑者の実家の近くで待機していた取材班からショッキングな映像が届きました。
他県に住む阿藤容疑者の実家に、被害者の遺族である向坂早織さんが突撃訪問を試みました」
モザイクがかかった一軒家。
インターホンを鳴らす、向坂さんらしき後ろ姿。
「わたくし、向坂早織と申します。あなたの息子さんに大切な娘を殺された者なんですが、開けてもらえますか?」
しばらくして扉が開く。中から母親らしき人が出てくる。
向坂さんがスマホを向ける。
「コイツだよ! コイツが人殺しの母親だ!」
その場で泣き崩れる阿藤容疑者の母親。
「あんたも旦那も教師なんだってな? どういう教育してたら殺人鬼になるんだ? え?それともてめぇの子供は甘やかし放題だったのか? オイ、響! おまえの母さん泣いてるよ。悔しかったらさっさと私を殺しに来い! そしたら私がおまえを殺してやる!」
警察が駆け寄る。
「向坂さん、落ち着いて」
「さわんなよ! 私は被害者だぞ!」
カメラが切り替わる。
「向坂早織さんは突撃の様子を動画配信していましたが、現在内容は削除されているとのことです」
//事件から9日(金)//
放課後。
向坂さんの家を訪ねた。
怪訝そうな顔をされたが、俺が遺族とわかるなり快くあげてくれた。
通してもらった部屋には、机の上に写真、それとノートパソコンが2台置いてあった。
「あの子、色んな詩を書いてたみたいなんだけど。《時間あったら読んでみてよ》って言われてたんだけど……私も自分の本があるから。……そうだ、興味があったら読んであげてよ。よかったら感想を聞かせて頂戴、あの子も喜ぶわ」
そう言って机に置いてある2台のノートパソコンのうち、1台を起動してくれた。パスワードは画面の横に付箋で張り付けられていた。
「あの子、いつでも私が読めるようにしておいてくれてたのよ……」
そう言って向坂さんはノートパソコンを撫でた。
デスクトップに表示された『作品集』というフォルダ。恐らくこれがそうなのだろう。
クリックして中を開くとその中にまたフォルダがいくつか並んでいた。タイトルは、漢字やらカタカナやら、わかりやすいものや、なにを言ってるのかわからないものや、おそらく外国の何かからの引用やらと色んな文字が並んでいた。
その中のひとつが気になった。タイトルは『罪記』、クリックして中を開いた。同じ名前のテキストファイルが表示される、それを開いた。
『罪記』
巻頭詩
ゴメンナサイ、神サマ。ワタシハアナタノツクッタ箱庭ヲ、コワシテシマウカモシレナイ。
細分化されていく世界。
役割分担。
自己責任。
人を思いやりなさい?
じゃあ、《自己責任》って切り捨てたのはなんでだよ?
そっちは思いやりもしないくせに、こっちだけ思いやったって損するだけ。
人を思いやる心なんて、自己責任と切り捨てられる世界じゃ、擦り切れていくだけ。
だから、思いやる心なんて、共感性なんて無くなってしまった方が、結局得なんだよ。
生きやすくなるんだよ。
共感性のない怪物?
冷酷なバケモノ?
くだらない。
サイコパスは進化の一形態だ。
病める時代の必然なんだ。
病気なのは私じゃない、病んでいるのは世界だ。
結局、世界には二種類の人間しかいないのだ。
空気を作れる者と、その空気に染まるしかない者。
うちのクラスで言えば、
前者は
スクールカーストの頂点に立つ、支倉夢美と山本健二。
後者は、私を含むその他大勢だ。
それなら、空気に染まるしかない者が、
カーストの下位にいる者が、
空気を作ろうと企んだら、どうすればいいのか?
簡単なことだ。
空気を作れる者に取り入って、ソイツを介して
空気を作らせればいい。
支倉夢美は人形だ。
誰もが認める美しい人形。
私の手の中で踊ってもらう。
うちのクラスの影の支配者は私だ。
(付記)
実験をしてみよう。
学校は社会の縮図だという。
それなら、カーストの頂点を支配することは、社会の首を取ることになる。
支倉夢美を支配できれば、カーストを支配できる、
カーストを支配できれば、空気を支配できる、
社会なんて支配できる。
アルベルト・ジャコメッティ、
美術の教科書で見た時、ふるえた。
ジャコメッティ、
あなたは確かに天才だ。
20世紀、人間の存在があれ程、矮小で薄っぺらいのなら、
21世紀、我々は空気のように透明だ。
あなたの目にはきっと、そう見えるに違いない。
私たちは透明だ。
私たちの罪は、しょせんどこにでもある透明な犯罪だ。
空気が空気を殺しても、それがどれほど重い罪となろうか。
結束のためには、生贄が必要だ。
私にとっては軽すぎる罪も、夢美にとっては重たいものになるだろう。
表舞台で活躍している彼女にとって、
きっと私たちの罪は枷になる。
私たちは共犯であることにより、離れることはできない。
夢美が有名になればなるほど、社会人である彼女にとって、私たちの罪は重くなっていく。
だから、
彼女は私から離れることはできない。
こうして、
私はあの美しい人形を、そこに群がる人たちを、最大限利用することができる。
そのためには、
結束のための生贄が必要だ。
《イワン・パーヴロヴィチ・シャートフ》が必要だ。
さあ、生贄を捧げよう。
天国へとつづく、屍の階段を築こう。
テキストファイルはそこで終わっていた。
閉じると、同じフォルダ内に『罪記動画』という名前のフォルダを見つける。
愛川さんが朗読したものを動画に録っておいたのだろうか?
フォルダを開くと動画ファイルが並んでいた。
とりあえず最初からクリックする。
『file001tyakai』
飲食店らしき天井が映し出される。
「あーマジうぜぇええッ!」
「夢美、声デカ過ぎ」(向坂)
「だってアイツ、マジウザくない?」(支倉)
「わかる。マジウザい」(愛川)
「てか、遊んでたの健二たちじゃん。うちら被害者だし」(支倉)
「そう! ホントそれ!」(愛川)
「こっちにらんでたし、マジウザい。死ね!」(支倉)
「わかる。てか、アイツって自分は特別とか思ってるよね」(愛川)
「あーあれ、ウザいよね。自分だけ正しいとか思ってんでしょ。キモイ」(向坂)
「でもさ、健二たちも遊びだったわけじゃん。それで叫ぶとかマジヒスじゃね?」(支倉)
「マジヒス。怖い」(愛川)
「アイツ絶対狂ってるよね。おかしいもん。なんか暗いし」(支倉)
「私、わかっちゃった。 アイツ、死体が好きなんだよ」(向坂)
パン!と手を叩く音がする。
「あんた天才じゃね!? だからあんなにキレたんだ! ほんとキモイな! 死体好きって、変態じゃんかよ。やばいヤツじゃん」(支倉)
「やっぱ狂ってる」(愛川)
「どうしよ、明日から学校いけないかも」(支倉)
「いやいや、そんなに好きなら自分も死ねばって話」(向坂)
「たしかに」(愛川)
「今度聞いてみようかな。なんで生きてんの? って」(向坂)
「いいね、私も聞いてみよ」(支倉)
「さんせー」(愛川)
『file002goki』
ちりとりが映し出される。
黒いぼんやりとしたものが乗っている。
輪郭がハッキリしていく、
「夢美ちゃんチャンネルです、実況お願いしまーす」(向坂)
「はーい、今から男子が殺したゴキブリを、机に入れたいと思いまーす」(支倉)
「え? おまえらなにやってんの? ソレやばくない?」(山本)
「なに言ってんの? ゴキブリ入れんの流行ってんじゃん」(向坂)
「いやでもさ、アレはおもちゃのやつじゃん」(山本)
「てかゴミ箱に捨てんだからいいじゃん」(支倉)
「ゴミ箱って……」(山本)
「さっさとやらないとアイツ帰ってきちゃうよ」(愛川)
「プレゼントフォーユー」(支倉)
「あんた優しいな」(向坂)
「アイツ死体好きだもんね」(愛川)
『file003tyakai』
飲食店らしき天井が映し出される。
「あーマジうぜぇー。今日、めっちゃにらんできたんだけど。マジウザい。《あなたがやったんでしょ》とか言ってきたし」(支倉)
「正解じゃん」(向坂)
「そうなんだけどさ。証拠ないじゃん。見てたわけじゃないんだし、証拠ないのに決めつけるとか、失礼じゃね? 非常識でしょ」(支倉)
「たしかに。証拠ないのにはあり得ないかも」(向坂)
「あり得ない」(愛川)
「てか、夢美がニヤニヤしてるからバレたんじゃね?」(向坂)
「だって アイツの顔真っ青なんだもん、マジうける。めっちゃ震えてたし」(支倉)
「いや、あれは歓喜でしょ。歓喜に震えていたんだよ」(向坂)
「マジかー。やっぱ変態は違うわ。コワイわー」(支倉)
「ホント死体好きとか、マジで変態だよね……西條桜子」(愛川)
心臓が波打つ。
これは、どういうことだ?
彼女たちは友達じゃなかったのか? それどころか……、
コンコン――ドアを叩かれて振り向く。
「ねぇ、佳太郎君だっけ? お茶淹れたけど飲む? 編集さんが落ち着くからってくれたのよ。カモミールティー淹れたんだけど」
「いただきます」
嫌な汗が背中を伝っていくのがわかった。
テーブルに腰かけて、カップに注がれていくカモミールティーを見つめる。
「あの子の作品、どうだった?」
「……興味深かったです」
「そう……よかったわ」
味もよくわからないまま、ゆっくりと飲み下す。
「人は二回死ぬって言うでしょ? 一回目は、命を失った時、二回目は周りから忘れられた時って。……だから、あなたにも覚えておいてほしいの……私より長生きでしょ」
そのために作品を読ませてくれた、ということなのだろうか。
そう言えば、あの二人は《叩いていい奴はとことん叩く》だとか、《空気を読めないダメなヤツは早めに淘汰しておいた方がいい》だとか、言っていたっけ。あれは、西條さんのことだったのか……。
《そうね……強いて言うなら、罪悪感がないのが、罪悪感かもしれないわね》
メガネちゃんから聞いた西條さんの言葉を思い出す。
嫌な憶測に身震いする。
しかし、あくまで憶測に過ぎない。
真相は、本人に確かめるより他にない。
自分の思い付きに、自分が嫌になった。
いい加減にしろよおまえ、そんなのあるわけないだろ。
そんなのわからないだろ? 叱られている自分が、無表情につぶやく。
あるわけない? そんなのわからないだろ。あるわけないことが起こったんだから。
だからって、自分の身に起きたからって、これ以上他人の人生まで呪うのはやめろ。
//西條桜子の記憶//
バイト終わりに、家の近くの公園に寄る。それが日課だった。
家に帰っても母親はパートでいないし、部屋に一人でいるより、外で夜風を浴びていたい。本当はそれだけじゃないのはわかっているけど……家にいたら、絶対に一人だから。
「チクタク、チクタク」
しゃがみ込んでゆっくりと体をゆらしていた。
「きゃっ」不意に腰を撫でられて、びっくりして飛びのく。
「猫?」
もぞもぞと動いたそれは、逃げるでもなくゆっくりとこちらに近づいてきた。
「どうしたの?」しゃがみ込んで声をかける。
通じるわけないのに。
猫は何も言うことなく、鳴くでもなく、ただすり寄ってくる。
撫でてほしいのかな? 撫でようとしたら逃げるのかな? 引っかいたら嫌だな。
足にすり寄る猫、モゾモゾと毛が当たって変な気分。
首輪はないけど、人馴れしてる。お腹がすいているのかもしれない。
「悪いけど、エサはないよ」
モゾモゾは離れるそぶりを見せない。
寒いのかな?
「寂しいのかな」
そんなことってあるのかな。
猫が寂しくてすり寄ってくるなんて。
寂しいのはきっと私の方だ。
寂しいのは私だ。
だけど、
「《万有引力とは ひき合う孤独の力である》」
学校で習った詩の一節。
もしも私の孤独と、この仔の孤独が引き合ったなら、もしも私の孤独がこの仔を呼んで、この仔の孤独が私を見つけたなら、そうして一人と一匹が出会ったなら、寂しさを抱えて生きることは決して悪いことばかりじゃないのかもしれない。
「ハハハ……そんなの妄想だよね」
手を伸ばして、頭に触れた。
猫は逃げなかった。
引っかきもしなかった。
それどころか、こっちを見つめて、ニャーと鳴いた。
変なの。
泣きそう。
じっとこちらを見つめる二つの瞳。
私のこと、気に入ったのかな?
そっと指を動かすと、猫は気持ちよさそうに目を閉じた。
なついてくれている。
なついてくれている!
ああ、
この猫、
「車に轢かれて死なないかな」
自分の言葉に自分で冷たくなった。鳥肌が立った。
でも、
もしもこの仔がここで死んだら、
この仔は私を気に入ったままだ。
この仔はずっと、私を気に入ったままだ。
この仔はずっと、私を好きでいてくれる。
「ごめんね……最低だね……ほんと、なんてこと考えてるんだろ……ごめんなさい」
三度ほど撫でると、猫はさすがに鬱陶しくなったのか、プイと顔を背けてそのまま歩いて行ってしまった。
「―――さん?」高村君の声に、現実へと引き戻された。
「西條さん?」虚空を見つめ続ける彼女に、思わず声をかけた。
「え? なんて? ……ごめんなさい、ぼーっとしてしまって……」
「ごめん。メガネちゃんから聞いたんだ。西條さんが《罪悪感がないのが罪悪感》って言ってたって。……メガネちゃんは、西條さんなりの強がりかもしれないって言ったけど……俺は、向坂さんの家にも挨拶に行ったから、そこでたまたまだけど……殺された3人が、西條さんに嫌がらせをしていたことを知ったんだ」
西條さんの瞳が一瞬だけ鋭く光った気がした。《嫌がらせ》という単語に反応したように思えた。その瞳は《そんな軽いもんじゃない》と言った気がした。
「目の前で殺されるクラスメイト。彼女たちは、キミにとってはイジメの加害者だ。 だから、一人生き残ったことに罪悪感なんてなかった。むしろ、通り魔に救われたとさえ思ったかもしれない。 婦警さんから通り魔に関する記憶が曖昧だって聞いた。パニック状態なのだから仕方ないっていうけど……実際には、供述があいまいだったのは、捜査を難航させて、通り魔を庇うためだったのかもしれない。 ねぇ、西條さん……キミは阿藤響を庇っているんじゃないか」
俯いていた彼女の肩が小刻みに震えはじめた。
泣かせてしまった?
いや、
これは……、
「アッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
西條さんは天井を向いて笑い始めた。
重苦しい雰囲気の中で、彼女の高笑いがこだまする。空気の重さが増していく。
彼女の顔から、フッと表情が消えた。その瞳は虚空を見つめていた。
「《なんで生きてるの? 死になよ。死ーね死ーね死ーね死ね死ね死ね……》やかましくさわぐ声を止めたかったの。私、壊れてしまいそうだったから……でも、そうね……もう、とっくに壊れていたのかもしれないわね。平気だったんだもの……ううん、楽しかったくらいなんだから……アイツ等の、《ウソでしょ?》みたいな顔……傑作、ざまあみろって思ったもの……でもね、忘れないでね」
目が合う。
「私は、壊れたんじゃないの……壊されたのよ」
得体のしれない鈍い痛みが腹の底に響いた。
「あなただって、きっと、《なんで生きてるの?》なんて聞かれ続けたら、《死ね》って言われ続けたら、やかましいあのさわぎ声をとめる方法を探すわ。目覚まし時計のストップボタンを押しても押しても押しても、もしもベルの音が止まなかったら、誰だって時計を壁に叩きつけるでしょ?」
反論をしようと声を出そうとしたが、のどに痛みが奔った。
口の中が乾いていた。
唾液を出して、
飲み込む。
「……逃げればいいだろ。ベルの音が聞こえなくなるところまで」
「そうね……でも、あの時計は追いかけてきたのよ。……逃げても……逃げても……しかも、ううん。……ま、逃げても追いかけてきたのよ」
家に帰るにはあまりに足取りが重く、仕方なく公園のベンチに腰を下ろした。
夕焼けに染まる遊具たち、眺めるともなく眺める。
「高村君?」
「あ、メガネちゃん」
プリントを届けた帰りだろうか。
「どうしたの? 西條さんのお見舞い?」
うなずく。
「……なんか顔色悪いよ? 大丈夫?」
「そんなに悪い?」
「なにかあったの?」
「キミは知ってた? 西條さんがイジメられていたこと」
彼女の眼が大きく見開かれた。それからすぐに俯いてしまった。
「そっか……」
「……高村君は気づいてるのかと思ってた。でも、高村君は心ここにあらずって感じだったもんね……。 私は知ってたよ……私だけじゃない、きっと高村君以外はみんな知ってたんじゃないかな」
「……」
「でも、それでも……あの3人以外で、一番悪いのは……私かも」
「? なんで?」
「私、聞いちゃったんだ……」
支倉さんたちは、バイト前に、トイレの洗面台でよくお化粧をしていたという。
夏場はトイレのドアが半開きになっているので、中の会話が外から聞こえたのだという。
「ねぇ、もしもアイツが死んだらどうするの?」
「どうするって? 次?」
「次はあれでしょ」
「あー」
「「「メガネ」」」
「「「キモイよねー♪」」」
「卑怯で汚い話だけど、西條さんが先生に言いつけたりしないで、ターゲットでいつづけてくれたから、私はイジメられずに済んだの。 だから、今更だけど、少しでも恩返しがしたいと思って……」
だから率先してプリントを渡しに行ったのか。
「西條さんも、自分を責めることから解放されて、早く元気になってほしい」
《自分を責める》……、
彼女は西條桜子の本当の姿を知らない。
そう言えば……、
「西條さんって、選択科目、剣道だっけ?」
「え? ううん。私と同じダンスだよ」
「そっか」
けれど、なんで嘘を吐いたんだろう。
「あ、あのさ。高村君」
「? なに、メガネちゃん」
「私ね、本当は《メガネちゃん》ってあだ名、あまり好きじゃないんだ」
「え? あ、ごめん」
みんながそう呼んでいるから、そういうものだと思っていた。 けれど考えてみれば、自分だってそんな呼ばれ方をしたら嫌だと思う。……考えが足りていなかった。
「ごめんね、私こそ……なんか、高村君には言っておこうと思って。高村君言いやすいっていうか……言いやすい人にしか言わないとか、私本当に性格悪いよね」
「いや、そんなことはないと思うけど」
「ううん、いいの。本当のことだし。……こんなだから目、つけられたんだろうなぁ」
「メガ……」
「相馬絵里奈だよ」
「相馬さんは、性格悪いことないと思うよ」
「ありがと」
黄昏時の公園を歩きだす。
別れ際に聞いた西條さんの言葉が頭の中で響いていた。
「あの子も、周りの大人たちも、おかしなことを言うわよね。どうして引きこもったのか? 罪悪感があったから? サバイバーズ・ギルト? ちゃんちゃらおかしいわ。 花瓶が置かれた机を見て、笑いださずにいられる自信がなかったからよ」